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私もマイルズ のルス解釈は好き。私もCPではなくて自分なりにルースター単独の物語を書けたらいいなあって思う。ルスハン、ハンルスの後はそれ書けたらすごい満足しそう。

数の呪縛からだいぶ解放されてきたら、SNSが使いやすくなってきたような気がしているよ。

日常に入りこむというよりも、無関心になるという方が正解かもしれないな。一つ壁に隔てられただけで、その向こう側のことは自分には関係のないものになる、というより関係のないものにできてしまう。それが日常になればなるほど。

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人間というものについて、というと語弊があるかもしれない。人間の持つ負の特性は簡単に増大し、それがシステム化されることで完全に日常に入り込んでしまう。それ自体の怖さも、経験して学んでも尚、時が経てば同じことを繰り返すその愚かさも。

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そしてそんな作品を観てきたその足で、好きな店に入って服を見、食器や雑貨を見、一人紅茶飲みスコーンを食べながら感想をポストする自分にも、とても人間というものを感じさせられている。

目の前の生活の映像の背後にずっと流れているあの"音""空""色"忘れられそうもない。

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『関心領域』観てきました。私はあまり映画館で観るべきみたいなことを言わないんですが、時々これはできれば映画館で観た方がいい、あの暗がりの中、外からの音も遮断されそこに映される画と音だけに集中できるあの空間でなければ、伝わるものが半減するのではないかと思うと言いたくなる作品に出会う。この『関心領域』がまさにそれでした。そしてとても怖い映画でした。あの時あの場所で起きていたこと、そして人間というものについて、この描き方で伝えてきたジョナサン・グレイザーはすごいな。音響賞の存在の意味もこの作品がそれを受賞したのもとても納得できる。

WOWOWいったいどれくらい加入しとるん?っていうくらい、何かの件でカスタマーセンターに電話問い合わせした時に対応してくれた方からも、本当に長い間ご契約継続いただいてありがとうございますって言われたくらい、それほど長く(まあ惰性ともいう)続けてるけど、映画を録画して年に一度オスカーをライブで見るだけになってるし、さすがにもういいでしょう。来月から休止してオスカーあたりにまた復活して…くらいで。これから二年くらいは毎日観て丁度いいくらい録画してる映画の円盤あるし。配信もこまめに出入りするの面倒くさくていくつも加入したまま半分も活用できてないし、お金もったいないよねーって、ようやくそういう気持ちになってきた。恥ずかしいくらい馬鹿だ私は。

映画やドラマだけに限らずかな。色んな話題で、それに追いついて何か言及するのはもういいかなって感じ。

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ああ…これ、わかるわ…。もう最近はピンポイントな自分の興味の方向性とタイミングが上手く合致しないとそのままになることも増えた。とても。

Rumi さんがブースト

祭になってる評価の高いドラマや映画は早い段階で追いつかないと絶賛と批判とそれぞれに反対する意見とさらにさらにさらに!これもこれも!わたしはわたしは!な意見がどんどん流れてきて情報オーバーフロー状態になり本体に追いつくことなくなんとなくネガティブな印象だけが残るので、多分いいんだろなと思いながらタイミングを逃して見る気が無くなる、みたいなの起こしてる人は多いんではないか。私がそうなんだが

美味しくできたのでこっちでも見てほしくて。
久しぶりにものすごく食べたくなって、里芋のそぼろあんかけ作りました。里芋は別に煮転がしといて、そぼろあんは別鍋でことこととろりっとね。私は椎茸が好きなので加えられる時はどうしても加えてしまう。
また料理の写真をポストしようかなって思うくらい心が落ち着いてきたってことなのかも。

ジム終わり。少しずつ少しずつまたコンスタントに運動続けられるくらいの心身の状態になってきたってことかな。何かしらを競うスポーツと違って勝敗の関係ない運動はつくづく私向きだなあって思う。

ジム帰りの空。最近はまたコンスタントにジムに通えるようになってきた。歩いて通える距離がありがたい。運動と睡眠、今の私にはものすごく大切だなあと実感しているのでした。趣味を出来得る最大限楽しむためにも。
(フィルターも調整ない自然光の今の空)

ゴールデンウィーク中に夫と話して、いよいよ壁紙張り替え、窓周りのリニューアル、水回り(キッチン・浴室・トイレ・洗面所)の適宜リフォームやクリーニングを始めようという結論に至り。勿論数社見積もり取って予算と照らし合わせて交渉して今回見送るものは見送ってってやるわけだけど、私そういうの思いっきり苦手。夫はすごく上手い。だから任せたいけど、奴はとにかく仕事で忙しく飛び回っているから結局私がやらなきゃならない。少しでも快適な生活空間にしたいのは切実な思いなんだけど、気が重い。

このところ同人関連で色んなことが流れてきて、私はそれに関してはなにも言及していないしこれからも特にするつもりはないんだけど、こんなにも特別な世界だったのかって今更ながら少し怖くなっている。私はあまりにも気楽に足を踏み入れ過ぎたのかも知れないなあと。繊細であり、その繊細さが時にお互いの間に深い溝を作ったり、排除に向かったりしてしまうのかなと。
二次創作は当然全てではないにしても解釈も表現も大幅に個人の自由が許されている世界だと思っているので、他人に書くなとかそんな装丁はおかしいとか、お前は参加するなとか言えるものじゃないという、私はそういう捉え方をしているんだけどそれでいいんだよね。だとしたら自分の嫌いなものや苦手なもの、許容できないものは極力自分の目に入らないように、自分なりに工夫したり決断したりするしかないと思っている。自分が好きなものを好きなように書ける自由と、そこに生まれる密かな満足感を私は愛しているし、今はもうそれだけでいいと思っているよ。

ハンルス作家さん、通販されるとしたら皆さん6月のハン許なのかしらって思っていたらもう始めてある方もいて、わあよかった〜間に合ったって慌ててぽちっとさせて貰った。にこにこ。他の方の新刊もなんとか迎えられますように。アンテナしっかり張ってよね自分。すぐぼーっとしちゃうんだから。

ほんとに忘れた頃に見るんですよね。不思議。まあ潜在意識のなんとかかんとかなんだろうけど。

年単位で長い間見続けてる同じ夢ってあるよね。三つくらいあるかなあ。忘れた頃にまた見るみたいな感じに、気づけばもう長いことそれを繰り返している、そんな夢。何かしら意味があるなんてこともよく言われるけど、もう今では意味なんて考えていない。たまに夢の中でも、これは夢なんだけど現実もこれと同じで目が覚めてもここにいるんだって思っていて、そして本当に目が覚めた時にちょっとだけ混乱する。あれ、これ大丈夫なの私?って最初にその感覚体験した時は不安になったりもしたけど、それも今では、ああまたあの夢かって頭のどこかで理解しつつ夢を見続けている。だから目が覚めたらちゃんと夢と現実は切り離されているし不安になんてならないけど、その先を確かめたいのにいつもその前で目が覚めてしまうというもどかしさと格闘する羽目になった。

Rumi さんがブースト

これという一つの原因があるわけではないのだろうけど人に物を教える立場になって感じるのはみなさん心理的安全性がない環境で育ったんだろうなということ。答えを引き出すのにこちらがものすごーーーーく目線を下げてやらないとなかなか答えを言わない。間違えることに対する畏れが染み付いている。
逆の立場で専門外のことに関してこちらがあれこれ意見や考えを言うことに対する風当たりも強いなと思う。(お前なに様だよと言われ続けて幾星霜。)

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