虐待、学校に相談せず75% 「聞く側意識変えて」、民間調査
https://nordot.app/998101631494750208
ほんとそれな。
"成田悠輔が国内の声でなく外圧でテレビから追い出されるのに虚しさを感じる。
三浦瑠麗を良識ではなくスキャンダルでしか降板出来ないし、安倍晋三を選挙ではなく暗殺でしか排除できないし、太平洋戦争を原爆落とされるまでやめられなかったこの国。
とことん自浄作用がなく、総括ができないんだな。"
https://twitter.com/naka_naka_3/status/1624781502226796549?s=46&t=SZKcXdgsu37Xn-yriNtVQQ
『社会で孤立したり、コミュニティからはしごを外された(ように感じた)りした人間が、何かにすがっていく過程には普遍性があるように思います。しかも現代のグローバリズムは社会の同質性を破壊し、格差を拡大していく。そこで新たな絆(きずな)を求める人に手を差し伸べるのが、カルトや陰謀論です』
https://wpb.shueisha.co.jp/news/politics/2023/02/13/118491/
「発達障害」にしても「愛着障害」にしても「依存症」にしても「PTSD」にしても「パーソナリティ障害」にしても、診断名は単なる記号に過ぎません。記号は共通言語にはなっても状態像全体を表すわけではありません。ある枠組みの中に入る安心感はありますが、単なる記号に自分を押し込めてしまってももったいないです。
現代では精神疾患の薬物療法が発展し、ある程度診断名が共通言語として有用にはなりましたが、それでも特に精神疾患においては薬物療法は対症療法に過ぎず、しかしだからこそ自己診断では危険を伴い、精神科医の診察と処方が必要なのです。
そして精神医療へのアクセシビリティを高めるために公認心理師や臨床心理士がいるはずなのですが、日本ではいまだこれらの資格が機能していません。これではアクセシビリティが高まるはずもありません。つまり診断名にこだわる前に精神医療やカウンセリングへのアクセシビリティを高めることのほうが先なのだと思っています。
インターネット上のフェミニストは自ら積極的にフェミニストになろうとしたわけじゃなく、(ネット上では特に過激な)ミソジニーの構造上、フェミニストにならざるを得なかったのかもしれない。その消極的とも言えるネットフェミニズムは、同時に自らの女性性を奪われる不安を喚起させる(実際の性暴力被害のフラッシュバックの場合もあろう)。その迫害的とも言える不安の対象は、消極的だからこそ、マイノリティであるトランス女性に向かうのかもしれない。一方、シス男性のトランスヘイターはただミソジニーを発動しているだけであり、ヘイト行為をすることで自らのサディズムを示しているだけであろう。いずれにせよ、そこには個人の発達のアセスメントも社会の構造のアセスメントもなく、アンビバレントな葛藤を抱えられない行動化でしかないように思える。言い換えれば、二元論的構造の呪縛である。
今のトランス差別の状況を見ると、やはりフロイトの「ペニス羨望」の概念は間違ってないのかもしれないと考え直しています。ただし、フロイトはフェミニストからの批判を「ん?あーあれ?あれは苦しまぎれ」とかわし、時には逆ギレもしつつ、結局マチズモ(≒ペニス)に忖度してしまったわけですが。それでもフロイトは身体性を引き受けることの難しさは感じていたように思います。フロイト自身、身体性を引き受けられなかった医師であり、だから精神分析技法を開発したと言えますから。つまりフロイトの精神分析理論は精神分析技法のためのこじつけであるが、しかし歴史的に見ればそのこじつけは個々人が身体性を引き受けるためには必要なこじつけであったと。そのこじつけに多くの女性の人権を踏みつけてきたとしても。
he/him Nothing about us without us harm reduction You'll never walk alone