今日はアレ銃殺処分記念日か。アレが殺処分されて多少は社会が改善したように一瞬見えたが、日本国民の頭の中身が変わっていないから結局は変わらない。アレ自身の問題よりもアレが権力を握る事ができ、長々と維持できた腐り切った蛮島の土壌•風土こそが根本的な問題であると再認識する。
誰がやるかよ、こんなの
「運用益の範囲内で助成をするため、成果が出なければ支援が難しくなる」
大学10兆円ファンド、604億円赤字 22年度は厳しい船出
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB071Q90X00C23A7000000/
しかしマイナ絡みのムチャクチャっぷりが報道されるにつれ、「一体何なんだこの『政府』を名乗るナニカは」という反応が見られるようになってきたが、それでも世の人々の公正世界仮説というか正常性バイアスというかは根深いよねえ。いやしくも「政府」ともあろうものがそんなおかしなことをするはずがない、という。
そんなん、「コロナパンデミックのときにやったことが検査拡充でも病床増でもなく、カビマスク2枚の送りつけだった」ことでとうに成立しない認識だったし、もっと言えば第2次アレ政権のデタラメのモロモロを見てその遙か前に気づいておかなきゃいかんことだと思うんだよな
ここしばらくの政府の動きが急すぎて、ちょっと頭を整理しないとわからなくなるので、今日は過去の新聞記事のスクラップブックを読み返していました。
経済安保、デュアルユース、セキュリティ・クリアランス、軍産複合体など、ちょっと確認しておかないと議論に置いて行かれそうだったので。(とくに私は経済分野の話に弱い)。
ついでだから、
少し前、クローズアップ現代でも特集されていた「大川原化工機事件」
https://www.nhk.jp/p/gendai/ts/R7Y6NGLJ6G/blog/bl/pkEldmVQ6R/bp/pvn7l6Xnbx/?cid=gendaihk-tw-221116-1830
のルポがのっている雑誌「世界」の2022年3月号(経済安保特集)もあらためて読んで、本当にひどいことになっているなと思いました。
こういう流れと、最近の学術会議問題とか、大学自治への介入(理由をつけて学内の役員に産業界とかの人を入れさせて人事などを左右しようとしたり、政府から配分されるお金を減らして様々なプロジェクトを組ませて「競争的資金」獲得を促す、など)とか、研究をめぐる話がみんな連動していることだから、ちょっと目が回りそうですが、ついてゆかねば。
こき下ろしたのよね。中森明菜のあの歌い方が我慢ならず、わざわざ竹内まりやにセルフカバーをさせてそのライナーノーツに"アイドルシンガー“という呼び名で解釈が酷いと書きつけた。
竹内まりやはあの曲をもう少し力強く歌い上げていた。別れて2年の月日を経て当時の愛情が過去のものになり、少し距離を置いてその時期を眺められるようになった大人の女性の歌として。
それはそれぞれのシンガーの解釈の違いでしかない。中森明菜はいまだにその愛情の名残を引きずる"今“として歌い、竹内まりやは"過去“として歌った。そういう違いだろうと思う。
そして件のライナーノーツは「達郎さん、そいつはどうかな」と批判を浴びた。すると彼は「シンガーに対してじゃない、彼女の周りのアレンジや表現を作ったスタッフに疑問を投げたんだ」と逃げた。
それが「山下達郎、クソダセーな」と思った最初だった。
あれから随分な時間が流れた。まあ大御所も大御所だし、アニキと慕うギタリストを認めてくれたありがたさももちろんあるけど、でもやっぱり、自分は"火の粉のかからないところでだけイキるダセー大人"のイメージが残っている。
去年か一昨年か忘れたけど、イグノーベル賞とった「金持ちは努力したとか頭がよかったとかじゃなくて、単にめっちゃ運が良かったからそうなれただけというのを数理モデルシミュレーションで明らかにした」研究、イーロン・マスクの阿呆をみて、ああこういうことかとよくわかった。バカにカネ持たせるとろくなことしないからばっちり徴税した方がいい。
色々言われてもおるが、鰻を食わないことは良いことではある。
“うなぎのタレだけ”でごはんがすすむ 百貨店でうなぎのないタレだけ弁当を販売(ねとらぼ) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/b38919cf0578226b2a64b5b1549ecda0232b726f
存在する何かに対して、それを認識しようとする主体が「触れて(見て、嗅いで、触って、etc...)」、それを記号に置き換えたものが言葉のはじまりだとすれば、AIは言葉を話していない。AIの言葉は、どこまでいっても実在に接しない。
学生のレポートを見ていると、実質的に授業を聞いていない、部分であれ何かを理解しようとした形跡がなく、資料や講師の発した言葉に含まれたキーワードやフレーズを適度に散りばめて「もっともらしい」「それっぽい」文章に仕立て上げたものがある。AIの吐く文章もそれに似ている。ただ、ベースになる素材の文章が膨大になった分、「それっぽさ」が増しているが、まあ、それだけ。
正直、これが何か大変な発明である、という気がまるでしない。AIは、自分が吐いた言葉に責任を取らない。ひたすら「それっぽさ」だけが積み上がっていく。これ、何か有益な使い道あります? 実は有害無益なんじゃねーの、って思ってる。
Freelance Patent Translator