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Kiyopp さんがブースト

「はだしのゲン」、平和教材から削除

うーん、これ昨今の流れからして、「削除ありきの前提ではない」という市教委の主張、にわかには信じがたい。

「浪曲」が今の子供にはわからないーだからこそ、当時の時代を理解するきっかけにもなるのでは?

ゲンたちが困窮のあまり、他人の池の鯉を盗む描写、誤解を与えるー何言ってるのだ!そこまで困窮している、ということを伝えることが必要なのでは?

この有識者たちの「識見」に従えば、困窮したジャン=ヴァルジャンが姉の子供たちのために「一片のパンを盗んだ」設定の「レ・ミゼラブル」も不適、ということになる。

去年か一昨年、広島大学学長が日経の一面使って三浦瑠麗と写真入りで「平和」について対談して大学広告をしており、ひっくり返ったことがあった。

広島でも「有識者」と一般市民の感覚に大きな開きがあるのでは?

実際、2000年代の「君が代・日の丸強制」でも、広島では板挟みにあった校長たちが相次いで自殺する、ということがあった。

今の市教委の校長たちはその際、良心の呵責なしに強制に協力して出世したのではという疑惑を禁じ得ない。

まあ、『はだしのゲン』は若い人みんな知らないから。義務教育が機能してないのに平和教育とか言われてもね。個人的には『はだしのゲン』よりも学校に行かないことをおすすめします。
はっきり言って、権力が子どもに戦争に行かせたいだけの教育なんていらないでしょう。

とにかく若い人たちには「選挙に行こう」としか言ってない気がする。お金、暴力、下ネタには反応せず。そういうおっさんがすっかり貴重になってしまったヘルジャパン。こんな国にして若い人たちには申し訳ない気持ちでいます。

近所の若い人たちが慕ってくれるのはおっさんとしてはありがたい限りなのですが、実は仕事してないキモ金おっさんとしてバカにされているのも知っています。若者の社会に対する不安をもの言わず引き受けているだけです。

自分が歳をとっただけかもしれませんが、昔より今の若者の社会ではホモソーシャルが強固になった気がします。考えてみれば、ちょうど2000年代のジェンダーバックラッシュの時に子ども時代を過ごした世代ですね。ちょうどイラク戦争のジャーナリズムにおける自己責任バッシングが吹き荒れた時に育っている世代です。そりゃ権力やマジョリティ中心の体制を信じて疑わないはずですね。

若い輩とつきあってると、彼らは一発当てて故郷に錦を飾ってやろう的なノリで戦争に行く気マンマンだね。家族想いの思いやりのある輩ばかり。それでいて「人権」という言葉を考えもしないで嫌う。洗脳が成功してるから。彼らのいる限り自民党は安泰だ。国は滅びるけど。

Kiyopp さんがブースト

Elon Musk hasn't exactly tried to hide his raging narcissism, but the latest meme he tweeted, likening his tweets to a somewhat sexually suggestive scenario involving milk...

Well, see for yourself here: comicsands.com/elon-musk-sexua

サディズムとマゾヒズムが同居できない世界になりました。世界はすっかり精神病化してしまいました。科学技術の発展に比例して、こころは壊れてしまいました。

「話しやすい」って、若い人に言ってもらえるのはほんとうれしいです。

おれは、おれだからぁ、おごってもらえんのぉ

岸田は国民を「アリ」と思ってんだな。
はぁ〜?

Kiyopp さんがブースト

2年前にLGBT理解増進法案の阻止へ圧力をかけた安倍氏、一度でも法制化すると同性婚に繋がる「アリの一穴になる」と。岸田首相は周辺に「今は理解増進法案以上のことをやるつもりはない」萩生田氏の周辺は「今は野党やマスコミが盛り上がっているので、少し冷却期間を置く」。

結局、深刻な差別の被害を解決するつもりはなく、少しでも効果のある法律を作ると「同性婚の容認に繋がるアリの一穴になる」というのが反対理由の根幹。どれだけ世論が差別禁止法や同性婚への賛成が多くても、社会の実態を捉えようとはしない。これでは本当にG7など開催する資格ないのでは。

「G7で同性婚ないのは日本だけ」に対し、保守系議員は「憲法上の制約があるのは日本だけ」と反論しているが、これは誤り。婚姻平等をめぐる訴訟の各地裁判決でも、現行の憲法下で同性婚の法制化は可能と。衆議院法制局も憲法がむしろ同性婚を要請しているとの考えは「十分成り立ち得る」と答弁済み。
mainichi.jp/articles/20230214/

BT>学校臨床の経験上、学校でのトラブルに保護者が介入してくるとろくなことがなく、子どもの傷つきが深まるだけだと思っています。それだけ学校に子どものこころを理解できる、少なくとも理解しようという姿勢のある大人がいないということなのですが。

Kiyopp さんがブースト

いじめってのは根が深いもんで、小学校3年生のとき、集団でいることに興味のない人間だった私は、明らかに担任から嫌われて?目をつけられて?いて、教室で級友の作文が破られたとき、明言はしないけど「私のせい」という雰囲気を作られてしまった。今思えば、特定の友達のいない私はターゲットにしやすかったんだろうね……結局は最終的に親が介入して解決したけど、20歳超えて、全然違う場所でその担任を見たとき、燃え上がるような憎しみを感じたね。いじめてからかってきた同級生よりも、救ってくれなかった大人に対して、こんなにも深い憎しみを感じることがあるのか。と、今でも思い出すことがある。

「ヤラセ」とは「演出」で、現代社会においては自己演出しなければ生きていけないということなのでしょう。
精神分析的にはそれを「偽りの自己」(ウィニコット)と言います。社会適応のためには必要な防衛ですが、「偽りの自己」はいずれ破綻します。

BT >まあ、「活動家」には直接会わないと理解できないと思います。会ったら会ったで「ヤラセ感」感じるんですけど。
臨床でも初めてお会いする方に対しては「ヤラセ感」を常に感じます。でも、その「ヤラセ感」にその人の本質的な困りごとを理解できる手立てがあるのだと思っています。逆に言えば、直接会わなければ「ヤラセ感」はほったらかしになるだけで、フェイクニュースばかりがネットの海に垂れ流されることになり、「活動家」もただの偽善者、もしくは犬笛吹きのピエロにしかならないのでしょう。

Kiyopp さんがブースト

個人はとりあげても「活動家」はとりあげない問題
全くその通りなんだけど、

「活動家取り上げてもいいんだよ」とか
もっというと「個人が自然にそういう動きをした結果、活動になっていった、というストーリーがなければ、活動家の呼びかけで起こった社会の動きにはヤラセ感がある」とか
そういうイメージ持つのやめようよ、と「言う」にはどうしたらいいんだろう、と思う。

言うというか、聞いてもらうには、活動家の声では、だめなんだよな。

あとそもそも、ヤラセ感、なぜ持つのかを考えてみていい気がする。
私らだって、ネトウヨが変な動きしてる!とか、犬笛行為に乗ってる!とかは、ヤラセ感、感じるじゃん?
自分の賛同する運動はヤラセ感あってもいいんだ、ってのは、何か違う。
意義のあることであればヤラセ感を感じない、んだとすると、意義を理解してもらってない人にはヤラセに見える。それでいいのか。

どうすりゃいいのか。

BT>メディアの「当事者」への寄生ですね。そうすることで報道としての責任を回避しているのでしょう。
結局のところ、自分たちマジョリティとしては理解できない人たちとしてマイノリティを見ているのが透けて見えます。報道の中立性というのが強者から弱者への視点でしかなく、そこから動かない、動くつもりもないということです。
日本の「思いやり」道徳教育の成果です。人権教育を蔑ろにした成果です。

Kiyopp さんがブースト

松岡さんのご発言には同意しかないのですが、それとは別に、こういう時必ず「当事者の」って出さずにはいられないマスコミの扱い方、なんとなく私は好きじゃないです。

もちろんさまざまな問題についてその問題に直接関わる人々の見解に耳を傾ける必要があるというところからの「当事者」なのは分かるのですが、でも「当事者」なら誰でも良いわけじゃなくて、松岡さんはっきりアクティビストでありライターですよね。

にもかかわらず「活動家」的なイメージを回避して「当事者」を押し出したいジャーナリズムの雰囲気があるように感じていて、それがなんとなく気持ちが悪いです。

「まさに、そこの中心となるのが「差別の禁止」という規定がない。これは端的に言うと、家の土台がないまま家を建てようとしているような状況で、深刻な被害に対して、「差別を禁止」という土台がないとまず守られないというのもそうですし、公人の発言など差別的な認識を持っている人たちが広げる理解って一体何だろう?というような疑問もあるので、誤った理解を広げられてしまう懸念もあるかなと思っています。」

newsdig.tbs.co.jp/articles/-/3

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