すぐやめそうなアジア番のお前には会いたくねぃと(NATO)https://news.yahoo.co.jp/articles/31141ce6492cfa75de2f2a542b117056ce599bc8
しかし、村上隆はともかくとして21世紀に入って、落合Jrやスプツニ子!が「アーティスト」を自称するにようになったのは、「劣化二乗」という所だろう。
落合陽一は「身分制にもいい所がある」として古市ともに、「民主主義解体」を鼓吹し、スプツニ子!はネオ・リベエリートに「バラエティー」と(代理母出産の可能性)」を提供する、といった具合である。
こうなってくると、「芸術家」というよりは「芸能人」であり、その辺りのことも自覚して「アーティスト」などと名乗っているようだ。
サブカルの中でも比較的多様性があると思われる漫画にも最近自称「脳科学者」中野信子原作のものが侵入していると聞く。
中野信子と言えば芸能プロダクションに登録・TVレギュラー、昔外で食事中「アジア人で主体的に思考できる人は2割以下と脳科学で証明されている」とTVで話しているのを聞いて椅子から転がり落ちそうになった。
この人は三浦瑠麗と違って、一見「政治」的な矢面には立たなず、反感も持たれにくいのか、着実にキャリアを積み重ねているが、彼女の振りまく「脳科学」言説の「いかがわしさ」は三浦瑠麗と「どっこいどっこい」である。
芸能とて近世には権力と距離をとっていたものだが、現代の「芸能」は文字通り権力の幇間に堕した(吉本を見よ)。
ショスタコーヴィチの5番は革命の名前で広く人口に膾炙されているが、音楽は本質どこまでも反革命。
QT: https://fedibird.com/@knappertsbuch/113487759359791734 [参照]
「協力する奴いないだろ」ヒグマ猟友会が駆除拒否報道で広がる同情の声「あんな理不尽な判決出されたら…」 | 女性自身
https://jisin.jp/domestic/2395921/
”11月14日、北海道猟友会が、自治体からのヒグマ駆除の出動要請に原則応じないよう、現場で対応に当たる全71支部に通知する方向で最終調整していることが報じられた。
ヒグマ駆除をめぐっては、北海道砂川市で’18年8月に市職員と警察官の立ち会いのもと、市に依頼されてヒグマを駆除したハンターの男性が、“銃弾が住宅に届く恐れがあった”として道公安委員会から猟銃所持の許可を取り消された。これによって同市で30年以上、保護や駆除を担ってきたベテランハンターは、引き金を引けなくなった。”
「ともに兵庫、稲村和美」の世話人の津久井進(兵庫県弁護士会会長、兵庫県弁護士憲法9条の会代表)です。」として
以下のX上の訴えが回ってきた。
「#兵庫県 をめぐるWeb界隈は、誹謗中傷やデマが飛び交う大荒れ状態です
私たちの公式後援団体のアカウントも、組織的一斉通報攻撃によって凍結されるという被害を受けました
まさに偽計業務妨害罪にあたる違法行為です
tomonihyogo.jp/info/745/
私たちは、警察や選管とも連携し、毅然と対応する所存ですが、
そうすることによって、すべての陣営が公正な選挙活動を展開し、まともな民主主義社会を兵庫に取り戻したい、その一心なのです。」
これにN国の立花が現地に乗り込み、統一教会が支援する、というのだから、もうこれはほとんど「ゴロツキ」集団だな。
この発信の主の津久井進とば私は中学・高校の同級生である。
私と違い、温和な性格で23歳で司法試験に合格してからも基本、穏健で着実な道を歩んできた。
阪神大震災にあたっても、常に住民側に立って、法的訴訟や住民運動に関わってきた男である。
ここまで来ると「民主主義のレッドライン」まであと一歩しかない。しかし、勝利すれば杉並と並んで非維新・非自民のモデルとなる。これは兵庫県だけに留まる問題ではない。
「現代美術家」の村上隆が川口のクルド人に対する「紛う事なき」ヘイト・スピーチを行っているとのこと。
村上隆は1963年生、私にとっては「現代美術」における東浩紀のようなもので、元来全く評価できない男であり、ここでも繰り返し批判している日本の男中心のサブカルチャーの「反PC」の一翼を担っていると見做していたので、その意味では驚きはない。
80年代消費社会+ポストモダニズムの観点から言えば、村上隆は1993年に「美術における『意味の無意味の意味』をめぐって」なるものによって、「芸大日本画科で初めての博士号取得者となった」らしいが、これは「いかにも」である。
これは芸大日本画家の先生達には訳の分からぬ「現代思想ジャーゴン」をそれこそ「無意味」に並べ立てただけだろう。
しかし、村上隆は元来「論外」なのだが、サブカルだけでなく、日本の「アート」一般の低迷は眼を覆うばかりである。
元来「アート」は権力の周辺で批判的ポテンシャルを爆発させたものだが、これも80年代消費社会の中で完全に体制化された。
特に「アヴァンギャルド」を自称していた空間にそれが該当する。これはある程度世界的に該当する傾向であり、歴史家ホブズボームが『20世紀の歴史』の中で「アヴァンギャルド死す」の章を設けた所以である。
via @wildestbutts #Photography #Photographie #Fotografie #Nature #Wildlife #NaturePhotography #WildlifePhotography
A qualified Psychiatrist, working in Tokyo.
love classical music, trout fishing and nature.
Never War.