状況の認識が、二つに分かれているのだろう。
俺は、多くの原作者は体外の二次創作(エログロ含む)に対して「原則としては」寛容で、それが未来のプロ創作者を生み出す土壌であると考えており、個別の許諾業務の負担が大きいので敢えて数多い二次創作者には許諾を求めず、だが一部の「容認できない作品」に関しては明示的に作品の取り下げを法的に求める、という状況であると考えているのだが、そうでない人は
「原著作者は二次創作に対する明示的な禁止をすることを、「原作者は寛容であるべき」と云う同調圧力によって妨げられている。 だから、明示的に二次創作を認めていない作品については、一切の二次創作は違法であり摘発の対象であると考える必要がある」
「また、そう言う違法行為を常に批判し、権利者や当局に通報することは正義である」
みたいな認識であるのだろう。
少なくない数のブクマカが
「明示的に許諾された二次創作作品以外は全て不法な存在であり、公開を絶対に自粛、乃至は公権力によって禁じられるべき」
と考えているのが伺えてゲッソリしている。
フリーレンの同人がFANZAで取り扱いNGになった件、理由が推察されているが二次創作は権利者がダメと言ったら理由も聞かずに辞めるのが大事
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2309792
カリフォルニアの"San Jose"はサンノゼである! って日本人多いんだけど、辞書でも発音記号は sæn hoʊˈzeɪ だし、ググって発音をあれこれ聞いても、ほとんどは「サンホゥゼイ」って言ってるんだよな。
wikipediaのノートには「サンホゼと言うのはスパニッシュ系だけ。英語話者は全部サンノゼと発音する」みたいな与太を自信たっぷりに断言してる奴もいて、まあwikipediaなのでしょうがないんだけど、同じノートで「そこに住んでるけどサンノゼって発音する奴見たことないが?」と突っ込まれてた。
でもまあ、海外特派員経験者も多いはずのマスコミでも「サンノゼ」なのは一体どういうことなんだろうと長年疑問に思っている。
政府による自殺予防の手引きって、本当に顧みられていないのな。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/who_tebiki.html
ジャーナリズムというのは民主主義社会にとって絶対に必要な存在で大事であるが、本質的に下劣で因業な商売で、そうでなくなると社会的使命を果たせないという難儀な商売だなといつも思う。
岩波ブックレットの「ナチスは良い事もしたのか」に対して
「この本と同じ「オリジナルじゃないから悪」「目的が悪だから悪」というルール」
みたいなブコメを目にして思ったのは
「元々リベサヨが嫌いで、それが批判しているナチズムに対しても、その悪は理解できているつもりになっているが、リベサヨ批判のためには『良い所もたくさんあった。リベサヨは思考が浅くてダメだ』とやっつけてやりたい願望が強い連中」
と言うのが本当に多いなと云うこと。
具体例を豊富に引いて平易に書かれた良い本なんだけれども、まったく読まずに批判しているのかと疑いたくなる 「オリジナルじゃないから悪」「目的が悪だから悪」 みたいな読み方をする人間に対する啓蒙としては、残念ながら無駄な努力に終わったと思うし、そういう連中はこれからも
「ナチスには良い所もいっぱいあった。 全面的否定をする奴等は近視眼的。 俺は賢いからそういう所もわかってる。 これって清濁併せ呑むってやつ?」
みたいな連中は減らないんだろうなと思う。
災害時における自助・共助・公助というのは、発災直後に必要な自助、発災後から行政の援助=公助が入るまでを繋ぐ共助、最後に公助の順番で機能するので、どれ一つ欠けてもいけないものなんだけれど、自助共助を強調すると行政の無責任をいきなり言い出したり、公助の充実を主張する人をフリーライダー呼ばわりして叩く連中がいるが、どちらも有害な存在だと思っている。
自助と共助に関しても、その組織化や啓蒙、資材準備の補助などについては行政の責任が大きく、広い意味においては自助共助も間接的には公助の一部に含まれる面があるが、行政による啓蒙などまで責任逃れとみなして攻撃するやり方は、人民の損害しか生まないだろう。 そうすることで政治的得点を得る連中もいるのだろうが。
Pawooが怪しくなってきたので、避難所的にこちらにアカウントを取らせてもらいました。
PIXIVでは駄文書きをしてます。(かなり不定期に)
https://www.pixiv.net/users/2217356