安倍の病気いじりは論外として、安倍は明らかに病気を都合よく利用してたから、本当に害悪でしかなかった。
IBDとしてはかなり軽症な方なのに、あれが典型例だという誤った認識が広まってしまったし、厳格に食事制限してる人も多いのに、安倍がそんなこと全く気にしてないかのように油物や刺激物を食べまくっていたお陰で理解も広まらなかったし、安倍の在任期間中に難病患者の自己負担額も増えたし、認定基準も引き上げられて補助が受けられない人が増えたのに、軽症扱いで弾かれそうな安倍は先端医療にアクセスできる立場だったし、海外で良い薬が出ても厚労省の認可は相変わらず年単位で遅れるし、ただでさえ安定した職に就くのが難しいのに、安倍が仮病としか言いようのない状況で2度も病気を理由に職務放棄したお陰で「難病患者はすぐに仕事に穴を開ける」というイメージだけが定着してしまった。それなのに、穴開けても許されるのは安倍だけという不条理。
まあ、本当に仮病だったかどうかはわからないけど、あんな短期で寛解する例が他にあるんか?とか、頑なに診断書出さなかった医者は偉かった、って思ってる関係者は多いと思う。
スマホアプリと連動して設定した目的地にアナログ針で進む方向を指示してくれる機能ヤバい。 https://youtube.com/watch?v=IZqAAJI5ais&si=MP3NnS1-nTvYlZ_l
ツイッターのほうで書くと荒れるかもなので、こっちだけで。
元ジャニーズ事務所の会見をどうみるかは、まず「会見にでてきたひと」をどうみるかという点からかなり影響を受ける。「故人の後始末を押し付けられた被害者」とみるのか、それとも「被害の拡大や被害者救済に責任をもつ組織の責任者」としてみるかで、会見に対する見方はかなり違ってくるはず。
もう一つ、個人的により関心があるのは「記者会見」に対する思想の違い。今回、東京新聞の望月記者と一緒に批判されているのがARC TIMESの尾形聡彦さん。朝日新聞の記者時代に出版した『乱流のホワイトハウス』(岩波書店、2017)には、尾形さんの記者会見観がよくでている。
尾形さんによれば、日本の記者会見に比べると、ホワイトハウスでの記者会見では大変に厳しい質問が飛ぶ。会見というのはいわば記者と取材対象との対決なのであって、どういう質問をするかで記者の力量が問われる。
1次請負2次請負とあってその下で個人事業主が配達するという構造と、それを社会が許していることがそもそも間違っていると思う。
Amazon配達員33人がボイコット プライムデー巡る待遇に不満 | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20230929/k00/00m/020/266000c
https://smart-flash.jp/sociopolitics/252825/1/1/
>また、仮に1万円の現金を給付すれば、国産ブレンド米25キロを買ってもお釣りがくるが、それでも174億円で済むのだ。しかし、東京都がJA全農と契約した金額は、見積経過調書によれば、それよりはるかに高い約268億円だった――。
小池ぇぇぇ…
マーケットと芸術 これは非常に難しい問題だが、 通常 直結するものではない。芸術家本人にとっては特に。
あえて、 ビジネスとしての成功をテーマとして表現をしたウォーホルのような作家はいるけれど、あれは芸術の権威というものに対する反骨のようなもの。
大阪出入国在留管理局は、問題の医師が退職した事でその他を有耶無耶にして幕引きしようとしているのか、組織解体すべき。
酒に酔って診察した大阪入管の常勤医 「暴言や誤処方」複数の証言:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASR953JX7R94PTIL00J.html
ヤマト、配達員3万人委託を終了 24年度末までに | 共同通信
https://nordot.app/1078249631925583987
〈委託先には既に終了方針を伝えており、10月にも転職支援サイトを設けて求人情報を提供する〉とあるけど、この「委託先」には「契約を満了した個人事業主」も含まれてるのかな。
だとしたら、「個人事業主」を実質「雇用」していたという自白に等しいように読めるのだけど(もっとも、「求人情報」が「雇用契約を前提とする求人情報」かどうかわからないけど)
この「個人事業主」はインボイス発行事業者の登録をヤマト運輸から求められたりはしないだろうか。インボイス発行事業者の登録をしていなかったとしても、報酬額は従来どおり支払われるのだろうか
またか
高市氏側、交付金不記載 党本部から150万円 | 共同通信 https://nordot.app/1078567972400055256
そもそも、フェアな批判や議論の原則として、罵倒や対人論法やトンポリや根拠レスな否定や権威主義的な言説は、本来全てアウトでしょ。
どれも鳥籠サイトとかで「インフルエンサー」が使いまくってる誤謬のテクニックだし。言論による民主主義を標榜しながら、そういう不誠実な論法を採用するのは自己矛盾にしかならないと思う。まあ、「誤謬を駆使してくる相手に対してその誤謬を反適用して論破する」みたいな話なら、別に良いと思うけど、相手を見下して罵倒するだけとか、批判にすらなってないし。
「行為を批判して、存在は否定しない」とか、「属性だけで他人をジャッジしない」みたいな基本にも立ち返ってみる必要があるんじゃないのかなぁ。
いやまあ、選挙で勝つための戦法としてなりふり構わずあえてやってる、とかならまだ良いんだけどさ。
渡米して16年経つのか。
最初は本当に2、3年のつもりだった。車社会も文化のない米国郊外の暮らしにも全く魅力を感じでいなかった。
別に当時の東京での勤労子育て生活が特に良かった訳でもないけれど、こちらから日本を見ていると、気候変動、最低賃金、黒人差別の問題、女性への性加害など、「口にしても誰も聞いてくれない」状況がどんどん変化し、各業界の組合もストを打つようになるなど、黙殺されていた集団からリーダーが台頭しているのに対し、日本の歩みがあまりに遅いなあと感じる。
いつの間にか米国生活のデメリットより、日本社会にもう長くは住めないなあという落胆が上回るようになってしまった。
日本人が極端な変化を望まない気質なのは仕方がないとして、生活に不満があっても大半が無関心なのか無気力なのか、対岸から見ていてもどかしい。
免許、返納したくてもできない人がたくさんいると思うけどな。老人になって一日三、四本しかないようなバスで買い物に出て、家からもスーパーや病院からもバス停が遠い、ってなったら逆に高齢者って車乗るしかなくなってくるんだよな…。
田舎で家族のいない老人は、車に乗るしかない、という世界線だなと思ってる。乗らないと生存できない。
高齢者になっても、買い物や病院に行くというのは生存における権の一つだと思うけど。そして家族がいたとしても、家族に知られたくないような場所に一人で出かける権利もある。
車に乗るのが不安なひとが車に乗らなくても生活できる世界を作る話にはならなくて、車に乗らなくても生活できる人たちや、いま不安なく車に乗ってる人たちが、「車」というものを通して、身体的/精神的機能が衰えてきた人たちから自由な生活を取り上げようとしてるし、体力がないひとたち、判断力が乏しい人たちが車に乗らんくていい社会が整備されてないなと思う。そこをまず整備してほしい。
医師の宿直を労働時間から除外、労災認められず 「ここまでやるか」 - 毎日新聞ニュース
https://mainichi.jp/articles/20230922/k00/00m/040/300000c
当り前のことしか言わないお花畑脳