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オタクとして好きなキャラクターとクリスマスを組み合わせてみるか、と思ったところで、ウルフウッドは宗教行事とりしきれるのか……? と疑問になってきた。
マッドハウス版のウルフウッドはたぶんできるんじゃないかという気がする。エバーグリーンは弟子の教育は抜かりないイメージがなんとなく。
原作は、ミッドバレイとガントレットの葬式やってることからして、ミカ眼が殺しの技術以外にも聖職者としての諸々も叩き込んでるのが伺える。あと外伝で葬式を依頼されて赴く場面もあるし普段は牧師として生活してるんだろうなあとは。
で、葬儀屋は祈りの文句が適当だしそこらへんはできないんじゃないかと思いきや、コンラッドから渡された契約書に牧師云々とあるらしいのがわからんよなー。葬儀屋の肩書は仲間殺しへの自嘲とミカ眼への反発で名乗っているとして、牧師としての振る舞いはできるのかどうなのか。4話の葬式が雑だったのは、茶番だから真面目にやる気がしなかったようにも見える。

いや、違うな。作者が何を書こうが、そこにあるのがなんであろうが、またなにもなかろうが、それは完全に無関係に「わたしが」なにを感じたのか、なんだよな。

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オレンジ版には、くっつく展開にするなら「女性キャラクターはこういうものだから」と型にはまったものにせず魅力的なストーリーにしてほしいし、それ以前にミリィを主体的な人物として描いてほしい。しかしながらオレンジ版はまったく期待できないのがもう見えちゃってるからな……。

くっついてほしいわけではないけど「なにもないです虚無です」みたいなのも納得がいかないというこの複雑な乙女心。

マッドハウス版でウルフウッドとミリィがくっついたのは、「女性キャラクターは恋愛させないと話に登場させられない」という作り手の意図も当時からして「ちょっとそれはないんじゃないの」だったし描写もよろしくないと思う。
原作でミリィが泣いたのは、作中で他にもあるようなマッドハウス版へのオマージュのひとつなんじゃないかという気がするし、仮にくっつける展開を志向したとしても面白い話になったかというと「いやー、どうだろう」って感じだ(というか、ミリィはウルフウッドが好きだから泣いたんじゃなくて、彼女が人の死を悲しむことのできる素直な気質の持ち主だから泣いたんじゃないのか)。
「地獄の番犬」云々も意味としては「ヤクザ者がカタギを巻き込むまいとして言った台詞」ではある。あるんだけどもその表情はいったいなんなのか。

どういうつもりだったんてすか、いや作者の意図はこの際いいんですよウルフウッドさんあんたに聞いてるんですよ

思ったより「この娘まで巻き込んだら 地獄の番犬の餌にもなれへん」がいまだに抜けていないトゲになってへんか?

アザリーがオーフェンを利用しようとする、支配しようとするのは彼女が悪い人間だからだ、というよりも、師を手にかけ仲間たちからは失望された彼女には、もはや「一人になっても彼女を助けようとした弟」しか残っておらずそこに縋るしかないから、とわたしは読んでいる。多少は元来の性格も影響しているにせよ。そしてその弟さえ、実はもういないことをアザリーは悟る。だから「あなたには、わたしはもう必要ない……?」と言ったのだと思う。

「楽園」でオーフェンがクリーオウに「これからもな」と言ったのはなんでか、という疑問がある。「背約者」での「クリーオウに舐められるわけだ」というモノローグからすると、そういう台詞が出てきた契機がどこにあるのかいまだに読めない。彼がクリーオウに敬意を払うようになった、あるいはそう自覚したタイミングはどこか?
たとえばだ、アザリーとクリーオウには「年上の、実力も遥か上の男性に自分のことを認めてほしくて無茶をする」という共通点がある。一方で、アザリーはオーフェンを利用しようとしたがクリーオウはそんなことはしない。そんな違いに気がついたから「これからもな」と口にしたのだ、というのはどうか。

「がんかもしれないから精密検査受けてね♡」と言われてビビり散らかしていたんだが、「おそらく良性、要経過観察」ということになった。とりあえず安心。二人に一人はなる時代とはいえ、怖いもんは怖い。
問診票書いてるとき、
「母方には何人か出てるけど、そういえば父方には聞かへんね」
「いや養子やから血縁とは違うねん」
「そうなん!?」
という会話があった。衝撃の新事実。

友達でなくなっても本心を率直に明かせる相手なのは変わらなかった、互いに唾を飛ばして罵り合えるほどに、てのはどうか。

サルア君さんとオーフェンさんが友人だったってやつ、破綻して決裂したあとから言われましてもって感じだったのが、「帆走」で「思ったことを率直に言える相手、マストに登って夜明け前の海をぼけーっと眺める間柄」だと明かされ、「それは友達では!?」ってなる。なった。いやこれまでのやつからして「友人(独自用語)」じゃないかと……。
しかしオーフェンさんはともかくサルア君さんは本心を話すこととかあったんですかね。「自分のことを喋りたくはないけど、わかってはもらいたい」みたいなとこあるじゃないですかあの人。

「面白くなかったあのアニメ化を、今の技術で今度こそ面白いアニメに」とか「恵まれなかったあの作品を、今の技術でいい感じに」みたいなやつ、「へえ、そういう意見があるんだなあ」と思う。
わたしの関心として、「トレースしてのアニメ化」にさして引かれない。
一応言っておくと、「今作ったからって面白くなるかどうかは別でしょう」というのは冷笑して賢しらぶっておりつまらん態度だ。

インターネットミームとしての「狂った」という言い回しはもっと慎重になるべきでは、てな話題を見たが。それでいうと「狂人(くるんちゅ)」のようにインターネットで「〇〇する人」の意で「〇〇んちゅ」と呼称するのも沖縄の言葉の私掠ではなかろか。

TO社は秋田読者に評判がよろしくない(社の力量より編集者がうまくないのでは?とも思われる)にしても、ヘイト本を出してないぶん富士見書房につまりあのままKADOKAWAに残るよりよかったのでは。……と思ったがTO社ヘイト本出してないよね?

「なぜあなたは嫌韓流などのヘイト本が出たときに、実際にわたしたちが攻撃にさらされたときに今回のような抗議の声をあげなかったのか」というのは本当にその通りで、あのときわたしは何も言わなかった。これは一生ついてまわる。声を上げるというのは、とりもなおさずなにに無言でいるかも浮き彫りにする。

そういえば、秋田がサルアについて述べるインタビューがウェブ上にアップされ、「嘘やろ!? インタビュアーもなぜサルアを話題に!? こ、これは平静な気持ちで読めない。とりあえず時間を置こう」とタブを閉じる――という夢をみた。もちろん1行も読んでいない。
わりと感情が凪いでるなあという感じなのにこんな夢もみるんだな。

「男性が女性を助ける」とはどういうことか? の変奏がライアンを助けようとして彼に傷つけられたクリーオウ、だとするとそれもどうよ。
しかし昨日はつらつらとああいうことを書いたが、秋田は隙間編で「魔術士として高い能力を持つコミクロンやハーティアが、非魔術士の女性の助力を受ける」ストーリーを書いている。ので、変えていく意識はしているんじゃないか。

前に「クリーオウが開拓船の中で生理がはじまりメッチェンに相談する。メッチェンは当惑する」という文章を書いたが、あれただ単に露悪的だったなー。今なら同じアイデアでも違う感じにするだろう。
しかし第一部、二部時点でもそういうタイミングあっただろうしどうしてたんだろ。姉がいるオーフェンは案外普通に対応してたかもしれん。

鋏のあれはなんなんだ、と十年考えてひとまずの答えは出た。これで落ち着くのか、はたまた「いやでもなんなんだよこれは!?」とまたぞろ頭抱えるのか。

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