MARUZEN&ジュンク堂札幌店で、今「ジェンダー」を読み直す、という満島さんの選書コーナーをみてきた。かえるのともだちの本とか、レオ・レオニの絵本とか大好きだし、けっこう意外な出会いがあった。「AIの遺電子」「毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである」「フランケンシュタイン」の3冊を買ってきた。
前回のセクシュアリティの選書同様、直接的にLGBTQの本というわけではない本が多く、しかもけっこう昭和の本とか古典が充実。じぶんはフランケンシュタインがわりと好きで数年前に演劇で観たときにかなりトランスの話っぽく感じてたので、この際出会い料として買うことにした。短歌は最近おもしろいからみてみてもいいかなと思ったけどヤクザ短歌を超える出会いはそうそうないのかもしれない。(全共闘短歌を勧められていて、それは気になってる)
かにかま新聞11月号では12月公開の『劇場拡大版 ヤジと民主主義』を紹介しています。観るとぐぐっと社会を見る角度が変わる映画です。警察批判、ジャーナリズム批判の作品でもあるけど、私たち市民の側もしっかりしなきゃーと思いました。zine「ポイズン通信DX3」も合わせて読むと倍楽しい!
【文学フリマ東京37 出店のお知らせ】
「トランスジェンダーを知るためのブックガイド」が、文学フリマ東京でも配布してもらえることになりました。(おばけのスタンプ屋自由研究。全8ページで無料です)
委託先はF-13ぐらぐらぐらし工房さん。「ぐらぐらぐらし」はじめ、すべてのzineがめちゃめちゃ良い!!生まれる前からずっとファンでした!!
私が最近メロメロの事件、道警ヤジ排除問題を語る新刊「ポイズン通信DX3」も委託しています。プラカードを掲げることすら警察に取り締まられるやばい国にしないために、ぜひお手にとってみてください。
11/11(土) 12:00〜開催。入場無料!
東京流通センター第一展示場F13ぐらぐらぐらし工房
イベント詳細→ https://bunfree.net/event/tokyo37/ https://c.bunfree.net/e/abV
【文学フリマ出品のお知らせ】「トランスジェンダーを知るためのブックガイド」が、文学フリマ東京でも配布してもらえることになりました。(おばけのスタンプ屋自由研究。全8ページで無料です)
委託先はF-13ぐらぐらぐらし工房さん。「ぐらぐらぐらし」はじめ、すべてのzineがめちゃめちゃ良い!!生まれる前からずっとファンでした!!
私が最近メロメロの事件、道警ヤジ排除問題を語る新刊「ポイズン通信DX3」も委託しています。プラカードを掲げることすら警察に取り締まられるやばい国にしないために、ぜひお手にとってみてください。
11/11(土) 12:00〜開催!(入場無料!)
イベント詳細→ https://bunfree.net/event/tokyo37/ https://c.bunfree.net/p/tokyo37/32418
遠藤正敬『新版 戸籍と国籍の近現代史』明石書店
新しい版が出たからめっっちゃ期待して読んだのに、ショックを受けている。
新版でも、「性同一性」の誤用、「性転換手術」「元女性と女性の婚姻」など差別的な言い回しが今回も引き続き使用されている。
2013年版では「性転換手術(現在では性別適合手術)」と記載されていたのに表現が後退してない?
いや、「性別適合手術」が使われてる箇所もあるな。うーん??もしや著者は、現在の手術を性別適合手術、2004年以前のものを性転換手術と呼びわけている?
いやいや!だったら戸籍の性別変更後の子の出生届けのところで「性転換して戸籍上の性別も変更した男性が」って言い回しにはならないでしょ。なんなの。ご意見送るしかねえな?(学者に文句つけるの怖い)
私は、性別変更後に新戸籍を作らされるのは、戸籍法的に必要性があるのかを知りたかったんだよ…
遠藤正敬『新版 戸籍と国籍の近現代史』明石書店p.283-286
講演感想。
🌱LGBT法の「理解」は多数派からの「許可」のようなものとして意味を奪われてる。私たちの求めているものは単に知識を持ってもらうことというよりも、自転車の乗り方を身につけるような実践知としての「理解」。例えば、さん君で呼び分けないことのような実践とコミュニケーションを繰り返し、差異のある人々が互いに一緒に生きていける社会を作ろうとする「約束」をしていくこと…🤔(よく、カミングアウトは一回で終わらないって言うの、それだな)
松岡さんとか三木さんとかの書くものを読んでると、いろいろ知識を得たり、こんな風に言えばいいのかーと言葉を身に付けたり、共感したりもやもやが解消されたりしてすごく好きなのだけど、自分、知識や言語能力とかにばかり注目しがちだったのを反省した。
活動をしていたり、目立つところにいたり、研究してる人たちは大きな負担を負っている。登壇者たちの空気感として、疲れている感じがした。例えば松岡さんの記事にはたくさんネガティブなコメントがつくし、三部さんの調査でもわざわざ差別的な返答がくる。徒労感のあるコミュニケーションをどれほど重ねてきてるんだろう…。(あと、差別に抗う実践という意味では実は日常のなかでふつうを問うことの力って大きいのかも。自分のこのぶすぶすした不満も何かの力に変換可能?)
ノンバイナリー。北海道に住んでいる。野菜をたくさんたべる。SNS、もうわからない…