『富士日記(上) 新版』武田百合子 (中公文庫)

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『富士日記(上) 新版』武田百合子 (中公文庫)

(本文引用 ※差別表現があります)

「籠坂峠を上りつめたあたりから霧がある。山中湖への下りにかかり、スピードがついてくると、見通しのきかないカーブで、自衛隊のトラックが、センターラインを越え、まるっきり右側通行して上ってくるのに、出あいがしら正面衝突しそうになる。自衛隊と防衛庁の車の運転の拙劣さには、富士吉田や東京の麻布あたりで、つねづね思い知らされてはいるが、あまりの傍若無人さに腹が立って「何やってんだい。バカヤロ」とすれちがい越しに窓から首を出して言った。すると、どうだろう。主人はいやそうな目でちらりと私を見やって「人をバカと言うな。バカという奴がバカだ」と低い早口で叱るのだ。(続

私はおどろいて「だってバカじゃないか。こっちはちゃんと左を下ってるんだ。見通しのきかないカーブで霧も出ているのに右を平気で上ってくるなんて、バカだ。キチガイだ。自衛隊はイイ気になってるんだ。あたしはバカだよ。バカだっていいんだ。バカだっていいから、バカな奴をバカと言いたいんだ。もっと言いたい。もっと言いたい。とまらないや」と、今度は主人に向って姿勢を正して口答えした。すると、どうだろう。主人はもっと大きな声をあげて「男に向ってバカとは何だ」とふるえて怒りだしたのだ。おどろいた。正面衝突されそうになった自衛隊に向ってバカと言ったのに、私の車の中の、隣りに坐っている人が自衛隊の味方をして私に怒りだすなんて。車の中にもう一人敵が乗っているなんて。「そんな眼をするな。とに角、男に向ってバカとは何だ」と重ねて言う。問答無用といっ た風に怒っている。私は阿呆くさいのと、口惜しいのとで、どんどんスピードが上ってしまい、山中湖畔をとばし、忍野村入口の赤松林の道をとばし、吉田の町へ入ってもスピードを出し放しで走る。(続

いいよ。言わないよ。これからは自分一人乗ってるときにいうことにしました。何だい。 自分ばかりいい子ちゃんになって。えらい子ちゃんになって。電信柱にぶちあたったって、 店の中にとびこんだって、車に衝突したって、かまうか。事故を起して警察につかまってやらあ。この人と死んでやるんだ。諸行無常なんだからな。万物流転なんだからな。平気だろ。何だってかんだって平気だろ。人間は平等なんだって? ウソツキ。

(『富士日記(上) 新版』p.403)

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