IMFが「日本は変動相場制を堅持を」と声明を発表。
しかし、IMFがわざわざこんな生命を発表する、という程、日本の「円安」問題は深刻、ということだろう。
IMF理事会は「金融政策の正常化という歴史的転換期」と表現しているらしいが、これは「アベノミクス」とやらの名目での日銀の国債引き受けを「やめる」ということ。
これは勿論必要な事ではある。しかし、急にやめると国債価格は暴落(利率は上昇)、これは住宅ローン金利にも跳ね返る。また利率が上昇する、ということは、基本中小企業の倒産をある程度容認することを意味する。ただでさえ、現在大企業と中小企業の格差は急拡大している。
基本多国籍企業である大企業は、為替変動を海外での業績でバランスをとれるし、円安による輸入物価上昇を価格に転嫁できるが、国内市場で回っている中小はそうはいかない。
まさに「前にも進めず後にも引けず」、絶体絶命とはこのことである。
安部政権、まさに「我が亡き後に洪水は来たれ」とはよく言ったものである。
おやおや、柄谷行人さんの中で平野謙の位置づけがまた上がったらしい。忙しいことだ。
平野謙と言えば、同時代の日本語の小説はほぼすべて読む、という批評界の「淀川長治」。勿論、不得意分野もあり、その最たるものは「近代文学」同人の埴谷の「死霊」だった。また島尾の「死の棘」を最初評価し損なったのは「痛恨の極み」というところだろう。平野、狂気に触れる言語はあまり得意ではない。
戦後直後の平野謙・荒正人のプロブレマティークについては1998年「政治の不可能性と不可能性の政治」で論じたが、その後26年経て「応答」なし。
実は、柄谷さんは「荒正人再評価」を口にし始めたが、周囲の茶坊主に「止められて」やめてしまった。
これは「サルトル」評価とともに日本の思想言説が大学も批評界も全くあてにならないことをはしなくも証明した。
勿論、私はそれを「証明」するためにもサルトルと戦後思想を研究対象にする、と30年前に宣言したわけだけれども。
しかし、インテリは、如何に「自分でものを考えられないか」ということを痛感する30年だった。要するに流通している「紋切り型」でしかテクストに向き合えないのである。
ところで、平野は人生の最後にハウスキーパー問題に回帰。思想に芯がある人だった。単に小説が好きな人ではない。
ねっ! 維新に「褒めるとこ」なんてどこにもないでしょ?
維新・吉村共同代表、「0歳児に選挙権」を衆院選の公約にする考え『毎日新聞』
https://mainichi.jp/articles/20240513/k00/00m/010/143000c
昨年の夏にコロナ罹患して以来、それ以前とは体調のベース部分に違いがあってずっとなんとなく違和感があり続けている。加齢のせいもあるけどコロナ禍でそれが加速度的に強まった感じがする。やはりあれはヤバい病気ですよ。
A qualified Psychiatrist, working in Tokyo.
love classical music, trout fishing and nature.
Never War.