現状、なんらかのマイノリティにリーチする活動(福祉や研究など)をしている人もまたマイノリティ当事者である場合が多く、おそらく私もそれに含まれる。
リーチする側/される側にしても結果的に当事者にばかり説明コストが課されていて、本来ならばこのコストを生み出しているマジョリティに課されるべき課題がマイノリティ・コミュニティ内で消化されているのもまた事実である。
それでも、リーチする側/される側の間には権力勾配が存在し、そのためリーチする側はやはり、排除や加害の意図がないことを証明し続ける責任と必要があると私は思う。
今は私自身がリーチする側になることもあるので、これは本当に自戒としての投稿である。
(誤字を訂正して再投稿) 2/2
三上氏(東京都出身)は映画鑑賞後の舞台挨拶で、「沖縄の人にこそ観てもらい、現状に怒りを感じて欲しい」と発言したらしい。(Fbより)
ゴール設定が沖縄の声をヤマトに伝える事になっているが、伝わらない事が問題ではない。何を伝えても言動を変えようとしない植民地主義の問題。
沖縄の人が怒っていないように見えるのは学習性無力感であり、それを与え続けている日本人の責任は一体どこへ。
植民者の責任は軍事化に反対するだけで果たせるものではないですよ。軍事面だけでなく観光、文化、言語、経済といったあらゆる植民地政策に反対してこそ、です。反基地運動しかしないなら、それは植民者である事の隠れ蓑と言われても仕方ない。
反基地運動は、日本人移住者が自分が住みやすい「沖縄」にするためだけでしかなく、それこそまさに植民者と言うのです。
歴史的に排除されてきたマイノリティの人々を対象にしたり、そのようなマイノリティの人々も包括した活動をする場合、排除や加害の意図がないことを可能な限り証明することは、リーチする側が果たさなければならない責任であると私は考えている。
近年の実例を挙げる。アメリカではCovid-19禍においてワクチン接種を進める中、アフリカン・アメリカンのコミュニティから接種拒否や反発が起きた。これは、アフリカン・アメリカンが「政府が自分たちを実験台にしている」と医療不信に至るに足る歴史を経験していたから起きた衝突とされている。
これはマイノリティが政府の発表を"誤読"したから起きた問題かもしれないが、決してマイノリティ側の"誤読"を責めるべきではない。
排除や加害という暗黙の意図を"読み取る"ことをマイノリティに強いてきた社会において、排除や加害の意図がないことを十分に説明し信頼を回復するのは、社会側が果たすべきコストである。
日本で社会的・文化的なマイノリティに何かしら働きかける活動をするときも同じく、マイノリティに排除の意図を"読み取らせてしまう"(誤読させてしまう)社会を認識し、包括を目指すのであれば尚のこと、リーチする側は排除や加害の意図がないことを証明する(あるいは証明し続ける)必要があるだろう。 1/2
「私たちひとりひとりにできること」ばかりでクラクラする。まだまだ先は長いですね。⇒《具体的な行動としては、「マイバッグを使う」「食事を食べ残さない」「冷暖房の調整」などが上位に。》
気候変動対策 大半は「行動していないが意識」とやや消極的 民間アンケートで判明 https://www.sankei.com/article/20240324-DU63TKFB5NJHTI6A7S5AZHQOBE/ #気候変動
「アンケートは日本のルーツがどこかにないと答えられない?」
→そんなことはないです!
今回のアンケートでは対象の説明に
"「複数の民族・人種にルーツがある人々」とは、親、もしくは祖父母、もしくは曽祖父母のうち誰か一人でも日本以外の民族的・人種的ルーツがあると認識している人々"とあります。
これは「誰か一人でも日本のルーツがないといけない」という意味ではなくむしろ反対で、「誰か一人でも日本以外のルーツがあるかた」です。
つまり、誰か一人もしくはそれ以上、つまり、親、祖父母、曽祖父がたとえばもし全員、日本以外のルーツのミックスの方の場合であっても今回の調査では、「複数の民族・人種にルーツがある人」としています。
つまり、日本のルーツがないミックスの方も対象となっております。必ず日本のルーツがないというわけではないのです!(誤解を招くようなわかりにくい表現を使ってしまっており大変申し訳ありません)
@UbuHanabusa すなわち、この範囲の中に、日本以外の言語や文化(つまり日本語やいわゆる日本文化以外のもの)がミックスされている方、すなわち日本語的に言われる帰国生徒やサードカルチャーキッズも、厳密な意味では、私たちのアンケートの対象からは排除されてはいません。
さらに大前提として、「〜と認識している人」とあるように、様々な要素のミックスの程度については、他者からあるいは社会的な何かしらの客観的指標に基づいて区分される軸によって定義されているのではなく、あくまでも自分がそうだと認識している、という書き方になっています。
そのため、もし自分は、日本以外の言語や文化のルーツを持っていると認識している人であれば、このアンケートの対象からは厳密には排除されないような文言となっているかなと思います。
しかしここまで書いてももしかすると私が誤読している可能性もありますので、的外れなご意見でしたら大変申し訳ありません。
今回のアンケートの定義において対象となるか曖昧な表現となってしまっているのは、おそらく④この範囲全てがいわゆる日本ルーツしかないが文化的言語にミックスルーツの方かなと思われます。
こういった方々は、むしろ言語や文化に特化した文脈から、「サードカルチャーキッズ」や「帰国子女(生徒)」などといった別のカテゴリーの中で、文化的言語的に(も)ミックスの人々として、しっかりと研究が蓄積されてきている領域かなと思います(それぞれの研究蓄積を私が十分に把握できているわけではないので申し訳ありません)
私が「曖昧な」と書いたのは、なるべく多くのケースの方を包含するために、わざと定義を多義的・曖昧化させている部分もあります。
すなわち、私たちのアンケートの定義では
「誰か一人でも"日本人"以外の民族的・人種的ルーツがある」ではなく、
「日本人」という言葉を使わずに、
「誰か一人でも日本以外の民族的・人種的ルーツがある」と定義しています。
すなわち、人種的とされると「日本人」と想定され得ますが、「民族的・人種的」と並列しているように
民族的に「日本以外の」と理解すれば、
そこには、いわゆるエスニシティの要素として、「血脈」ではなく、文化や言語がそこに当然包含されてくるかなと思われます。
@UbuHanabusa こちら重要なご指摘を頂き誠に有難うございます。
私はこのアンケートを運営しております、下地ローレンス吉孝と申します。
ここで頂いたご指摘を私自身がまだ十分に理解しているわけではないかもしれず、的外れな意見でしたら大変申し訳ありません。
まず、このアンケートの対象は以下の通りです。
「複数の民族・人種にルーツがある人々」とは、親、もしくは祖父母、もしくは曽祖父母のうち誰か一人でも日本以外の民族的・人種的ルーツがあると認識している人々を指します(沖縄等の島々やアイヌなどのルーツも含みます)。
ここでの定義からすれば、「この範囲で誰か一人でも日本のルーツがある人」ではなく、「この範囲で誰か一人でも日本以外のルーツがある人」を指している対象ため、実は全ての構成が日本以外のルーツの方の場合でも対象となっております。
そのため、ご指摘のあるうち、
①複数の国籍や人種・民族にルーツを持つ人
②両親共に"外国人"の人
③日本に人種・民族的ルーツがないが日本の市民として暮らしている人
この三つのケースの人々も、今回のアンケートではむしろ対象となっております(排除する定義にはなっておりません)
「ミックス」というアイデンティティについて私の意見を一応表明しておきます。
日本の「ミックス」コミュニティには、両親の国籍や人種が異なるいわゆる"ハーフ"の人だけでなく、複数の国籍や人種・民族にルーツを持つ人や、あるいは両親共に"外国人"の人、日本に人種・民族的なルーツがないが日本の市民として暮らしている人、複数の文化的・言語的なルーツを持つ人などがすでに存在していることを私は実感していて(私自身がそうですし)、「ミックス」が決して血統主義的なアイデンティティではないと私は思っています。
実は昨年そうした多様な「ミックス」に関する論文を書いてまして、4月頃に出版される予定です(オンラインで読めるようになるのは6月頃だと思います)。
ヨーロッパと日本にルーツを持つ人、日中韓に民族的ルーツを持つ人、両親共に外国人(韓国人)の在日コリアンである人など、多様な「ミックス」当事者の語りから日本の人種概念の解体を目指し、日本における「ミックス」コミュニティの実践を探ろうとするものです。詳細はまた出版後に投稿するので、ご興味のある方はぜひご笑覧ください。
取り急ぎ
久し振りにブログ更新しました。
Twitterでもぼやいてるような感想ですが、
若宮に無理にみづら結わせてるのしんどいです。とか、
また法衣袈裟はなおざりですか。とか、
宗教への偏見いい加減にしろ。とか、
そういう愚痴になります。ほぼ褒めてませんというか無理な部分だけ我慢できずに吐露しちゃってるかんじですが……。
一応『童形天皇は冕冠を着けない』というあたりの根拠を「西宮記」や「土右記」から引いてきています。
【大河、見てますが】(一寸海溝日記)
https://t.co/39IRIA8gX3
動画を観るのがめっちゃ苦手なので(映画館の映画はなんとか観れる)大河は観てない(観れない)んですが、
> 「今からみたらインチキで理解に苦しむけど、科学的な知見のない当時の人達はそういうのを信じていたんだよねえ。政敵や恋敵を呪ったり、すぐ祟られてると思い込んだり、それが平安時代なんだよねえ」という、現代人が好奇と蔑みで作り上げたド偏見
この偏見払拭できている現代のひと多分すんごい少ないし、今ある神道や仏教もこの延長線上にあると思われているよなあ、と思います。
前に宗教差別を指摘した方も、現代の神道祭式を「平安時代の祭祀を再現したもの」と思い込んでいて、
そして神主は民俗学系博物館の展示品、もしくはそれを使ったパフォーマーだと思われていて、いやいやいやいやいやいや…となった
有料記事がプレゼントされました!3月24日 21:52まで全文お読みいただけます 「自動改札機は通れません」 不便なはずの手書きの切符、なぜ今も? https://digital.asahi.com/articles/ASQBL7K83Q9XUNHB00G.html?ptoken=01HSNNWMRBJAT45EWY0FSVQ1M0
ちょっと前の記事ですが、考えさせられる内容です。公共交通機関の「公共」の責務には、アプローチしやすさも含まれるのでは?
「乗り慣れていない人にとっては、JRのルールは複雑すぎて、ネットでどう買えばいいのかわからないのだ。
(中略)
「仕組みを知らない方が悪い」と突き放せば、利用者はますます減る。デジタル全盛の世の中だからこそ、わかりやすさと、安心感を求める人がいる――。」
「最近目に付くのは、ネットで予約する「えきねっと」の使い方を尋ねに来る人だ。
かつて、携帯電話の販売員や介護施設職員だったので、何度同じことを聞かれても苦にならない。
ただ「特定の技術を使いこなせないと乗れない公共交通機関って、いいのかな」と思う。」
全文読めないからちょっとズレたこと言ってるかも何だけど、コメントで中岡しゅん氏が「たしかに、生物上の性別は変えられない」とか「異なる性の生殖機能を得られるわけではないからだ。しかし~」とか言ってこの加賀市議の差別発言に反論しているようなのだが、いやだから「生物上の性別」「異なる性の生殖機能」って何なのよ。その身体のスペクトラムを完全無視した、男女二元な「生物学上の性別」が存在するという前提にまず乗らないでくれよ…。
中岡氏は以前からノンバイナリーを透明化している節が強くて距離を取っていたが…久しぶりに見かけたと思ったらこれか。
https://www.asahi.com/articles/ASS3Q73V2S3QUTIL01F.html
20↑🏳️🌈🏳️⚧️トランスジェンダーでノンバイナリー。Aジェンダー。ゼノアイデンティティ。クィア。🟨⬜🟪⬛お絵描きが好き。うつ病持ち。
種差別反対。全ての差別、搾取、暴力に反対できるように。