ダサい話なんだけど、自分で本を作って出すようになってから、好きな本の話をするのが具体的な人間関係にもとづくものとして見られないかと不安で──つまり知り合いや友達の本を内輪で褒めて満足してるみたいに見られたらやだなという心配があった──、うまくできなくなっていたのだけど、ここにきてようやく「とはいえ自分は普通に無名だし、自認通りのただの読者という立場でいいと思ったものをいいってはしゃいでればいいんだよな」と思えるようになってきた。
じっさい狭い交友関係のなかできゃいきゃい自閉してると見られることはあるだろうけれど、もう仕方ないというか、いっそ内輪の外縁を広げるように誰でも招くようなパリピ精神でいたいような考え方になってきた。内輪かもだけど、参加したい人はみんなおいでよ、一緒にはしゃご〜、みたいな。僕はもっと友達を増やしてはしゃぎたいので気軽に話しかけてくれたら応えたいし、自分からも前のめりに人に会いに行こうと思う。
4月8日に登壇するイベントでおふたりとお話しするのが楽しみで仕方がなくて、イベント当日までに間に合いそうにない量の本を読み進めながらにこにこしてる。
本の話を存分にできるのは嬉しいなあ。
当日のお題に合わせて明治・大正期の文学や文壇について勉強しつつ、お気に入りのエッセイの再読や、未読だったものの発掘などを行なっていて「本ってなんて楽しいんだろう!」とうずうずする。はやくこの楽しさをお裾分けしたり、まだまだこんなのもあるよと教えてもらったりしたい。
青木さんとしゃべっていて欲しくなって、ウニタ書店で買った『送別の餃子』(井口淳子著、佐々木優画、灯光舎)。とてもいい本だ。小学生のころ『河童が覗いたインド』を夢中で読んだ、あの感覚を思い出している。造本の遊び心も、土地と個人とを描く目の塩梅も、手触りの凹凸がたのしくて、体温が感じられる。
見たまま読んだままの軽さや浅さの次元を見過ごさないでいるのはすこし難しい。
応答されることを目的にすると途端になんも続かなくなる。ポッドキャストも日記も、コツコツ続けていてもほとんど反応はない。それでも構わないから続いているのだけれど、返事があったほうが嬉しいに決まってる。
ウミガメがクラゲを食べる動画、いいな……
https://youtu.be/9GRAsjCMhNg
本を読んでもバカはバカだし、クズはクズ。なんなら本によってはバカを甘やかしクズを増長させるものすらある。本は救いではないし、解決でもないし、武器でもない。
寡占という発想が馴染まず、分け合えば分け合うほど増えていくのが本。本は読めば読むほど読みたい本が増える。売れる本が増えれば増えるほどほかの本も売れる。本は一冊で独立できないので好むと好まざるとに関わらず人懐こさをもつ。まじめな読者はその無際限さを警戒し、友と敵とを明確に分けたくなるが、いい本は友と敵をパキッと分けられないことを前提としてとにかく関係の輪をどんどん広げる。そのうえでどう調整したものかと悩む。悩むからまた読む。本は散らかす。どんどん手を繋ぐ。ごちゃつく。なにかすっきり言い切れるような整理がなされる気になるようなとき、それは本が足りていない。わかりたいだけなら本は読まないほうがいい。わからないを広げるために読む。
本は買えば買うほど増える、これは当たり前。
かきないしょうご。会社員。文筆。■著書『プルーストを読む生活』(H.A.B) 『雑談・オブ・ザ・デッド』(ZINE)等■寄稿『文學界』他 ■Podcast「 ポイエティークRADIO 」毎週月曜配信中。 ■最高のアイコンは箕輪麻紀子さん作