「終端」がメッチェンとアザリーを対比させているなら、「鋏」でメッチェンと対比されているのはクリーオウになろう。
「サルアは復讐に奔り、そのために自分の力を振るうことを決断した。しかしその裏には開拓地と都市のいざこざを一掃する打算もあった。つまりメッチェンの死を利用した」であり、導き出されるのは「オーフェンは復讐しない。力を使わない。クリーオウを利用しない」だ。
怒りのままに力の誘惑に乗ったことを責めつつ、怒りばかりではなく立場の苦しさもあるだろう……と考えている。しかしこれは理解を示すものではなく、実は打算、人の死の利用を批判しているのではないか。「未来」で復讐に狂ったのてあれば話は早かった、と胸の痛みを感じていることを考えれば。
成人男性が子供を慈しんでいる感じの二次創作を見ると、育児のいいとこ取りをしてるなという感情が発生する。
似たようなやつで、登場人物の中から任意で三人ピックアップし、それぞれに「おとうさん、おかあさん、こども」と役をそれぞれふっている二次創作を見るとすげえ強固な家族規範だなと思う。(こども役のキャラクターに、原作で親が登場している場合、ちょっと「?」という気持ちになる)(複数の子供がいるキャラクターAに関連するカップリングで、こども役に一人だけが選ばれていた場合はなんかなーという気持ちになった)
こっちにも投稿しておこう。
スタジオディーン版「魔術士オーフェンはぐれ旅」4期12話感想文を書いた。今月中には絶対投稿すると決めていたので、目標を達成できてよかった。
https://kisada.hateblo.jp/entry/orp_deen4_12
すべての差別に反対します(しかし、いったいどうやって?)。