エール大学にいた物理学者の方から直接個人的に伺ったのは、アインシュタインはめちゃくちゃ筋肉マッチョメだったという事実。
クリストファーノーマンは詰めが甘い。
ハモ、アスパラガス、とうもろこし
#好きな天ぷらを答える見た人もやる
例えばリチャード・ドーキンスや進化生物学のS.ピンガーなどは堂々と「生命の目的は自らの遺伝子をできるだけ多く残すこと」などと断言します。こうした言説は英語圏ではリベラルにも深く浸透している。
しかし、果たしてみなさんの心に問いかけて「イエス」の答えは出るでしょうか?勿論「ノー」の方が大多数の筈。
というのも、「生きる目的」は、各自の「意識」=「心」によって決定され、また変更されるものだから。まず一般的に言えば科学は「目的」を探し出すための情報システムではありません。
ヒトの特徴は、この「生きる」目的の「意識=心」相関性とその不安定性にあるとも言える。
であるから、生きる「目的」を考えないようにする、あるいは「マジョリティ」に流れに身を任すことで「不安」を紛らわす、という選択も起こります。
かつてパスカルはヒトが最も恐れること、それは「暇」ができることと述べました。その「暇」を埋めるために、貴族は宮廷であれこれ社交を創りだしているのだと。
しかし、最後の最後では生きる目的は自分で決めるしかない。この問題に蓋をすると、「自由からの逃走」ではないが、AIに「目的」を決めてもらおう、という倒錯も起こりかねない。
デジタル・ファシズムの源は私達の「こころ」にもありそうです。
子どもが人喰いアメーバを気にしてプールを嫌がるけど、案外マジだったか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/76d0e6e2d6c710382940b41622534ad1b076f6b4?page=2
アイスランドが国民の遺伝子情報を一企業に委託していることはご存じの方も多いのでは。
映画「湿地」はこの状況を背景にしたサスペンス映画。サスペンスとしても良くできていますが、その過程で「生命倫理」的な問いを浮かび上がらせている、という点でもうまい映画だと思います。
それにしても、「新生児医療」に携わっている友人から、アイスランドでは、現在、ほぼ「ダウン症」がゼロで移行しており、おそらくそのままの率で進むだろう、という話を聞いて複雑な気持ちになったことを思い出しました。これはもちろん、「出生前診断」によるものです。
昨今、「確信犯」のメディアのみならず、世間、あるいは学生のなかにも、むやみに「遺伝」ですべての問題を語ろう、とする傾向が強まっていることには危機感を感じます。
とくに医学部系の学生は、ほぼ完全にそれがデフォルトになっており、ほとんど優生思想と区別がつかない場合も多い。
現在の優生思想は新自由主義による格差の正当化に明らかに寄与しており、新自由主義と優生思想との共犯関係を批判する必要性を強く感じます。
とりわけ、分子生物学者や遺伝学者(の一部)はみずからの「学問」の「エビデンス」を逸脱して事実上「優生思想」に踏み込んでいる場合も多く、きわめて深刻な問題だと感じます。
さて、カルヴァン派・ルター派が強い地域は、歴史人類学的に見ると、宗教改革以前から三世帯同居、一子相続が多数派の地域でもある。さらに家父長権が強いローマ法継受が行われた地域でもある。尚イングランドはローマ法継受を拒否したが、スコットランドはローマ法継受が行われた。
このあたり、家父長権が先か、プロテスタントが家父長権を強めたのかは、「卵と鶏」的な難しさがある。
確実に言えることは、プロテスタントの拡大は、グーテンベルクの印刷術と連携し、識字率の上昇と軌を一にしていること。
これはプロテスタントが「聖書」だけを教義の中心とし、「読むこと」を重視したことに拠る。
ただし、この場合聖書を「読む」権限は家長に委ねられる。これがまた、プロテスタント地域で家父長権を強化することに繋がった。
また、一般の家長が聖書を読むために、新約聖書のドイツ語、英語などへの翻訳が行われる。これが近代国家語の原型となる。
逆にカトリックはラテン語聖書(ウルガタ)の翻訳を死をもって禁止。となると、聖書についても教会に来てお話や壁画で知る他はない。またカトリックのマリア崇拝や聖女伝説などをプロテスタントが全て禁止したことも女性の地位低下に繋がった。
尚、「資本主義の精神」との関係はまだ論争の決着はついていない。
A qualified Psychiatrist, working in Tokyo.
love classical music, trout fishing and nature.
Never War.