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「虎に翼」に限ったことではないが、マイノリティが被る社会的不均衡をフィクションにおいて取り上げる際、マジョリティの受け手が「差別をちゃんと批判している」とか「配慮している」とかましてや「素晴らしい描写だ」と称賛するのは本当に的を得た評価か? マジョリティが「わたしは差別していない」と安心したいだけでは?

たとえば「虎の翼」への肯定的評価で「男性を一方的な加害者として描くのを避けている。差別は構造が生むものだからだ」てなニュアンスのものがある。これを妥当だとわたしが認識するのは、家父長制が女性(一般的な意味での)を社会の劣位に置く一方、セクシズムは男性もまた強力に抑圧するものであるからだ。加害と被害の二項対立を描くのに留まってしまえば、ミサンドリーの再生産になりかねない。セクシズムの解体には、構造を解き明かし、批判が必要だし、また本作のようなフィクションには道を示す効能がある。
では植民地主義、帝国主義はどうか? それらは(旧)宗主国の人間を抑圧するか? セクシズムと同じやりかたでは批判は無理だとわたしは考えている。

「南京大虐殺を忘れるな。慰安婦を忘れるな。彼女らは戦時の性奴隷だった。731部隊を忘れるな」というのが「不適切発言」だというなら、「NHKの歴史修正主義とプロフェッショナルではない業務に抗議します」は正当な評価と言えるのでは。
mainichi.jp/articles/20240822/

摂津市のダイキン工場が原因のPFAS汚染、検査の結果周辺住民はもちろんのこと、上流地域の住民からも高い濃度が検出されたのはまあそうやろうなと思ってはいた。記事にもあるように、汚染源の特定はごく一部だろうから。
にしても、環境省担当者の発言「検査したからといって何か対処ができるわけではない。地域の汚染状況を知るなら、環境中の濃度を測ったほうがよい」は、寝ぼけたことをという感想になる。そんなんだから大阪府も「PFASの血中濃度について国の基準がない。国の動きを注視する」と逃げ回るのを許している格好だ。
tokyo-np.co.jp/article/348862

コインで読んだよ魔女の救済編38話。
・並行世界のオーフェン、略して並オーフェン(やめろ)。
・原作とも、アニメや舞台とも違うウオール教師。
・レティシャの呪文それなの?キレやすい(というか安定性を欠く)面を思えば合ってるかも。
・呪文もだけど愛する相手を失う/自ら消去する、と第三部マジクを反映してるのかしら。
・ボルカンにさすがに困惑した。しかしここのオーフェン何かめちゃくちゃでけえことしてない?

米騒動というからには人々が手に手に棒やらなんやらを持って悪徳米問屋を襲ってからにしてほしいよな。
なんでこうなったのかはいろいろな理由があるのだろうが、需要と供給のバランスが崩れても飼い慣らされた市民は「人に迷惑をかけずに」おとなしくしているわけで。

冷房の効いた部屋で今井のうどんと吉野寿司のお寿司を食べる大阪の夏。デザートにするならゼー六のアイスモナカやろか。

「はれときどきぶた」は、面白いというよりなんか一抹の怖さが漂う作品だった記憶がある。
幼少期に見た、この作品の演劇だったか人形劇だったか映画だったかで、終幕を迎えると天井から紐でぶら下げられた大量のブタの人形がおりてくるしかけがあり、そこだけ記憶に残っている。

アラン・ドロン逝去の報に、インターネットで彼の写真、というかキャプチャがよく投稿されているのを目にする。人間の顔に対する解像度が低いわたしでもわかる美貌の俳優だった。
わたしがまともに見た数少ない出演作「ハーフ・ア・チャンス」は、「かつて恋の鞘当てを演じたアラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンドの前に、母を亡くしたばかりの若い女性が現れる。どちらかが父親というので二人はライバル心を燃え上がらせるが彼女はマフィアに拉致されてしまい……」というストーリーで、テレビの前で「映画ってこんな都合のいい話を作っていいのか!?」とびっくりした記憶がある。

「虎に翼」。佐田優三との結婚があまりに無批判……というか検討する姿勢がなくて大丈夫かこのドラマと思ったので、ここにきて夫婦同姓の強制、同性婚の禁止をやるのかと驚いた。
寅子の社会的地位を得るための結婚に疑問を呈するなら、桜川涼子の家を維持するための結婚や、花岡悟の寅子の代わりに家に入る女性を必要とする結婚もそう描くのが筋では? と感じた。
あと、轟は最初の「バンカラ」に気を取られてしまっていたけど、交際相手をさん付けし、「お付き合いしているお方」と丁寧に紹介する口ぶりからして、もとはそういう人柄なんだろうなと思った。

暑すぎて投稿できなかったやつシリーズ
・「(集団)自決」とか「特攻」とかは歴史的用語ではあるんだが、「国や軍による自殺の強制」と言い換えたほうがいいんじゃないか?
・「報道特集」見てたら次回予告が「実子の連れ去り」で目を疑った。なんでその企画が通ったんだ。
・奈良県の金魚すくい大会(優勝者は3分間で38匹すくう恐ろしい大会)に参加した家族連れのコメント「素人が参加する大会ではないなというのが実感です」がしみじみおかしい。www3.nhk.or.jp/lnews/nara/2024

寅子と山田が法廷で再会するのは原爆訴訟になりそうだ。どちらかといえば、弁護士どうしとして真っ向から対決する展開を見たかった。

fedibirdのアカウントを作って一年が経った。Twitterとは方針を変えて、投稿を削除しないというふうにやってきたけどどうするかな。Twitterも、削除しようがしまいが連載の継続に影響はたぶんしないにせよ、感想はとりあえず削除せずにおこうといまは一旦やめているしなあ。
というか自傷のつもりでやっていたことだししかも最初はともかくとっくに効果なくなっていたわけで。

この何日か、寝ている間に脚を部屋の外に放り出していたせいでか膝が痛い。敷居の上に長時間乗せていればどこかおかしくもなろう。

オリンピックと南海トラフの話題にまぎれて宮崎の報道がかなり少なかった気がする。

桃のカプリチョーザ作った。ぼんやりしながら作ったせいか、材料をケチりすぎたからか、あんまりおいしくなかった。

受け手が批判的な描写、配慮した描写だと感じるということと、作り手がどのように意図したのかということと、その認識された/描写された批判や配慮が機能しているのかは別の領域なんじゃないか。

出来栄えすぐれた作品に対し「この作品はちゃんと批判している、配慮している」と感じてしまうとき、そこには罠がある。

昨今は映画版「この世界の片隅に」のダメさが人口に膾炙して喜ばしい限り。
わたしはすっかり疑り深くなっており、原作の太極旗の場面も通り一遍のものとして入れたに過ぎないんじゃないか? 「原作はちゃんとしているのに、アニメは『改悪』した」と捉えていいのか? くらいまで考えていますが……。

わたしの言ってることも結局は一方向的でしかないんだろう。
それはそれとして、今起きている虐殺にはやめろと抗議しなければならないし、かつての虐殺は絶対に繰り返してはならないと表明しなければならない。

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