消費税に反対するのは「消費者」のイメージだけど、本来は事業者が反対すべきものなのかもしれない。「価格転嫁できてるからいいや」と考えているわけではないと思うけど…。確実に価格転嫁されたら価格が消費税分だけ高くなっているから「消費者」が反対するのは当然だけど、「消費者」が「増税だから」と反対するのは、ちょっと違うかもしれない。→「消費税は「預り金」でも「預り金的」でもない。いわば「第二事業税」ともいうべき税金」【判決確定「消費税は対価の一部」――「預り金」でも「預り金的」でもない|全商連[全国商工新聞]】 https://www.zenshoren.or.jp/zeikin/shouhi/060904/060904-1.html
政府が消費税に拘る理由はここにあるのかもしれない。すなわち、赤字企業にも納めさせることができる仕組みだということ。法人税や所得税の税率を増やすよりも税収が確実だからかもしれない。→「消費税はなぜこんなに滞納が多いのでしょうか。法人税や所得税はもうけが少なければ納める額が少ない、赤字なら納めなくていい。しかし、消費税は売り上げさえあれば赤字でも納めないといけません。似たような税金に源泉所得税(事業者が雇い人の給料から引いて納める税金)があり、これも滞納は多いのですが、消費税の滞納にはまったく及びません。なぜなら源泉所得税は、小さな企業なら社長、奥さん、身内、従業員の給料を我慢してもらい、賞与を出さないということで、税金の額も下げられる。消費税はそういうことは一切できません。
税務署は「預り金」なんだから、その分貯金しなさないと言いますが、これだけ滞納があるということは、消費税の転嫁ができず、貯金できない業者がいかに多いかということです」【判決確定「消費税は対価の一部」――「預り金」でも「預り金的」でもない|全商連[全国商工新聞]】 https://www.zenshoren.or.jp/zeikin/shouhi/060904/060904-1.html
2006年9月4日の記事。→「消費税が導入された平成元年に、サラリーマンが東京と大阪で裁判を起こしました。「免税事業者とか、簡易課税を採用し、税金をピンハネしている事業者がいる。自分の払った消費税が税務署・国家に入っていない。これは恣意的な徴税を禁止した憲法84条違反、同法29条の国民の財産権を侵害するもので、欠陥税制であり違法だ。損賠賠償せよ」と訴えた」
【判決確定「消費税は対価の一部」――「預り金」でも「預り金的」でもない|全商連[全国商工新聞]】 https://www.zenshoren.or.jp/zeikin/shouhi/060904/060904-1.html
地裁で「消費者は、消費税の実質的負担者ではあるが、消費税の納税義務者であるとは到底いえない」「(消費税の)徴収義務者が事業者であるとは解されない。したがって、消費者が事業者に対して支払う消費税分はあくまで商品や役務の提供に対する対価の一部としての性格しか有しないから、事業者が、当該消費税分につき過不足なく国庫に納付する義務を、消費者との関係で負うものではない」と確定。
( ..)φ→「(Q18) 端数処理の特例は、例えば、税込172円(うち税15円)と値札表示した商品を3個販売した場合に、15円×3個なので消費税相当額45円とレシート表示するというように単品毎に端数処理を行っても認められますか。」
「4.なお、消費税額の計算においてご質問のような単品毎の端数処理を認めることは、原則的な考え方による消費税相当額(税込受取総額の10/110(又は8/108)との乖離が大きくなり、また、ユニット価格商品(肉などの量り売り商品)では、例えば、100グラム当たりの表示単価を10グラム当たりで表示することによって、消費税額等が生じないような値付けも可能となるなどの問題があり、認められていません。」
【総額表示に関する主な質問 : 財務省】 https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/consumption/a_001.htm#18
問題:消費税込み500円の品を2個買いました。消費税は10%です。支払う金額は?
答え:1000円
解説:
ローソンで買ったから。
参考情報:
ローソン方式であれば、税込み500円の品を2個買うと支払う金額は1001円ではなく1000円。→「■税抜111円だと税込119円では?
もうひとつの「111円問題」は、実は今に始まったことではない。たとえばローソンのおにぎり(シーチキンマヨネーズ)は税込120円(税抜111円)で売っているが、これがヘンだという声だ。
どこがおかしいかというと、税抜111円に消費税8%を加えると、119.88円になる。切り捨てだと119円のはずだからだ。
「税込価格を基本にしているためです。また商品価格の端数は四捨五入での表示です」(ローソン担当者)
財務相の消費税に関するガイドラインによると、「消費税の端数をどのように処理(切り捨て、切り上げ、四捨五入など)するかは事業者の判断による」とある。
ローソンはセブン-イレブンとは異なり、増税後も現状と同じく税込価格の合計額を採用するので、「301円問題」は発生しないという。」【(3ページ目)消費増税でコンビニ大混乱「301円問題」と「111円問題」|日刊ゲンダイDIGITAL】 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/262202/3
問題:消費税込み500円の品を2個買いました。消費税は10%です。支払う金額は?
答え:1001円
解説:
消費税10%で税込み500円の品は税抜き455円でした。消費税が45円で税込み価格は500円でした。
2個買ったら消費税抜きで910円です。消費税は10%の91円ですから、支払う金額は910円+91円の1001円です。
消費税は事業者が支払って価格に転嫁していると考えると税込み価格500円には既に消費税が含まれて価格が決まっているはずですから、2個買ったら1000円を支払えば良いと考えがちですが、一部の小売店では税抜き価格の合計から消費税を計算して請求しますので、ご注意ください。
「 “女性だから”と言われてモヤモヤしたこと、給与がなかなか上がらないこと」「レズビアンは“性的なファンタジー”として描かれることが少なくなくない」こと。「このドラマは『こんなふうにモヤモヤした気持ちになるのは自分だけかも』と思っていた人どうしをつなぐ力を持っています」
https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0029/topic097.html
幼少期からの性別への違和感。当初「同性愛者かも」と思いその後トランスジェンダーだと自覚する過程。親へのカミングアウト。ホルモン治療や手術の大変さや制度的な壁、二次性徴抑制剤という選択肢。「彼らが悩んだ末に選び取った決断は尊重してあげてほしい」重要な記事。
https://nordot.app/966224457617195008?c=39546741839462401
「日本国民は多様だ」ということを証明するのはめちゃくちゃ簡単だけど(憲法と法律の定義だけでもそれがわかる)、「日本国民は人種・民族・言語・文化的に単一」ということを証明することのほうがめちゃくちゃ難しいだろう(というか科学的にもどう考えても無理なことだ。超偏ったサンプリングによって抽出された偽りの「単一」ならいくらでも疑似科学的に出てくるだろうが)。
「保守」と呼ばれる人々は単一であるということをよりどころあるいは自分たちの強さや自信につなげたいために頑ななのかもしれないけど、自分たちの生まれた大地の歴史や社会や人々の営みをシンプルに度外視しないでほしい。
差異は悪いことと教育を通じて教えないでほしい。差異はただの現実の状態のことで良いとか悪いとかいう水準のことではないから。それを悪いとか劣っているとかいうことは、それを支配や抑圧や搾取につかおうとする意味でとても政治的な行為だ。
めっちゃ長文になっちゃったけど、もうちょっと自分のテーマに戻ってきて、ちゃんと自分のテーマで発信する機会を増やしたい…!この最後の一文が言いたかっただけで、ぐだぐだ長いグチになってしまいました
「日本人」という言葉だって明治期になって広がったわけで、そもそも江戸時代には「藩」の意識が強かったし、各地を「くに」といっていたわけだし。たとえ一時的に鎖国になっていても、実際に制限された中でも他との国交は続いていたわけだし。インドから大陸や朝鮮半島を経由して伝わってきたヒンドゥー教や仏教のカルチャーが奈良というかつての首都を作ったわけだし、その時代からすでに通訳者や移民の人々は活躍していたわけだし。同じ沖縄県でも、沖縄と宮古と八重山ではそれぞれの言葉やカルチャーも全然違う。宮古の中でも池間の人々は自分たちを「池間民族」と言っていて、やっぱり差異がある。
文化だけではなく、言語も、文化・風習も、食べ物でさえも、決して「単一」とは言えない豊かな多様性もあるわけだから、そういったことをもっと深掘りして「日本人とはなにか」を考えて行ってほしい。
「日本人とはなにか?」「本当に単一なのか?」については、個人的には、マイノリティを鏡にするんじゃなくて、自分自身で調べたり深掘りして行ってほしい。
自分はクォーターだけど、自分に対していつも「米国人のおじいさんの背景や経験」について聞いてくる人は、自分自身のお祖父さん・お祖母さんの経験についてもまずは調べたり考えてほしい。自分のお祖父さん・お祖母さんが生きてきた社会状況はどんなだっただろうか、どんな言葉遣い(言語)だっただろうか、どんな文化や習慣があっただろうか、そしてそれよりも以前の人々は…?
日本だって大日本帝国の時代には混合民族だといっていてそれが主流だったわけだし、歴史を辿ればアイヌや琉球だけではなく、隼人や熊襲や蝦夷と呼ばれていた人々がいたというし。朝廷側に抵抗していた人々、大和民族の支配に抵抗し続けていた他の民族がいたわけだし。戸籍や制度や抑圧から逃れ続けた山に暮らす「サンカ」と呼ばれた人々。大和に抵抗することで妖怪扱いされた土蜘蛛と呼ばれる人々。
もしかしたら例えば、ジェンダーの研究者で、女性運動について研究してきた人を講師として呼んだ時に、「あなたの研究は、翻って『男性とは何か?』を知ることにとても役立つので、そういったメッセージやお考えをお話してください」となった経験がある方もいるかもしれない。
セクシュアル・マイノリティがテーマで活動や研究を続けている人に対して、「『異性愛とは何か』をメインにお話をしてください」となった経験がある方もいるかもしれない。たしかに、マジョリティという状況に置かれることが、社会的に優位な構造的背景によって、差別と抑圧の加害側になり得るということを理解することやそういった点を伝えることは大事だとも思う。
でも、自分自身に対して「『日本人』とはなにか?」ということを聞きたい人たちの背景には、「マイノリティを鏡にして、自分たちの姿を映したい」という状態を設定したい欲求があるように感じるから、おそらく違和感を感じるのかもしれない。
でもだんだんと、『日本人とはなにか』については、まさに自分自身が「日本人である」ということに何の疑いもないし「単一民族・単一言語・単一文化が2000年も続いてきた」という政治家の言葉にまったく何の違和感も感じない人こそが、しっかりと現実はどうなのか、政治家のこういった言葉がいかに虚構であるのかを調べて発信していくべきなのではないかなと思ってくるようになった。
なぜ「ハーフ」「ミックス」の研究者に、それをメインで話をさせてくれないのだろう。なぜ、いつもマジョリティ側の自己アイデンティティを問い直すことに自分の研究やマイノリティの人々の経験が使われてしまうのだろう。
そういう思いが強く巡るようになってきた。
やはり自分の成績や進退についての権限を持っている立場の人からそういわれると、(在学を長期化させる経済的余裕もないし、早く卒業して就職しなければという状況に置かれていたから)評価も重要であった自分には、そういった方向に分析をおこなっていくようになった。
しかし心のどこかでは、どちらかといえば「日本人とは何か」と追求していくことよりも、初心にあった「ハーフ・ミックスの歴史や経験について」知りたい調べたい伝えたいという思いが強かったから、葛藤や矛盾を抱えながらも、研究の中で日本人論・日本文化論なども調べて行った。
こういったことをやってきたからか、イベントでも、論文でも、寄稿でも、自分は「ハーフ」をメインに話したくても、自分に「『日本人とはなんでしょうか?』というメッセージを発信してほしい」という依頼や期待がすごくきてしまう部分がある。
そのため、その研究の領域の中に、「混血」や「ハーフ」の居場所をちゃんと確保して、議論を「わかりやすくする」ために安易な二分法で現実を遮蔽してくれないように、なんとか批判を繰り返していくしかないというような感じで研究を続けて行った。
だからこそ、もちろん研究のフォーカスは「ハーフ」「ミックス」と呼ばれる人々についてだった。
どんな歴史背景があって、どんな経験をしてきたのか、そういったことを明らかにしていくのが、自分がやりたい大きな研究のモチベーションだった。
そんな中、
あるときゼミの先生に、私の研究は、「『ハーフ』の経験を明らかにすることによって、それが『日本人とは何か』という点を明らかにすることにもつながるから、そうった側面についても議論を進めてほしい」と言われた。
こう言われた自分は、「たしかに『日本人』を問い直すような研究にはなるかな」と思い、そうったことを論じるあるいは発信する必要があるのかなと思い、研究の方向性や論の進め方もやや方向が変わって行ったように思える。
ただの長文のグチです。。。
研究を始めた大きなきっかけの一つに、
日本には「ハーフ」や「ミックス」「クォーター」などと呼ばれる人々はたしかに暮らしているし、メディアにも登場しているのに、
こういった人々をテーマにした研究が、他のマイノリティ(特に所属していた移民研究・国際社会学では他の移民ルーツのマイノリティの人々)の研究と比べてとても少ない(というかほとんどない)という点がとても気になったからだ。
(あえて二分法的な言い方になってしまうけれど)研究者である「日本人」が「移民」を「研究対象にする」という調査の設定のなかで、しらずしらずのうちに言葉の含意に、「多様な背景があるのは移民」のほうで、「日本人」はそうではないというような設定が紛れ込んでしまっていて、いわゆる「日本人」の側にも多様なバックグラウンドが当然現実としてあるんだよということが忘れ去られるというか気づかれていないというか意図的に隠されているという状態になっていることが多くて、そういった研究の論文や書籍を読みながらうける小さい傷がたまるし、そこに居場所がないと感じるような研究のセッティングが多かった。
束ね法案
安倍政権下で強行採決された安保法案は外形上は2法案でしたが、既存の法律改正案10本を1本に、新法1本をまとめた束ね法案でした。この2本だけの法案審議時間がカウントされ、個別法案審議が短くなり十分な質疑が行われないことや、評価できる法案とできない法案が束ねられ採決判断にも影響が出ます。
安倍政権以降、この国会審議を軽視した束ね法案が多く出されるように。
今日の参議院本会、障害者総合支援法案等の審議入り。
目的も改正点も異なる5法案の「束ね法案」で審議も拙速。立憲の打越さく良議員が1963年の池田内閣が閣議決定した2以上の法案審議要件を欠くと指摘すると
「そんなこと言ってるからダメなんだ」
と自民党の大臣経験者参議院議員の野次。
重要な法案の提出が遅れた理由、束ねた理由、審議時間の短さを続いて問うと
「昔の社会党以下だな」
と、吐き捨てるかのような野次。
その後、静かになったと思ったら居眠り。
精神障害のある方への法制度を「個人の尊厳の尊重を守る」ものにと主張する打越議員の大半の質問、政府答弁には全く関心がないようで。
せめて、聞いてから野次る作法をもてよ、と言いたい。
インボイスの激変緩和措置(負担軽減策)によって、あたかも事業者負担が軽減すると主張する与党税制調査会と、その主張を肯定的に報じる大手メディア。それは「比較対象のすり替え」によるミスリードであることを図解しました。
https://juninukai.theletter.jp/posts/a1f58070-745c-11ed-a8f2-6da30623968b #theletter
「戦時中、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者に「虹波[こうは]」と呼ばれる薬剤が投与され、9人が死亡したことを示す文書群を同園が初めて開示した。同園で治験が始まったのは1942年末。静脈注射や筋肉注射、座薬などあらゆる投与法が試された。入所者の長州次郎さん(95)は、紫色の錠剤を一日3錠飲まされた経験を入所者自治会機関誌「菊池野」などにつづっている。」
あらゆる投薬法で「七転八倒」「遺骨は青く」 熊本・ハンセン病療養所で「虹波」人体実験 園長の目の前で…入所者が証言 菊池恵楓園|熊本日日新聞
https://kumanichi.com/articles/874658
「昭和戦中戦後くらいのハンセン病関係は人体実験を始め、この手の話が気が遠くなるくらいわんさか埋まってるからな(日本近代医療史の一番暗い闇)非人道的なのは言うまでもないにしても、驚くかと言われれば最早驚けない」というtweetを拝見した。
言いたいことはわからんこともないのだが、自分はあえて何度でも新鮮に驚くように練習している。そのうえで、いきなり歴史的な解釈にいくんじゃなくて、まずは感性的な出発点を文字にしておくようにしている。そうしないと感覚が麻痺しちゃって、「あーそれ知ってる。驚くのはニワカ」的に流してしまいかねないのがイヤなので。