森奈津子について「昔は好きだったのに……」というツイートを昨日から何件も見た。
買ったこともない人が「もう買いません」と言うよくあるネット仕草じゃなくて、具体的な媒体名や作品名を挙げてる人が多くて、おそらく昔は本当にファンだった人達。
体感だけど、森奈津子のファンは、少なくない割合でセクマイ当事者だったんじゃなかろうか。
1990年代後半〜2000年代前半に、あれほどしっかり笑えてしかもしっかりエロいレズビアン小説を書いてくれた作家はいなかったと思う。
セクマイの読者がセクマイのまま楽しめる小説を書いていた人が、セクマイについてヘイトスピーチをまき散らすようになってしまった、というギャップのせいで、他の作家が同じ状態になるよりも読者が受けてるショックが大きい感じがする。
私も、何度も読んだ作品やサインをもらった本なんかもあるけど。
もう、さすがに処分しようと思います。
立憲・泉代表の乃木神社行ったよツイート、「なんでそんなことしたの???」っていう真意を知りたいなとどんよりしながら思うよ。「そんなこと」っていうのはつまり、なんでそのツイートをしたのかっていうことだけど。
一般市民ですら、特にフォロワーがある程度多ければ余計に、「このツイートはやばいこと言ってないか」って自分の投稿を懸念するし、「たぶんこれ呟いたらこういう反応返ってくるだろうな……」っていう想像はまあ、しませんか? 政党の代表がそれ考えないでツイートしてるんだったらそれはそれでやばい。「乃木神社ってなんかだめなの??(きょとん)」だったとして、いや神社本庁の超ド級差別も公になってて、それでそこまで『神社関連のツイート』に無頓着でいられるのはやべえだろ、ってなります。
泉代表のインターネットに対する意識がどんなもんなのかわからないのであれだけど、「いやいや考えてるよ」ってなったら、それはその……あえて乃木神社を選んで、そしてその選択に「特に懸念するところはない」っていうことになるの?? それはやばくない? それともこれに反応するかどうか試してんの??? それもやばくない??
と私は思っちゃう。つまりどっちに転んでも「なんでそういうことするんだよ………………」なんですよね………………。
公的な受託事業Aと自前の事業Bを運営している事業者があったとします。
で、例えば事業Aで、調査とかイベントとか特定の目的のためにボールペンを大量に買ったとします。
調査やイベントが終わってもまだ使えるボールペンは、通常、委託元(発注者)に返還したり捨てたりせずに、事業Aで引き続き使うでしょう。
でも、ボールペンを「事業A用」「事業B用」に分けて使うのは大変な手間なので、ボールペンは事業Bでも使われてしまう。それは厳密に言えば「流用」でしょうが、そんな細かいところまで管理して事務負担を増やしても誰一人得しないので、委託元も問題視しません。
助成事業や受託事業を含む複数の事業を運営する場合、こういうことが山のように出てきます。
しかも、小規模事業者の多くは人手や設備等様々な資源が不足しているので、事業の質を上げることと事務処理を厳密に行うことがしばしば対立します。無理して両立しようとすれば、長時間労働やストレス等で健康を害する人が出てしまいます。
私が昔の個人的な経験から感じたのは、小規模事業者が公共事業を受託するということは、「事業の質」と「事務処理の質」と「事業に関わる人の健康」のバランスをギリギリ保ちながら、綱渡りして進んでいく感覚だということです。
Twitterで敵もそれなりに多いインフルエンサーになった人がオンラインサロンを主宰するのは、余程の自制心がないと独善的で攻撃的な側面を助長して時に深刻な事件を起こす原因になると思う。事例はもう数え切れないほど。
オンラインサロンは大体自分を崇拝する人が集まるから何かやっても嗜める人は少ないし、いたとしてもその人が排除されたり内側で攻撃される。んでもって外は敵だらけという状況で完全に「俺たちとあいつら」構造が作られるので、それで健全なメンタルを維持できる人の方が少ないのでは。
で、2つ前のトゥートにも書いたけど、葭本さんは、カワダさんのtweetがアンチフェミと同じものではない、と気づいて、一度謝罪しかかったことがある(親しいわけでもない相手に勝手に愛称をつけてタメ口で呼びかける動画をリプライで送り付ける形だったので、当然相手は謝罪とみなさなかった)。
一方、カワダさんは、作品名を出しながら曖昧な言及をした点についてはtweetで謝罪した(個人的には、謝罪するほどの事ではなかったと感じているが)。
このあたりから、互いに相手の背景を理解できていなかったことが相互に確認できていたら、「行き違い」レベルで収まったかもしれない話だと私は思っている。
……そう。松崎さんと石川さんが、それぞれ独自の解釈で話を無理やり総括しようとしなかったら、こんなごちゃごちゃした話にはならなかったんじゃないかと思うのだ。
一方、葭本さんの感想に対して様々な指摘をした人達(その中には昔からの葭本さんや石川さんのアンチもいたようだが、ここで私が言いたいのは、主にトランスジェンダー、ノンバイナリ等の当事者やそのアライの人達)にも、独特の背景や文脈があったと思う。
近年、トランスジェンダーへのバッシングが本当に酷くなっている。特にtwitterでのトランスヘイトはどんどん苛烈になって、トランスジェンダー当事者やその周辺の人も、支援者も、ほとほと疲れてしまっている。
そんな中で、『トランスジェンダー問題』という当事者をエンパワーするような本が、短期間で日本語に訳され、出版され、話題になった。この現象は、トランスヘイトに反対する人達にとっての希望だ、と受け止められたと思う。
で、発端の葭本さんの『トランスジェンダー問題』への感想には、本に中指を立てた写真が添えられていたのだ。私は、写真を見て瞬間的に「希望の代名詞のような本を侮辱された」みたいな気持ちになったし、同じように感じたというtweetもいくつか見た。
石川さんの言う「『トランスジェンダー問題』でのSWに関する記述に対してもっと多角的に見るべきだ」との葭本さん等の指摘(私はそうは読めなかったが)がそのように受け止められなかったのも、こうした背景があったからだと私は思っている。
四十路のQueer
ガチャピン似の狛犬好き
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