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あと、今年から紳士ものの晴雨兼用傘を使い始めた。直径が大きいので日光から全身を防いでくれている感覚がある。

血迷ってさんぜんごひゃくえんする日焼け止めを買った。さすがに使い心地がよく、毎朝塗るときの「めんどくせえ〜〜〜」という気持ちが軽減されている。肌が弱いくせにそのてのことをまじでやりたくないのでせめてモチベーションくらいはあげないと。
……さんぜんごひゃくえん? 日焼け止めにさんぜんごひゃくえん? 消費税入れたらほとんどよんせんえん? 日焼け止めに?
つい数年前まで「さすがに日焼け止めに1000円以上は」とか言ってた人間のやることとは思えんな。

マジョリティの特権性を透明な自動ドアに例え、「社会の中の自動ドアはマジョリティ性をセンサーで察知して開き、しかも通る人は自動ドアの存在に気づかない」という説明は伝わりやすくてうまいと思った。
toyokeizai.net/articles/-/7551

スマートフォンを使い始めて丸2年が経過した。最近どうもネットの接続にもたつき、知らない間に再起動もしている。まさか寿命か? にしても早すぎない?

LINEマンガ版「オーフェン」感想文の予約投稿できてたからこっちにも貼っておくか。長々と書いていた部分を「このままでは書き上がらん」とばっさり削った結果、マンガそのものの感想じゃなくなった気がする。
kisada.hateblo.jp/entry/linema

「恋愛を経ずしての結婚相手に愛情が芽生え、子供が生まれた喜び」とか「世情が荒み、愛する相手が兵隊に取られる悲しみ」とかを情感豊かに描くと何が起きるか? 巧みな描写で受け手は情緒を喚起され、背景の結婚制度や侵略戦争の悪辣さは忘れ去られる。

結局今週の「虎に翼」は、「妊娠した女はキャリア形成を阻害される」というメインテーマこそやっていたけど、そのほかが単に描写が情感豊かだっただけで社会批判・戦争批判はぬるすぎた。

「問題のある描写は、後でひっくり返すつもりでしたことかもしれない」というやつ、実際の例としてはどんな作品があるんじゃろ。つまり、「受け手の反応を見て改めた、方向転換した」とかではなく、初めから受け手の認識を撹乱するためにあえて問題含みの描写を行い、後にそれを否定したパターン。
「スパイダーマン ホームカミング」でヒロインの父親が登場したときと、「アンという名の少女」でジェリーがフランス語で話したときは「偏見を突かれたな」と思わされた経験がある。しかしこれは「あとで否定する」パターンではないし。

虎に翼、「優三の愛情を理解できていなかった寅子が、彼の戦死で後悔する」とか「無理をおして働いた結果流産する」みたいな安い展開でなくてよかったな。

宮藤官九郎の「まるで僕のために用意されたようなワクワクする設定」発言は、関わるドラマを「見なくていい」どころか「また偏見を振りまくつもりなんだな」という気持ちを新たにさせられる。それらは実際の社会問題であって「設定」ではない。一方、「(『いだてん』含め)過去の作品はよかったのに」てな声を見ると「本当にちゃんと社会問題を扱えていた時期はあったのか?」と疑問になる。何回も言ってるが、「いだてん」はその面がてんで駄目としかいいようのないドラマだった。
mainichi.jp/articles/20240521/

「虎に翼」。月曜日は15分で押し引きがぎゅっと濃縮されておりまことによかった。のだが、依頼人が典型的な「あくどい女」だったのはどうよ。しかし「憐れみを誘う造形」は「都合よく利用されたもの」であるとこのドラマは既にやっているのであり。
火曜日は寅子にとって優三が「書生の優三さん」から「夫の優三さん」に変わっていく描写のみを見るとよかったと言いたいところ。ただ前週の描写とちぐはぐでなあ。

エンタテインメントでなにか問題含みの描写がなされたとき、「あとで否定されるかもしれない、ひっくり返されるかもしれない」という反応はしばしば見られる。
だが仮に作者の意図がそうであったとしても、「差別的な価値観が肯定的に描かれる」とか「偏見の流布」などはその都度発言していく必要はあるだろう。それに、一度出したものをひっくり返すのはかなり難しいことなんじゃないのか?と最近思えてならない。受け手は一度認識したものを簡単には変更できないのではないか。特に、受け手自身の価値観に沿ったものであるならなおさら。

「"インプレゾンビ"をやめた人」に対する反応、さすがポンニチ人は思い上がってんなーという感想。

補足。作り手が寅子をアロマンティックとして、あるいはそう読めるように「意図して」描写しているとは、わたしはあまり思っていない。しかし本作はフェミニズムの観点から法と女性を描いているのであり、そう読み込んだほうが異性愛規範への批判として有効ではあるまいか。

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今週の描写は、寅子を「恋愛については鈍感」という古いものにしてしまっていないか?と疑問に思っていたが、寅子の造形はアロマンティックとしても読める、という感想を目にして、脚本家の以前の仕事で「恋せぬ二人」があることを考えると確かにそのほうがスマートだなと思った。

寅子の結婚に両親は困惑していたが、なぜ涼子や花岡の結婚には誰も困惑しないのか? とかやりようはあったんじゃないか。
制度の問題はあまり俎上にのぼらず、寅子個人の問題(無神経さとか)にクローズアップしていた印象がある。

結婚は寅子の夢を阻むものだ、という花岡の葛藤はよかったと思う。しかし愛する女性の夢を尊重したとて、社会は花岡に寅子のかわりに家庭に閉じ込められる女性を強要する(あの婚約者は、いずれ花岡の父の面倒もみると言ったそうだが、女学校在学中だという彼女がはたしてその意味をわかっているのかどうか)。にしても、思い返すとやっぱりあの愛の告白は唐突だったよなー。

今週の「虎に翼」は、全然だめとまでは言わないまでも、いまひとつだったと感じた。結婚は女性を法的に「無能力者」の立場にすると知ったことが法を学ぶきっかけとなり、またその過程で社会的弱者を守り助ける弁護士になりたいと志した主人公が、その結婚をすることになる。ある種皮肉な状況を批判的に(否定的にではなく)描けなかったのか?

なぜ寅子はミソジニックな歌詞の曲を歌うのか?(作り手はなぜこの曲をチョイスしたのか?)の解答が示された回。
あと、自身の言動の非を認め、謝罪することのできた花岡であっても、当時の「良識」から抜け出ることは難しいという描写はいいな。以前、花岡と轟の振る舞いはファンタジーだと感じると言ったが、言動を改めれば一足飛びに差別が解消されるかといえばそれは違う、とここで呈示している。

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