石川さんのtweetにもあったけど、葭本さんやトレメンドスサーカスの皆さんが、アンチフェミみたいな人達から攻撃を受け続けていて、その攻撃の内容から「芝居を観ずにあれこれ言われる」ことに非常に抵抗がある、という背景はわかるし、それにはおおいに同情する。
カワダさんや他の人が行った葭本さんのtweetへの言及や指摘が、そうしたアンチフェミと同じ文脈から出てきたものに見えてしまったのも、それ故に強く反論したくなったのも、その時点では無理もないと思う。
だけど、やり取りの中で相手をミスジェンダリングして居直ったり、アンチフェミと同じ文脈だというのが誤解と気づいたときに相手をふざけた呼称でからかいながら謝罪?をしたり、「ノンバイナリはトランスジェンダーに含まれない」と断言する動画を送りつけたりしたら、そりゃあ差別的でパワハラ的な言動だと感じる人は続出するでしょう。
で、tweetが差別的でパワハラ的だと多くの人に指摘された葭本さんは、書籍の内容に言及する時は該当箇所を引用すべきという指摘や、一部抜粋の動画を観たけれど自分には合わないと感じたという感想を、自分の差別的でパワハラ的な言動と同じくらい酷いものだと主張した。カワダさんには謝罪要求までした。
一方、葭本さんの感想に対して様々な指摘をした人達(その中には昔からの葭本さんや石川さんのアンチもいたようだが、ここで私が言いたいのは、主にトランスジェンダー、ノンバイナリ等の当事者やそのアライの人達)にも、独特の背景や文脈があったと思う。
近年、トランスジェンダーへのバッシングが本当に酷くなっている。特にtwitterでのトランスヘイトはどんどん苛烈になって、トランスジェンダー当事者やその周辺の人も、支援者も、ほとほと疲れてしまっている。
そんな中で、『トランスジェンダー問題』という当事者をエンパワーするような本が、短期間で日本語に訳され、出版され、話題になった。この現象は、トランスヘイトに反対する人達にとっての希望だ、と受け止められたと思う。
で、発端の葭本さんの『トランスジェンダー問題』への感想には、本に中指を立てた写真が添えられていたのだ。私は、写真を見て瞬間的に「希望の代名詞のような本を侮辱された」みたいな気持ちになったし、同じように感じたというtweetもいくつか見た。
石川さんの言う「『トランスジェンダー問題』でのSWに関する記述に対してもっと多角的に見るべきだ」との葭本さん等の指摘(私はそうは読めなかったが)がそのように受け止められなかったのも、こうした背景があったからだと私は思っている。
で、2つ前のトゥートにも書いたけど、葭本さんは、カワダさんのtweetがアンチフェミと同じものではない、と気づいて、一度謝罪しかかったことがある(親しいわけでもない相手に勝手に愛称をつけてタメ口で呼びかける動画をリプライで送り付ける形だったので、当然相手は謝罪とみなさなかった)。
一方、カワダさんは、作品名を出しながら曖昧な言及をした点についてはtweetで謝罪した(個人的には、謝罪するほどの事ではなかったと感じているが)。
このあたりから、互いに相手の背景を理解できていなかったことが相互に確認できていたら、「行き違い」レベルで収まったかもしれない話だと私は思っている。
……そう。松崎さんと石川さんが、それぞれ独自の解釈で話を無理やり総括しようとしなかったら、こんなごちゃごちゃした話にはならなかったんじゃないかと思うのだ。