『屋根裏の仏さま』ジュリー・オオツカ/著 、岩本正恵/訳 、小竹由美子/訳
読了。「写真花嫁」を題材にした語りの作品。感想を書こうとしたら訳者あとがきとほぼかぶってしまってどうしようかな、と思ったけども自分の言葉で書いておきます。
終章、今までどのページにも満ちていた「わたしたち」が姿を消すことで、一気に湿度と密度が低くなることに驚く。語りは異なる「わたしたち」が担っているが、ずっと聞こえていた波の音がいきなり止んだような不安を感じる。それは終章の「わたしたち」も同じであって、わたしたちと「わたしたち」の境目はさらにあやふやになり、また今までささやくようなざわめきを聞き続けていた船の上から、語る立場へと引き出されることで、傍観者から一転、自分が波頭のひとつになった感覚に陥る。作品の大部分を担う「わたしたち」と、終章の「わたしたち」ーーつまり想定されているであろう、ページをめくる”わたしたち”が、同じ海の波の一つであることが強く迫ってくる。素晴らしい作品でした。
盛り上がっては沈むことを繰り返しながら決して絶えることのない波頭のように、「わたしたち」という主語が入れ替わり立ち代わり、うねりながら語りを作っていく。この「わたしたち」は文字通り「わたし」の複数形である。たくさんの「わたし」が泡のように言葉を発し、そして噤む。止むことはない。
日本人であるわたしたちにとっては、最初から「わたしたち」と重なる瞬間は随所に見つけられる。けれど、中でもページの向こうの「わたしたち」がただ哀れで無垢で罪のない人間ではない、ということが、より「わたしたち」とわたしたちの境目を曖昧にしていくのだと思う。「わたしたち」は確かに犠牲者であり、そしてためらいもなく差別をする。