五十嵐耕平『SUPER HAPPY FOREVER』 at シモキタK2
Kohei Igarashi 'SUPER HAPPY FOREVER'

事前の高評価の声で、期待と不安入り混じりだったのだが、いやあ面白かったです。

『走れない人』でデカいすっぽかしをやった山本奈衣瑠が、こっちでもきっちりやらかしてて素晴らしい。
本作は記憶を巡る話なので、「忘れる」「思い出す」しぐさが駆動力になっている。時間と空間を節約できる携帯は海に捨てられたり家に忘れてきたりで、もっぱら固定電話が活躍するところが面白い。長い手を振りながら歩く佐野弘樹と山本の魅力は、歩く移動があってこそ。「画面の外へ/から」のショットの緊張がとてもよかった。海へ投げ捨てられ画面から消える携帯、画面の外からいきなり入る驚きの声、画面の外から現れる佐野が山本と邂逅する2回のショット。

受付係影山祐子をもっと見たかったです。

助監督が太田達成。この期の藝大映画専攻大当たりじゃん。

、母親とのきついやり取りだけは多弁になる。言葉で世界と対峙することの難しさ。それを見ているからこそ、ラストのベランダの(言葉じゃない)ハミングの長回しが素晴らしい。

玉井夕海さんに関しては、映画は『NOT LONG, AT NIGHT』以来なんだろうか。この方は脇役ではなくスクリーンの真ん中でこそ映えるので、久しぶりに観れてうれしかった。

渋さのライブに行かなくなって久しいが、もっとスクリーンで観たい人。『MOTHER SUN』レコ発を外苑前で聴いた夜が懐かしい。

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塚田万理奈『満月、世界』 at ユーロスペース
Marina Tsukada 'Mitsuki, Sekai'

正直ド肝抜かれた。
玉井夕海目当てで観に行ったらドエライものを引いてしまった。主演の2人の少女と玉井さんのアップの強度が恐るべきレベル。んで、カメラはすごくやさしい。

どうなってるんだこれは。 最初ドキュメンタリーなのかと思ってしまった。パンフを読んで、こういう撮り方だというのは分かったが、でもこのたたずまいは普通には作れないぞ。

「満月」。最初の母娘の朝食の長回しのカメラがやさしい。ゆるやかに移動しながら距離を保ち、2人の空気をできるだけそのまま撮ろうとしてる。ラストのダンスシーン以外、このやさしさは一環している。
満月が一人で机に向かいながらいきなり歌いだすショットとか、クラスで喋ってるシーンとか、ドキュメンタリーにしか見えないが、演出なんだよなあ。
ダンスの前、入念に髪を後ろに縛る後ろ姿のシーンの長回しがとにかく素晴らしかった。

「世界」。主演の秋ちゃん(彼女も素人のはず)の、なかなか言葉が出てこない表情の強度がすごい。階段を掃除しながら会話に加わらない(加われない)あの空気をカメラに収めるのがすごい。
クラスの中では言葉が出ないのに

山中瑶子『ナミビアの砂漠』 at ル・シネマ渋谷宮下
Yoko Yamanaka 'Desert of Namibia'

頭から飛ばす飛ばす。スゲえなこれ。
ビニール袋を足元に置いたまま立ちションする金子大地と、それを全く気にしない河合優実を見て、俺は勝利を略

浦山佳樹・遠藤雄斗もいて『モダンかアナーキー』の結界が。

『佐々木、イン、マイマイン』で凄かった、『モダンかアナーキー』でキレてた河合優実、もう手の付けられないところに行ってる。

生足とペラペラなサンダルで、不格好に歩く後ろ姿が、二ノ宮隆太郎のあの映画を想起してしまうのよ。『佐々木』で一緒だった彼女を。鼻血に嘔吐に小便と、体液をまき散らす女。「世界」とうまく接続できないことと関係があるんだろうか。ただ、2回あった号泣(涙)はちょっと違う気がする。

「謝られることの暴力」てのもあったな。彼女が自分で謝るのは渋谷采郁への1回だけじゃないかしら。

説明なしにぶっ飛ばす爽快な映画だった。

太田達成『石がある』 at ヒューマントラストシネマ渋谷
Tatsunori Ohta 'There is a Stone'

なんてヘンテコな。小川あんでこんなに笑うとは。川を渡ってくる男が引き起こす笑いと驚き。
  
オールスターなスタッフで作られた、すごく贅沢な映画だと思う。

太田達成『石がある』、感想以前に、俺が好きな作品を監督として撮ってる方々が編集・撮影助手・コンポジット・助監督でクレジットされてる時点でおかしい。

(なんならこれでローテーション回してほしい)

太田達成『石がある』、ネタバレなんだが。 小川あんのヒットアンドアウェイというか、相手との距離のおぼつかなさは、最初の五頭岳夫への声かけ(結局乗せてもらう)から、サッカーボーイズ(結局去られてしまう)、加納土(いったん別れて戻って結局去ってしまう)、チャコ(犬の散歩に慣れていない)まで。足元からしておぼつかない歩き方だし(『彼方のうた』でもそうだった)。

パンフで、五所純子氏が「観ながら何度も寝てしまった」と書いているが、この映画にチューニングを合わせるのは時間がかかるのだと思う。俺も危うかった。

秋葉美希『ラストホール』 at テアトル新宿
Mitsuki Akiba 'Last Hole'

役者としてしか見てなかったから、さて監督作はどんなもんかと。

いいじゃないか。抑制の効いたカメラ、「捨てられる」ことに敏感な主人公(鈴木卓爾とのやりとりで鎧が脱げる)。
タイトルロールのカッコよさのセンスな。

ネタバレになるけど、一番忘れられないのは、軽トラのヘッドライト点けたまま2人が手前に歩いてきて、また車に戻って走り去るシーン。
多分長回しだったと思うが、車に戻る2人を追うカメラが少し揺れてて、ああ死んだ父親が見てるんだと思ってしまった。

『無駄な時間の記録#4』 at STスポット
出演:岡田智代、神村恵、たくみちゃん、増田美佳

帰ってきたムダジカ。今回はとうとう混ぜ混ぜが始まり、最後は「全部乗せ」。

休憩15分の使い方も唸ったが、あの圧倒的に素晴らしいラストで感動してしまいました。

これはもう今から

今日の『無駄な時間の記録#4』。初回から観てるが、今回が一番面白かった。というか、もう4人の実験的な試みというレベルじゃなかった。2回しか上演しないのが勿体なさすぎる。

劇場に入った時から演劇は始まっている「べき」だと思うが、今日のはまさにそれ。途中の休憩時間さえ。休憩じゃない。オブザーバーで参加された宮下寛司氏がとてもいい仕事をしておられた。

増田美佳さんのドローイングが出来上がるのを目の前で見られます。これがまた実にいいのよ。

岩田奎『田中裕明の百句』(ふらんす堂)。

俳句をあまり読まない自分は、俳句の意味についてあまり考えたことがない。面白かったのは、著者の解説と自分の受けたイメージ(?)が違う句があるところか。

麦秋と思ふ食堂車にひとり

自分は田中の6歳下で地方都市出身だが、「麦秋」で浮かぶのは小津『麦秋』のラストショット。麦畑の具体的なイメージは沸いてこない。
食堂車はもう長らくJRから消えており、自分の20代の旅行で僅かに利用した薄い記憶。

この句は、旅情というよりも、この2単語(漢字)の喚起力とバーチャルリアリティ(「思ふ」で加速する)で読んでいる。それで面白い。

墓みちの筍みちと出会ひけり

みちが2つ続くと「みっちり」、それぞれ墓と筍がみっちり埋まった中の細い道が2つ。結構シュールなイメージが喚起されてくるところが面白いと思った。

皆さんどんなふうに読んでるんだろう。これは詩も同じだけど。

稲葉振一郎『市民社会論の再生』(春秋社)。
まだ途中。本書を読むまで、厨先生が元々労働問題専攻なの知らなかった。

本書は、現代市民社会の「どこどこ」(どこから来てどこへいくのか)。労働問題というある意味「狭い窓」から覗いているからか、これまでより読みやすい(失礼)。「二枚腰の」ラディカリズムと保守主義のダンスで、資本主義でもなんとかやっていくための処方箋。
古典ギリシャ起源の共和主義がシクリカルに呼び出される歴史観(というか仮説?)を主張してる、ように読めるのだが、このあたりが一番面白い。

それから、マルクスをやっすい陰謀論と切り離す手際。

アリーチェ・ロルヴァケル『墓泥棒と失われた女神』 at ル・シネマ渋谷宮下

なかなか面白かったぞ。異能者が放浪する一種の貴種流離譚みたいな。画角がいきなり3つ出てきた時は面食らった。
邦題がクソクソダサい(原題「キメラ」)のはなんとかしてほしい。
コテコテイタリアンな雰囲気(PVで誤解しそう)とはちょっと違う。
主人公のJ. オコナー、IMDbで調べたらアイルランド・スコットランド・イングランド・東欧ユダヤ人・南欧ユダヤ人の家系だそうで、文字通りの異邦人。背が高く顎鬚を生やし大人しく少しのイタリア語を話す彼の演技はなかなかのもの。
もう一人の主役のイタリア役の女性はブラジル人。あの「浮いた」感じを非イタリア人のまま出すのは繊細な演出が必要だったと思う。
一方で、脇役の墓泥棒や労働者の大半は監督の知り合いの地元イタリア人だから、どローカルと異邦人の組み合わせになってて、さらにエトルリアという「非・古典な古層」によって底を抜く世界になっている。
このあたりの深い文脈は、日本ではわからないかもしれない。

冒頭の女性の素晴らしいアップは16ミリだろうか。最近16ミリの良作多いなあ。

アマプラで、ウィリアム・A・ウェルマン『女群西部へ!』(Westward the Women, 1951)。

素晴らしいです。馬の尻と銃と男と女。
ライカート『ミークス・カットオフ』はこれにインスパイアされてるのね。
犠牲が出た後の、女たちが振り向いて歩き去るカットの怜悧さ。

あら、今シネマヴェーラでやってるキャプラ特集で掛かってるじゃないか。

「最後に押し寄せる感動を」云々って、街に女性たちが入場するシーンはほんまそれ。
あと、「女の尻を追っかける男」のチェイスシーンとか、キャットファイトの殴り合いとか、死への乾いた距離感(子供と馬と酒)とか。

アマプラだけでは我慢できず、スクリーンでもう一度。本当にいい映画。
日本語伊語仏語が飛び交う西部劇。
生死の残酷さと、男女が着飾って踊るラストとのコントラストか堪らん。

ウィリアム・A・ウェルマン『牛泥棒』(1943)をアマプラで。

すげえわ。ウェルマン天才。観終わった後の気分が、もう「凄い」としか言いようがない。
『女群西部へ!』もそうだったけど、視線の交錯の会話っぷりがとても上手い。でもまあラストの手紙読むカットだよ。反則。

YAMANE, Kazuaki 山根一晃 at アートスペース デカメロン

昨日のラスボス、歌舞伎町の飲み屋の2階。
中世欧州で不吉とされた黒猫が赤いシーツの上を蹂躙する(猫は赤色を認識出来ないとは初めて知った)。

渋谷statements 以来観てきたが、コンセプトよりインパクトが勝ることが多い。

SUZUKI, Izumi 鈴木いづみ at April Shop

とても面白かった。
視線が散るような四隅の色と、覗き込みたくなるコップの中とで、体か落ち着かなくさせられる。
白い壁とコンクリートの床の中に、地図の裏地の四角形が点在する人工的な感じなのもよい。

April Shopで観た鈴木いづみ。

拡散して落ち着かない視線が、コップの中に入れられた小さなモノたちに目を凝らす。視線のラジオ体操だわ。

展示空間はわりと狭いのだが、チェコの地図をめくる動作のせいでちょっと「底が抜ける」感じがする。そこが面白いの。

HASHIMOTO, Satoshi 橋本聡 at 青山目黒

青山目黒は、観て「とんでもねえなあ」と思わされることが多いのだけれど、今回も場外ホームランだった。

「宣言」する主体は何なの。

金曜から土曜にかけて怒涛のようにスゲエの浴びたが、白眉は青山目黒で観た橋本聡。

HP紹介文にあった「宣告」がすごくしっくりくる。「言われている・伝えられている」の圧がすごい。シンプルで身も蓋もない展示だから余計に。
作品リストの突っ放し方も合わせて、茫然としながら観ました。

MOMOSE, Aya 百瀬文『十年』 at Talion Gallery

あの警官のアップはドキュメンタリーか役者か。その可能性を排除しない撮り方だから。
デモ参加者の群れのプライバシーと、公僕たる警官の大写しのコントラスト。

国近美で観た『Social Dance』もすごくいい。なんで今まで知らなかったんだろう。

昨日の百瀬文『十年』。
国近美の『Social Dance』(写真)を観た時もそうだったが、百瀬文の作品の「顔」(の不在)が、『他なる映画と』で言われていた「断片性」と「記録性」を思い出してしまう。濱口の概念化の射程がすごいってことなんだろうけど。
あの警官の顔の開かれた感じなのよ。

第1回平波亘映画まつりの雑感。

『サーチライト』の山脇辰哉がとてもよかった。軽さと重さがうまく使い分けられるのはなかなか見ない。
2作に共通していたのは、輝之がトイレットペーパーを蹴散らして駆け出すスローモーションカットが、『餓鬼が笑う』の田中俊介ダッシュのオマージュ。あと、『サーチライト』の主題歌『Amnesia』と、『餓鬼が笑う』の英語題『Amnesiac Love』。記憶を失った者の恋愛が共通項。テイストは全然違うのに。
山谷花純の目はビー玉でできていると思う。
鴨志田国男(柳田国男?)の最後の台詞「何回だってやり直すんだよ」は『矯正視力〇・六』だわ。何度観ても、『餓鬼が笑う』は分からない。余白が大きいどころかみっちり全部詰まっているのに、ここまで「狐につままれた」まま観終わる映画は経験がない。血だらけで横たわりながら笑う片岡礼子、自動車に撥ねられても死なない萩原聖人、田中俊介をいきなり警棒でぶん殴る影山祐子。まともじゃない。

井口奈己『左手に気をつけろ』『だれかが歌ってる』 at ユーロスペース

去年のTIFF以来の『左手』。
2本続けて観ると印象が随分違う。これは自由と孤独とロック(子供はロックしてる!)の映画ては。
左(left)の看板から、ラストの左手パラダイスでのりんの真顔の凄み。
リンゴが転がって空間を飛び越えたら、これはもう『私は猫ストーカー』じゃないですか。
音の使い方が素晴らしい。特に、最初の、音で室内から屋外に繋ぐシーンとか。ラストの、なぜか歌ってしまう(ようにみえる)子供たちのシーンとか。
『歌ってる』の後に観たせいか、去年観た時の、一見ほんわかした印象がリセットされた。
終盤、「左」の丸い看板にりんが向かっていくカットで、左にポリティカルな含意も込められているのかと思った。ラストのマダムロスを聞いてからお姉ちゃんに再開する流れとか、極左観念論の通過儀礼のようにもみえてしまう。
りんが真顔に戻った後に見える風景は、抑圧された者の悲しみと愉楽、みたいな。
井口監督のインタビューで、そうか夜のシーンなかったなと。夜の映画ばっかり観てる自分はなぜ気づかん?

口武彦先生が逝去されました。
全集のない著作家では唯一、御著書全てを(熟読には程遠いが)購入し、文学理論や日本思想史の作物には大いに啓発・啓蒙されました。
謹んで哀悼の意を表します。

x.com/asahi/status/18012693036

黒沢清『蛇の道』 at ヒューマントラストシネマ渋谷
Kiyoshi Kurosawa 'Le chemin du serpent'

面白かったぞ。要所でくすぐられるようなうんざりするような可笑しみのショットが。
あと、小夜子自転車乗るんかいとか、マチュー・アマルリックあっちゅう間に殺されるのに最後まで出てるやんとか諸々
なんというか、映画とは運動なりっつうショットがいきなり出てくる。後半の子供たちがみっちり集まっているショットなんか、なんとなく動物か昆虫の動きみたい。
ストーリーとは関係なく(じゃないのかもしれないが)、意表を突くようなユーモア半歩手前みたいなシーンが出てくるんだよね。特に可笑しかったのが、走りながら引きずるせいか、死体がデカい茄子の着ぐるみに見えてくる。まるで運動会の父兄参加競技だわ。さらにロングショットだと、手をつないで草むらを走るカップルの青春映画にもみえてきてしまう。
アマルリックの死体にあんな表情させるのか、とか。
大の男がお尻を上げるシーンなんて映画で観た記憶がない。
ユーモアと恐怖と不安を上手く同居させてるなと思った。
あと、溶接する女、発砲する男、地面に落ちた飯を口でほおばる男、の縦の構図は素晴らしかった。旧作にもあったらしいから、この監督のすごさが分かる。

稲葉振一郎『宇宙・動物・資本主義』(晶文社)おおよそ読んだ。対談相手はかなり適当に飛ばしてry

ジャンル横断の対談てのは、えてして「お互いのハンチクな理解の遠吠えバトル」みたいになって面白くないんだが、「対話的専門知」(コリンズ)のレベルの高さでは他の追随を許さない(だよね)この人にしかできないマルチリンガルなお喋りが面白い。
俺はSFもアニメも興味ないので、内容によってはかなり興味のグラデーションがある。特に面白かったのは、最初の大屋先生との「不在の安藤馨」を巡るやり取りの緊張感とか、最後のトークの、「新自由主義という情念への甘え」へのやりきれない怒り爆発とか。
後者の、マルクス主義と新自由主義の共通点の話は面白かった。割り切れない現実を煮え切らないやり方でマネジする「政治」というものへの嫌悪が、(この言葉は好きじゃないが)「キャンセルカルチャー」と揶揄される心情の裏に潜んでいる危惧を日頃から感じているから。
蛇足。
「本当に頭のおかしかった頃の(つまり最高だった)柄谷行人」は、俺にとっては文芸批評を書いている頃だったと思う。鼎談で中野孝次に「ばかやろう」と言ってた時。

彼がもう一度文芸批評やるなら俺は本買うぞ。

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