『逆さに吊るされた男』田口ランディ (河出文庫)
『掃除婦のための手引き書 ルシア・ベルリン作品集』ルシア・ベルリン 岸本佐知子/訳 (講談社)
『薬屋のひとりごと』12巻、13巻、2巻 日向夏 (主婦の友社)
読了。
私はおどろいて「だってバカじゃないか。こっちはちゃんと左を下ってるんだ。見通しのきかないカーブで霧も出ているのに右を平気で上ってくるなんて、バカだ。キチガイだ。自衛隊はイイ気になってるんだ。あたしはバカだよ。バカだっていいんだ。バカだっていいから、バカな奴をバカと言いたいんだ。もっと言いたい。もっと言いたい。とまらないや」と、今度は主人に向って姿勢を正して口答えした。すると、どうだろう。主人はもっと大きな声をあげて「男に向ってバカとは何だ」とふるえて怒りだしたのだ。おどろいた。正面衝突されそうになった自衛隊に向ってバカと言ったのに、私の車の中の、隣りに坐っている人が自衛隊の味方をして私に怒りだすなんて。車の中にもう一人敵が乗っているなんて。「そんな眼をするな。とに角、男に向ってバカとは何だ」と重ねて言う。問答無用といっ た風に怒っている。私は阿呆くさいのと、口惜しいのとで、どんどんスピードが上ってしまい、山中湖畔をとばし、忍野村入口の赤松林の道をとばし、吉田の町へ入ってもスピードを出し放しで走る。(続
『富士日記(上) 新版』武田百合子 (中公文庫)
(本文引用 ※差別表現があります)
「籠坂峠を上りつめたあたりから霧がある。山中湖への下りにかかり、スピードがついてくると、見通しのきかないカーブで、自衛隊のトラックが、センターラインを越え、まるっきり右側通行して上ってくるのに、出あいがしら正面衝突しそうになる。自衛隊と防衛庁の車の運転の拙劣さには、富士吉田や東京の麻布あたりで、つねづね思い知らされてはいるが、あまりの傍若無人さに腹が立って「何やってんだい。バカヤロ」とすれちがい越しに窓から首を出して言った。すると、どうだろう。主人はいやそうな目でちらりと私を見やって「人をバカと言うな。バカという奴がバカだ」と低い早口で叱るのだ。(続
『富士日記(上) 新版』武田百合子 (中公文庫)
『あの図書館の彼女たち』ジャネット・スケスリン・チャールズ著(Janet Skeslien Charles) 髙山祥子 訳 (東京創元社)
終章、今までどのページにも満ちていた「わたしたち」が姿を消すことで、一気に湿度と密度が低くなることに驚く。語りは異なる「わたしたち」が担っているが、ずっと聞こえていた波の音がいきなり止んだような不安を感じる。それは終章の「わたしたち」も同じであって、わたしたちと「わたしたち」の境目はさらにあやふやになり、また今までささやくようなざわめきを聞き続けていた船の上から、語る立場へと引き出されることで、傍観者から一転、自分が波頭のひとつになった感覚に陥る。作品の大部分を担う「わたしたち」と、終章の「わたしたち」ーーつまり想定されているであろう、ページをめくる”わたしたち”が、同じ海の波の一つであることが強く迫ってくる。素晴らしい作品でした。
盛り上がっては沈むことを繰り返しながら決して絶えることのない波頭のように、「わたしたち」という主語が入れ替わり立ち代わり、うねりながら語りを作っていく。この「わたしたち」は文字通り「わたし」の複数形である。たくさんの「わたし」が泡のように言葉を発し、そして噤む。止むことはない。
日本人であるわたしたちにとっては、最初から「わたしたち」と重なる瞬間は随所に見つけられる。けれど、中でもページの向こうの「わたしたち」がただ哀れで無垢で罪のない人間ではない、ということが、より「わたしたち」とわたしたちの境目を曖昧にしていくのだと思う。「わたしたち」は確かに犠牲者であり、そしてためらいもなく差別をする。
『屋根裏の仏さま』ジュリー・オオツカ/著 、岩本正恵/訳 、小竹由美子/訳
読了。「写真花嫁」を題材にした語りの作品。感想を書こうとしたら訳者あとがきとほぼかぶってしまってどうしようかな、と思ったけども自分の言葉で書いておきます。
ごった煮アカウント。漫画と文章と食べ物が好きです。2016年のアニメYOIをひたすら噛み締めています。たまに粉を焼く。人種、ルーツ、外見、障がい、ジェンダー、セクシュアリティ、トランス差別に反対。
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