突然ネットが繋がらなくなり他にすることもないため予定していた買い物と洗濯をしに外出
洗濯は、地震後は兵庫県養父市からの応援職員の方々が長いこと移動ランドリーを設営してくれたお陰でとても助けられた 今回は給水目的で訪ねた体育館の横に洗濯機が数台と温水シャワーが設置されてることに気付き、利用してみようとなったワケです 週末はどうか分からないが平日の午前、1台だけ使用中だったが残り2台を使わせてもらい、溜まりに溜まった靴下やズボン類など洗って気持ちはすっきりと晴れたが問題は干す場所 平生使ってるところはダンプが通る度に土埃が巻き起こってとても干すことはできない、部屋干しは湿気で無理、ちょっと場所を探さなくちゃ‥
株はやらん方がいいですよ、とゆってる。
やってる方は今日も気が気でなく仕事が手につかないんじゃないか。
文民から「現役の軍人であってはならない」と。これがシビリアンコントロールを約束するとはとても。
QT: https://fedibird.com/@knappertsbuch/113222912594549290 [参照]
あれだけ放流してるのに、鮭の回帰率の激減は本当に深刻。
https://www.youtube.com/watch?si=KOn6NFZ856YAgxZ6&v=yv0Q5NCctqY&feature=youtu.be
憲法改正とか言う人は、自民党の憲法改正草案、ちゃんと読んでるのかね。
特に9条の新設4、5項は自衛隊自身や軍事機密を統制するものを法律で定めるとしている。
自然、前のように新たな憲兵組織が創設される筈。
国防軍と内閣の関係も深く書いてない。
現役武官制度が軍事国家化した過去の反省は全く生かされていない。
防衛大臣と内閣総理大臣が兼務されたら?
25年前に通読したルソーの『告白』を再読。なんと、7-8割方記憶から消えていた😭 。
ま、しかし大部の書物を思ったより早く読めたのは、かつて読んだ記憶が+になったのかも、と考えることにする。
ところで、自伝というジャンル、丸山眞男が『福翁自伝』に関して「自伝というのは嘘を書くに決まっているのです!」と断言したように、現在の書き手の視点から意識的・無意識的に再構成されるもの。文学理論的にはこれを「自伝契約」と呼ぶ。
例えば加藤周一さんの有名な『羊の歌』はサブタイトルに「自伝的小説」とあるように、明確に小説的部分がある。
ただし、1930年代日本ファシズム下の閉塞した状況の内側で一青年がどう感じたか、という点では史料的価値は高い。
ただし、歴史史料として扱うには他の同時代的史料による裏づけは当然必要になる。
ただし、ルソーのような大思想家の場合は、意図的な「嘘」、あるいは叙述の配列によって与えようとする物語に、思想家の感受性、思想の質が現れるので、それ自体独立して分析の対象とできる。
ただ、ルソーの『告白』、現在日本の「普通の」基準から見ると、かなり驚きを与えるだろう。ここは「歴史的距離」をもって読むことが必要である。
旧陸海軍の軍法会議制定の経緯を辿ると、やはり憲兵や軍人勅諭などの流れになる。
https://www.nids.mod.go.jp/publication/kiyo/pdf/bulletin_j9_2_3.pdf
A qualified Psychiatrist, working in Tokyo.
love classical music, trout fishing and nature.
Never War.