たとえば「虎の翼」への肯定的評価で「男性を一方的な加害者として描くのを避けている。差別は構造が生むものだからだ」てなニュアンスのものがある。これを妥当だとわたしが認識するのは、家父長制が女性(一般的な意味での)を社会の劣位に置く一方、セクシズムは男性もまた強力に抑圧するものであるからだ。加害と被害の二項対立を描くのに留まってしまえば、ミサンドリーの再生産になりかねない。セクシズムの解体には、構造を解き明かし、批判が必要だし、また本作のようなフィクションには道を示す効能がある。
では植民地主義、帝国主義はどうか? それらは(旧)宗主国の人間を抑圧するか? セクシズムと同じやりかたでは批判は無理だとわたしは考えている。