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「虎に翼」は、「朝ドラらしからぬ」とか「朝ドラにありがちなパターンに批判的」という感想があるようで、それに対し「まったくの間違いではないにせよ、これまでにパターンの打破を試みたり挑戦的な作品も複数あったのに」とする声も見かけた。
それはそれとして、「朝ドラのパターンを打ち破った作品」と評するなら植民地下の朝鮮人が登場すること、韓国人がその役を演じること、母語で会話するシーンがあること……に着目してもいいのでは?

訂正して再送。法律を扱っている作品だから、創氏改名出てくるだろうと予想していたが、その前年に崔は帰るという展開に。試験に際し仲間たちが櫛の歯が抜けるように欠けていく……というストーリーなのだろうし、作り手が逃げたとするのはさすがに悪意的な見方に過ぎようか。

高等試験合格が望めないとつきつけられた崔が、後輩たちや仲間たちの助けになりたい……と兄とともに帰国せず残るというのはちょっとロジックとして弱いんじゃないか?というのと、そして日本人に都合の良い朝鮮人にしてしまっていると感じた。

男たちが自らの言動を恥じ、女性に対し謝罪する様をファンタジーだと先日言った。朝鮮人、しかも取調べ中の相手に「きみ」と話しかける特高もかなりファンタジー度高い。
そして「お国でのあなたの名前を教えて」と尋ねるのはファンタジー日本人かもしれぬ。

本作は先輩ふたりのことをナレーションで「久保田、中山」と名字で呼ぶのがいいところだと思っているんだが、そういえば中山先輩は結婚しているのだったか。

補足。ジェンダーバイアスに基づく描写などを今回のように「わかる人にはわかる」に留めることそのものは即ダメなものだとは思わない。場合によっては冗長になることもあるだろう。しかし、「わかる人にはわかる『から』良い描写」というふうにしてしまうと話が違ってきてしまう。
もしあえて肯定的に言うとしたら、「ストーリーの本筋におおきくは関わらないような細かい場面でも、差別の実態に基づく描写が行き届いている」になろうか。
QT: fedibird.com/@kisadalog/112394
[参照]

kisadalog  
「虎に翼」。主人公の父・直言が銀行を退職し信号弾や発煙筒を製造する会社の社長に就任した、というのは「おっ、戦争にバリバリ加担してますなあ〜〜〜」ってなった。 また、男性は猶予を与えられるが女性はそうではない……という描写に「わかる人にはわかる描写」てな感想を目にしたが、こういうことこそ誰の目に...

にしてもこの記事、女性初の高等試験合格者の一人、が実際に性別を理由に減点されたのでは? と思わせる話があったことを紹介しつつ「今の時代ではあってはならないこと。しかし、当時は『女性だから』『生意気だから』ということで合否を判断するような人もいたのかもしれません。」とは手ぬるくないか。複数の医大が性別(や、浪人生であること)を理由に減点していたと明らかになったのは最近の話やぞ。

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医大の件があったので、久保田先輩が口述試験で落とされたのは試験官の差別意識のせいなんでは……と思ったら、実際にもそれを疑わせる話はあったらしい。
nhk.or.jp/tottori/lreport/arti

ある作品が取り扱う分野の知識があれば、その作品の楽しみ方も変わってくる……というのはよくあることだ。
しかし、「差別があると何が起こるかという実情」を知っていれば「あるある」と納得し、知らなければ見逃してしまうとすれば、それは十分な批判にはなりえないだろう。

「虎に翼」。主人公の父・直言が銀行を退職し信号弾や発煙筒を製造する会社の社長に就任した、というのは「おっ、戦争にバリバリ加担してますなあ〜〜〜」ってなった。
また、男性は猶予を与えられるが女性はそうではない……という描写に「わかる人にはわかる描写」てな感想を目にしたが、こういうことこそ誰の目にも明らかにする必要があるんじゃないかと思った。

さっきやってた「ファミリーヒストリー」で、料理のできなかった寿美花江がその結婚当初、宝塚時代のファンに食事を用意してもらっていたというエピソードに以前話題になっていたエントリを思い出さざるを得なかった。「ファン」が生活や金銭をついやして役者を「支える」のはなるほどああいうことなのか。
anond.hatelabo.jp/202311130204

「光る君へ」。このドラマの宣孝から、うっすらと嫌な感じが漂ってるのは意図的なものなのか、はたまたわたしのバイアスゆえか。

村林が6番とかなかなか斬新なオーダーやな……。いや、実際のプレー全然見てへんからアリなんかもわからへんけど……。

ごめん嘘。本当に爆笑などはしていない。

わたしは「オーフェン」シリーズではサルアが、「流血女神伝」ではバルアンが好きで、並べてみると「ややこしい兄弟関係にある男が好きなんだなあ」という感じなんだが、キャラクター性でみるとわりあいに違う。そも、読んでて「このキャラかっこいいな、好きだな」と感じたポイントは兄弟うんぬん無関係だし。
とはいえ「帆走」で「主人公がマストのてっぺんでぼんやりしてたらそれを追いかけて姿を表し、ふたりの心が近づくシーンが描かれる」とか謎の共通点が発生して爆笑した。

つまり、漫才師のやる「相手の妻を腐す」は相手をけなす掛け合いの一環だと受け止めていたから気にならず、綾小路きみまろは観客に語りかける形式だから気に障ったのかもしれない。まあ、理由は一面的ではなく様々な要因が組み合わさっているのだと思う。

わたしはホモソーシャルについて否定的な考えを持っているが、「フィクションでのややこしい兄弟関係がめちゃくちゃ好き」でもあり、つまりホモソーシャルに魅力を感じてもいる。
そもそも小学生の時点で「笑点」の「茶番を前提にした貶し合い」を楽しんでいたしな……。

この前言ってた、「綾小路きみまろの芸風は癇に障るものなのに、漫才師がよくやってた妻を腐すネタはそうでなかった。どころか、笑ってたのはなんでだろう」というやつ。綾小路きみまろのそれは観客に語りかけるテイで、漫才師の場合は男二人による掛け合いだからという違いがある。ポイントはそこか?

山田にしても桂場にしても、「主人公の言動に感化され、態度をやわらげる、『正しい』道に進む」よりは、「受け手が共感できる行動を取ることもあれば、反発を覚えるような振る舞いに出ることもある。主人公と意見が一致することもあれば、対立することもある」人物造形になってほしさ。

「虎に翼」に対る心情が、「法律を扱ったドラマとしてすこぶる面白いのは間違いないが、だからこそ警戒しなければならない」に移行しつつある。

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