(続き)歴史上の男女夫婦と、その時代背景にあるジェンダー格差の話(長いので畳む)
その夫婦がその社会の価値観をどう内包しているかは色んなケースや解釈があろうと思うけど、たとえば2人の絆が深いと思われるケースであっても、その時代の価値観に沿う範囲に収まるとしても本気で互いを大事に想い戦ったとか、本人たちが個として対等であっても周りがそう扱わなかったとか、どういう形であれ社会で幅を利かせる価値観から完全に自由ではないと思うんだよな…
あと現代から見ると偏っていたり差別的であったりする価値観を当時の彼らが肯定的に、または無自覚に内包していたからといって、そのことが彼らを下げるわけではないとも思う
むしろ当時のありのままを描く手間や覚悟も、その時代を生きた人を描く上でのリスペクトの形の一つじゃないかな…
逆に、過去の時代を生きた人を現代基準で断罪することと、過去の時代を生きた人を深く考えずに現代ナイズすることは、前者は攻撃的で後者は無害に見えるけど、根本的には結構近い態度じゃなかろうか、と思う
歴史上の男女夫婦と、その時代背景にあるジェンダー格差の話(長いので畳む)
話題の中心とはずれるけど、男尊女卑がスタンダードの時代背景において、そのジェンダー格差に無自覚なまま男女の夫婦が美しく対等であることってあんまない気がするし、18世紀仏の思想家なんかもそれは顕著だけど、史実夫婦推しの人のうちどのくらいがその辺のジェンダー観意識して折り合いつけてるもんなのかな
(時代や個々の関係性にもよるだろうとは思う、あまり興味がないのでわざわざ観測しにはいかないが…)
個人的にはそういったジェンダー格差をしっかり時代背景として折り込んでいくなら、むしろ史実男女夫婦だからこそ描けるものもたくさんあると思ってるんだけど、だからこそそこを透明化してしまったら歴史ものでやる意味が半減してしまわない?と思う
どういう価値観の社会で生きている(た)のかって、その人物の大事な構成要素だと思うから……
「歴史を学ぶこと」「好きになること」「対象を肯定すること」って全部別だと思うんだけど、歴史/擬人化創作になると「全て肯定すること」が「オタ」として「推し」に対する"正しい姿勢"みたいになるの嫌すぎる
「二次元と現実の区別つけて」っていうのと同様にこの辺りの区別つかない人が歴史とか土地の擬人化とかやるのめちゃくちゃ危険なことだと思うよ
【日記】女性客だと勝手にご飯少なめにされるやつ(いいはなし)
よく行くお好み焼き屋さんでご飯のおかわり頼んだら「少なめで?」と聞かれて、思わず「あ、はい…」と返してしまったんだけど、店員さんがその返事に何か感じ取ってくれたのか、ちら…と私のちょうど半分残ったお好み焼きのお皿を見、ややあって、普通に一杯分まるまる入れたご飯を持ってきてくれた
こういう偏見…までいかないけど多数派に合わせて十把一絡げにしたルールで運営してるお店って割とあるし、少数派に属する場面をたくさんもつ人はそれだけ不便も多かろうと思うけど、今日の私は目の前の人にとって一番いい対応をしてあげたいという気持ちが伝わってくれば、それだけで十〜〜〜分嬉しい……と思いました
(そもそも私がおかわりください言う時に「量普通で」って言えばいいだけだしね…!気を遣わせてごめんの気持ち)
うちの猫がンなァァ〜〜〜ォンと鳴きながらあくびするのがめちゃくちゃ面白くて可愛いから録画したいんだけど、狙って撮れるわけじゃないからめちゃ難易度高い 未だ叶わず
映画『窓ぎわのトットちゃん』2回目鑑賞 感想②
(続き) また、この雨のダンスシーンは、2人の暮らしに戦争の影が色濃く侵食してきているのを感じさせると同時に、人を搾取するためのわかりやすい標語をチープに見せる構図にもなっている。現実と、トットちゃんとやすあきちゃんに見えている世界が重層的に描かれるこのシーンでは、「撃ちてし止まむ」のポスターが楽しげな極彩色のネオンのおこぼれを浴びているカットなどが入るが、このカットは小林先生が軍艦の表を破り捨てるよりも、はるかに痛烈に唾棄していると思う。
大好きなシーンは山ほどあるけれど、個人的にはここが一番好き。その次にトットちゃんが初めてトモエ学園の電車の校舎に乗った瞬間の特殊アニメーション。その次は、この続きに書くつもりの、トットちゃんが葬儀会場を飛び出してトモエ学園まで走るシーン。このシーンについてはまだ言葉がまとまらないので、もう一度見てから書けたら書きたいなと思う。
映画『窓ぎわのトットちゃん』2回目鑑賞 感想①
先週末、上映が終わる前にと思い2度目の鑑賞をしてきた。やはりすごい!文学的で澄んだ表現、それらが現実世界と重層的に映った瞬間の凄みに圧倒される。チャンスがあればもう一度見るつもり。
トットちゃんは手の込んだ特殊アニメーションのシーンも圧巻だが、通常アニメーションの延長で描かれる曲に合わせたアニメーションシーンも素晴らしい。
中でも私のお気に入りは、自由が丘駅前、トットちゃんとやすあきちゃんが雨の中の水溜りで踊る場面だ。雨と戦争で澱んだ街に非現実的な極彩色のネオンがぱあっと灯る様子など、現実世界のカメラから、ほんの少し垣間見える2人の心の中の楽しさが、言いようのない救いを感じさせる。
この映画は全編を通して、小林校長先生の「蛙が池に飛び込むのを見たのは芭蕉だけではなかったはずだ。世に恐るべきものは、目あれど美を知らず、耳あれど楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば燃えもせず……の類である。」の教えが見る人に優しく叩きつけられる作りになっていると思うが、このシーンは特にそれがわかりやすい。
そんな小林先生のリトミック教育が2人に共通言語を与え、2人を楽しませ、心を救ってくれたのだと息を呑む。もちろん、痛みを伴いつつではあるが……。
水都百景録(江南百景圖)の漫画や絵 (桂英さん宗保さん夫婦多め)/ ときどき町活🌺 20↑/ 映画感想/ 美味しかったごはん/ 転載禁止Do not Repost.(boostはOK) / 歴史創作はお休み中 / フォロリクお気軽に🙌
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