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先日作家の知念実希人が名誉を毀損したと賠償を命じる判決が出た際、先例を挙げて「反ワクチン派に絡まれ続けて先鋭化したのかもしれない」という旨のツイートを見たが。知念がやはり作家の李琴峰に執拗に誹謗中傷を行い、あげく「外国籍の方が日本の政治を批判しても法に触れないと知らなかったんです」などと言い逃れを図ったのを知っていると、先鋭化ではなくもとからの言動ではとしか思えなかった。

創作怪談の中の鬱野、実際よりもいい部屋に住んでるんだな……。
championcross.jp/episodes/efaa

「虎に翼」よりも「光る君へ」のほうが社会批判としてはマシでは、くらいのことを考えるようになっている。千年前の社会を描く、それだけでも現代と比較して様々なものが浮かび上がるからだ。
「光る君へ」は、個人的には全般「そうはならんやろ」と思ってしまう内容なのだが、作る側がテクニカルということなのか引っかからずに見続けてしまっている。

相互には無関係な話を繋げてさも世の人が適当な話をしているように言うのはやめろ

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先週あたり、Twitterで「到底受け入れがたい感想を見ても、発言者のことを頭が悪いとかどうとか言うべきではない」みたいな話がはやっていたっぽい(正確には違うかも)のを見て、「いやー、つい先日極右議員がゲゲゲの謎を好意的に評価していたのを皆さんなんとおっしゃってましたかね」と単純化の極みのことを考えていたら、「テレビ局の人間は作品を理解してない」という話になっていた。世は無常。

条文の文面から夫を思い起こす(ような演出に見える)のも、寅子が元弁護士であるのを考えるとよくない。寅子がいち一般女性で、条文から夫が生前言っていたのはこういうことだったのかと気づく展開なら形式としては古くても矛盾はない。しかし寅子は高等試験を突破して弁護士になった人間で、しかも旧憲法や旧民法のおかしさには彼女自身の力で(優三によることなく)気づいていた。

人権が夫(妻を保護するもの)およびその愛情と結びつけて描くのは極めてまずかろう。それをやりたいなら旧憲法でやればいいのでは、と嫌味も出てくる。

改めて考えてみても先週の「虎に翼」は悪かったな。
河原で涙を流すシーン、第1話は新憲法に心動かされてと見えたが実際には夫の死を受け入れてのものだった。最初に提示したものと印象を変えて再提示するのはよくある手法だが、これについては効果的だと思えない。いや、まあ家族会議での「素晴らしいことだと思わない?」の科白から憲法の条文に感動した心情もあるとも取れはするが。

小説家や漫画家が、「自分の作品が無下にされるのでは」と警戒し、また実体験から怒りを表明するのは当然だ。
しかし、わたしは単なる受け手であって、そうした理屈に同一化してはならない。

やはり原作も未読、ドラマ版も未視聴であるのでとやかく言えるものでもない話。「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」がドラマ化にあたり「腐女子、うっかりゲイに告る」と改題された際、作者がTwitterで納得がいかないニュアンスの発言をしていた。わたしとしては、改題されて当然だと思えた。その投稿単体ではなく、前後も押さえていれば違う感想を持ったかもしれないが。

原作も未読、ドラマ版も未見であるので変更内容云々の言及はできないが、原作イラストでは長い髪の女性が役者の都合でショートカットになったことを「ゴリ押し」と称してバッシングにはしっていたのはミソジニー丸出しだったよなあという思い出話。批判すべき対象が明らかに間違っている。

キャプチャ添付ツイートの文面をもとにインターネットで「議論」や「意見の表明」が行われているときは警戒したい

非協力的な地元の役人たちに囲まれた為時が、片言の宋語と筆談で四苦八苦しながら通詞殺人事件を解決する話かと思ったら、そうじゃなかった。

法も戦争も国家が密接に関わっているものなのに、画面では戦争と新憲法は天から降ってきたもののように扱われており、この点はかなり不満だ。
百歩譲って、夫との関わりが新憲法に情緒的に結びつけられているのはよしとしても、異性愛以外のアプローチもしておくべきだろう。憲法草案にかかわったベアテ・シロタ・ゴードンとかテーマ的にもうってつけでは。

戦争とは、国家による最悪の人権侵害の事例の一つだと明示せずして、なにが批判か。

焼き鳥屋を営む女性は朝鮮人だろうとの由。当たり前に社会にいる存在として描くのはいい試みだと思うけれども、チェ・ヒャンスクと同様、宗主国の人間に都合のいい人間としてしか描いていないのではと思う。

SNSで、「優三さんたちの犠牲があって今の憲法と平和な状況がもたらされた」的なニュアンスの感想を見たが。本作の感想に限らず、戦争による死者たちの犠牲のもとこんにちの平和が云々という物言いはしばしば見る。
しかしこれは明らかに理屈がおかしい。日本は平和と憲法を得るために戦争したのではなく、植民地支配や権益、メンツのために戦争を行い、だらだらと続け、無意味に死者と負傷者を増大させた。人間の死と平和に因果関係はない。

この2週の展開で、「虎に翼」はわたしの中で見切りをつけた箱に入った感がある。日本のエンタメだから植民地支配や第二次大戦が侵略戦争であったことへの批判はできないだろうと期待していなかった。つまり最初から減点していた。
かててくわえて、結婚制度への疑問から話を始めておいて、「人生を共にするにふさわしいパートナーと結婚するのはいいことだ。それが戦争によって連れて行かれるのは悲劇だ」しか描写できないんだったら批評性を自ら投げ捨てたとしか言えない。

「虎に翼」の感想で、佐田優三が寅子に自分らしく生きてほしいと語りかけたのは「人権」のことだという旨の投稿を目にし、いやー結局それだと「夫が妻に与える」形式になってるよねとなった。
異最愛規範、ロマンティックラブイデオロギーに基づいた描写しかやっていないから、既存の構造を強化するだけにとどまってしまっている。

デジタル版朝日新聞の、パレスチナの記者によるリポートを読み、胸をつかれる思いをしつつ、でもこの新聞はそういう読者からの相談を冷笑でかえし嘲笑でもって広める新聞でもあんねんよなと思う。

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