オカルトもスピリチュアルもカルトもただの侮蔑語になった。
東アジアにおけるそれらを指す言葉だったはずの『神道』は、この列島の信仰を国家が管理するための標章にされた。
『宗教』はそもそも同化のための道具を指すため作られた日本語だ。
そして今や多くの信仰的マジョリティにとって、倒すべき古敵を指す言葉になりつつある。

私が生活の中心とするこの営為をなんと呼ぶべきか、毎日毎日考えている。

なんか誤解されそうだから書いておくけれど、こんにち宗教と呼ばれているものや、西洋由来の「世俗secular」の対概念であるさまざまな営為そのものが「同化の道具」だという話ではなく、宗教という『日本語』が、本来の目的でなく同化の道具とするために輸入し改変した、「プロテスタントをモデルにした国家に都合の良い何か」を指すための言葉だという話です。

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信仰や宗教はもちろん、神道も神も今のような日本語の使われ方は近代以降のものなのだ、というのをまず知っておかないと話はできないが、そこらへんを知るのがもう難しいよな

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