マジョリティが動かんでどうするんだよと思っている。
私もそこそこマイノリティ属性を持っているが、永住許可取消し法案についてはマジョリティ(日本国籍を持っている)なので、より一層さらに大反対していくぞ!! 廃案一択!!
#永住許可の取消しに反対します
#永住許可の取消しに反対します
#永住許可取消し法案に反対します
委員長・議長・首相解任動議で徹底的に反対すべき
日本人の同性カップル、カナダで難民認定 「迫害に根拠ある恐怖」
《難民決定通知書には、2人が日本で受けた差別に加え、「法律上の家族と認識されず、異性婚夫婦と同じ利益を受けられない」「差別が日本全体にあり、別の地域に移っても逃れられない」と指摘。国連女性差別撤廃委員会の日本への所見なども踏まえ「家父長制的な観念が根強く残る」「職場には女性に対する複合的な形態の差別が存在する」と、女性や性的少数者の人権が十分に守られない日本の状況が判断理由として記されていた。》
驚いた…けど、確かに通知書の通りだよな………
https://www.asahi.com/articles/ASS5L2F7MS5LUTFL002M.html
これがそのカナダで難民認定受けた同性カップルのお話。
日本とカナダの難民認定の違いなどにも触れられているよ。
みんな読んでね🎁
有料記事がプレゼントされました! 5月19日 19:35まで全文お読みいただけます。
嫌がらせで退職、母娘と偽り…「これ以上は」難民認定の同性カップル:朝日新聞デジタル
https://digital.asahi.com/articles/ASS5L2C55S5LUTFL003M.html?ptoken=01HY5MBM7T5835G6NXZZH02DCD
でも、それだってそんなに簡単なことではなく、学生ビザやワーホリなど就労目的で欧米圏に行くこと自体、語学力も、ある程度の貯蓄もあった方が成功しやすいという側面はあるし、何より「健康」さが求められるわけで(語学学校の入学でもメンクリ通院していたら医師の許可いるとかそういうのは留学エージェントを通して昨年知った...。まあ、今考えると現実的には体力的にも予算的にも厳しかったと思うから後悔してるわけではない)、差別を差別だと認識しないこの国からすべての人が逃れられるわけではない(もちろん内から変えたいとか、生まれ育ってきたことへの愛着から留まる人もいるだろうが)ということを考えて、国という権力装置への憤りが生じている
難民認定自体にそんなに喜びたくはないのだけど、それほど差別が存在していることを公的機関が認めたという事実の重みを感じるし、そうした差別が差別だと認識される国に移住したいという気持ちは、前々からあったが、その念は少しは強くなりそうだ...
「辺野古巡る国の裁決取り消し訴訟、審理を差し戻し 高裁那覇支部」
https://mainichi.jp/articles/20240515/k00/00m/040/170000c
「人間性」とは何か。それは本当に「人間」に限定された性質なのか?「人間性」が無い/足りないことは悪なのか?「人間」的でない在り方は劣っているのか?正しくないのか?批判されなければならないのか?
人間中心社会において「『人間性』に問題がある」と言って「人間(と判断した者)」を「批判」するのは、例えば、男社会の中で「男らしくない」と言って「男性(と判断した者)」を「批判」するのと似ていないか。
「人間性」で我々を評価するのはやめて。ヒトに生まれた存在全てに「人間」であることを押し付けないで。
様々な種やアイデンティティ、実存が有る中で、「人間」としての在り方こそが至高だと、「人間」に「届かない」者は劣っていると、無意識に感じていないか。
現在、職場で1人から意図的な無視をされて、その1人ともう一人から大きな声で陰口を叩かれている。
辛いので地域の障害就労支援センターで相談をしたが「何処でもある嫌がらせなんだから上手く回避するなりストレス発散するなりして対処してね」と丸め込まれた。
どこにでもいじめやパワハラをする人が居るのは間違いないけど、
発達障害は特に攻撃の対象になるのだから、完全には防止は無理なものの合理的配慮の範疇で職場に対策をさせるなり、行政と手を組んで実態の把握や当事者の声を聞くなりしてほしい。定型発達の人にも恩恵があるだろうし、真面目に考えてほしい話だよ。就労支援センターも職場も。
攻撃をしてくる人から守ってくれる安全な会社を望むのはそんなに贅沢なことかね?
こういう仕事をしていると詩の好きな方も多くいらっしゃるんですが。人の言葉を「ポエム」と言って揶揄するのって詩への冒涜じゃないのだろうかという意見を目にする機会がSNSでは頻繁にあって。なるほどと思って以前よりそういう使い方はすべきじゃないなと思って気をつけてるのだけど、そういう方いまでもけっこう見かける(さっきも流れてきた)。「お花畑」もそうだけど、そういう言葉で揶揄することは、その言葉の元の意味まで蹂躙することなので注意したいものだなぁと思いました。
毎年5月15日は、「ナクバの日」。“1948年、イスラエルの建国に伴い約75万人のアラブ・パレスチナの人々が故郷を追われることになった出来事(ナクバ——アラビア語で「大災厄・大破局」を意味する)を嘆き、想起する日。”
禁じられた「ナクバの日」——公共の場から排除されるパレスチナ人の声
https://d4p.world/news/25902/
“デモというものは常に感情的なものです。それなのに、ドイツ人の感情の高ぶりは正当なものとされ、アラブ人のそうした感情は“暴力的なもの”だと見做されるのです”
>そこまで極端に嫌われるのは、第2次世界大戦中、日本軍がプドゥ刑務所を捕虜収容所として使い、連合軍や地元市民の多くが拷問を受け、斬首されたという歴史があるからだ。
日本人だけが「日本人は優しかった」とか「現地に歓迎された」などと言い合って満足してても向こうはそうではないということよね。被害を受けた側はずっと覚えている。歴史は正しく学ばないと、悪いことは悪いと反省しないと。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d2440e5e70fd7d2bfa471a56c8d4c2d628622be
20↑🏳️🌈🏳️⚧️トランスジェンダーでノンバイナリー。Aジェンダー。ゼノアイデンティティ。クィア。🟨⬜🟪⬛お絵描きが好き。うつ病持ち。
種差別反対。全ての差別、搾取、暴力に反対できるように。