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ファム・ティエン・アン『黄色い繭の殻の中』 at アテネ・フランセ文化センター
Pham Thien An 'Inside the Yellow Cocoon Shell'
ヤマ張ってアテネ・フランセを選んだ俺は、今日で今年の運を使い果たした感。
No words, no words...
とにかく劇場公開しろ下さい。何でもいいからもう一度観たい!

昨日のアテネフランセ、ファム・ティエン・アンの長編『黄色い繭の殻の中』と『静黙』『常に備えよ』の短編2本、それに四方田犬彦・石坂健治のトーク合わせて5時間コースだったんだが、特に映画の余韻が凄すぎてしばらく他の映画を観たくない(まあ観に行くけど。
以下ネタバレ込みでメモ。
映画を独学で学んだ33歳が初めて撮った長編が3時間、それが「撮影技法48手」(石坂健治)を駆使して、それもテクに溺れるわけじゃなく自分の世界観をしっかり見せる。
石坂氏曰く、ショット数は67。ショットあたり平均時間は3分。
繰り出される長回しも尋常じゃない。暗転した部屋に蛍光する時計の針がゆっくりクローズアップしながらダイアローグが聞こえてくるとか、かろうじて光がさす早朝にニワトリの朝無き→

プロジェクト・ユングラ《Living Room / Living Sound》
at 水性

すごく面白かった。ラジオのノイズさえ風景と化す。
VRのサウンド版のような、ラストはサイレント映画のような、あのハーモニカは50年代松竹映画のような。
イヤホン外すと別の「風景」。

大川景子『Oasis』 (2022) at 下高井戸シネマ
Keiko Okawa ‘Oasis’

これはかなり面白かった。大川さん監督もすごいわ。『ハッピーアワー』みたいなカットもキマッてた。
場内にはスクリーンや舞台で見た顔がちらほら。

昨日観た大川景子『Oasis』。満席だった。

他作を引用するのは監督の本意ではないかもだが、他にもバス・ドゥヴォス『Here』、三宅唱『ワイルドツアー』、ケリー・ライカート『ショーイングアップ』。時空を超えた本歌取り。
ドキュメンタリーと思いきや演出。音響の黄永昌の「出演」。

次回作切望。

濱口竜介『悪は存在しない』 at ル・シネマ渋谷宮下
Ryusuke Hamaguchi ‘Evil Does Not Exist’

No words, no words…
なんというか、神聖な映画だなあ。

『ハッピーアワー』に出演していた渋谷采郁、菊池葉月、三浦博之の3人と主演の大美賀均は、いわゆる「演技」をしないというか目が違う。俺には、あの4人だけ別のものを見ているような気がしてならん。

「これは、君の話になる」

『悪は存在しない』の感想をちらほら見ているが、ジェローム・ベルの
a new ontology based on the relationship between humans and non-humans
という言葉はけっこうしっくりくる。

昨日、下出和美を観ていて、この映画のことを思い出した。

津田道子「Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる」
ゲキレツに面白かった。小津を引用するなら、ホー・ツーニェンは津田道子の爪の垢を略
行き止まりで元のルートを戻るコースもナイスデザイン。演技する体のイヤラシサと、それに汚染されている俺らを反芻できる。
なんでこれが無料展示なの。

上にも書いたがこっちのほうが百倍面白かった。津田道子は、神村恵と「乳歯」というユニットを組んで、小津映画の俳優の動きをトレース・スコア化するというクソ楽しいパフォーマンスを観たことがあって、今回は、我々はだれでも「遅れてしまう」生き物だと言われているような展示だった。入ってすぐ目に入るソファーに横たわる人間の映像から、最後の「エンドレスローテーション家族」まで、上手な導線で楽しい。帰りは同じルートを戻らなければいけなくて、もう一度反芻することで「遅れ」が生まれるというよく考えられた展示だった。
松田弘子や永山由里恵が映像で出ていたのはうれしい驚き。

「乳歯」のパフォーマンスは演劇だけじゃなく映画関係者も(こそ)観たほうがいい。またやってくんないかなあ。

ちなみに、壁を隔てた隣は大通りに面したオシャンティなカフェ。でも展示の爆音は完全にカフェにspilloverしているので、訳わからん爆音が聞こえているであろう、お茶を飲んでいる若いカップルの背中を観ていると、ヨロシクない笑いが込み上げてくる。

ろばと氏の展示いろいろ観てきたがダントツ。

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「陸路(スピルオーバー#1)」 at アートセンターBUG

これは大変な現場よ。心臓への負担が。
むちゃくちゃ面白かったけど。あのロケーションでアレはエグい。

東京駅近くのオシャレなカフェの隣でやっていた、「陸路(スピルオーバー#1)」。素晴らしく破天荒。
頭と体がおかしくなりそう(なった)。おかげで、この後日暮里に行くはずが間違って東北線で尾久に行ってしまうという失態を。

以下ネタバレ。観てない人は読まない!
あからさまに性的なイメージが強調されている。
フラッシュの後で音とともに射精され(あふれ)るもみがら。この物体は、乳房?ペニス? 母乳? 精子?

「spillover (あふれる)」からは程遠い大音量で混ぜられた音のかたまり。穴の中から聞こえてくるので、ある種の「あえぎ声」なんだろうか。
もみがら放出の後、数分間の「何も起きない時間」がある。いわゆる「賢者タイム」というやつだろうか。

キュレーターのコメントには性的なことなど何も書いていないが、真っ白なデカい箱の中で立ちっぱなしでこの音を浴びていると、音と戦っている頭がクリアに考えられない。バカになれと?

最初の村上由規乃の横顔のアップ、山本奈衣瑠の「撮りたいなあ」の青いアップ、自転車の車輪越しの谷仲恵輔のアップ。でも、監督の「笑ってえ」に応えて歯を見せる男の子(たぶん素人)のアップは、映画の外から不意に覗きこまれるような仰角カットが素晴らしい。

2019年に、俺がスクリーンで一番多く観た役者は窪瀬環さんだったので、その方のサインをいただけたのはうれしい。片山亨監督新作が待たれるところ。

気になったもの。
窪瀬さんの白いG-SHOCKらしきごつい腕時計、山本奈衣瑠さんの部屋にあった今井俊介、大道具のデカいだるま、谷仲さんの焼きそばの見事な手さばき(取り分けた後も火を消さずに炒め切って残りをよそう)。

「走る」シーンが多分1度しか出てこない「走る」映画。ヘンテコオブヘンテコ。

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』 at テアトル新宿
遂に劇場公開の本作を1年ぶりに。花道で踏ん張るかの如き山本奈衣瑠の「道行き」ムービー。
踏切を通過する電車の窓に映った監督のショット、なんと偶然だったのか。最初観た時はとんでもないことを考えるなと思った。全編通してとんでもないけど。

蘇鈺淳『走れない人の走り方』。
ニェンガオの目線ショット、「撮りたいなあ」の桐子のアップ、桐子父の車輪越しのアップ、監督自身のアイリス・アウト。いいねえ。
パンフにある撮影日記がそのまま劇中とオーバーラップしてて笑ってしまう。
1年前に書きなぐった感想↓
twitter.com/jindongKT/status/1

4度目の、蘇鈺淳『走れない人の走り方 』 at 横浜シネマリン
アフタートークが終わって退場する時、本作のラストカットがまるっと蘇るという稀有な体験。
『オーファンズ・ブルース』で卒業制作映画の当事者だった窪瀬環さんと村上由規乃さんが、この「映画を作る映画」に出演してるのが俺的にツボ。

蘇鈺淳『走れない人の走り方』雑感。
映画館のファーストカットが黒、青い車、赤い服の村上由規乃、グリーンバックの緑と、リアルのバス車内のシーンまでの面白い色使い。→

キノコヤ5周年記念上映会「青い鳥」2回目。実に面白い作品たちとその並び。

最後に由美子さんが『走れない人の走り方』の告知をされておられた。鈴木卓爾監督メッセージの代読も。
俺はこれからシネマリンへ。

昨日の、キノコヤ5周年記念上映会「青い鳥」の感想を。

平林禄「幸福について」。語りの主体の入れ子構造。自宅の猫の態度が木舩さんと平林さんであからさまに違うのが面白い。猫に嫉妬する木舩さん。

黒川由美子「大地のマフラーを編みつなぐ」。
5人目のカワシママリノは編んでない。菊地敦子の「おばあちゃん」化。彼女の度の強い眼鏡と白いカーディガンと編み棒が、七里圭「ある渡り鳥を探して」の眼鏡と赤い服とマイクにつながる面白さ。

鈴木卓爾「チルチルとミチル」のエンドクレジットに、Migrant Birds Association 2024 の文字。

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キノコヤ5周年記念上映会「青い鳥」、今日はBプログラムを。
青い鳥と聞くと「ようこそここへクッククック」と反応して略

いろいろ面白かったなあ。ラストの鈴木卓爾『チルチルとミチル』、女性2人の主演というのは珍しいのでは。

キノコヤ5周年記念上映会「青い鳥」、Aプログラム。
ピンチョンに渡り鳥にメーテルリンクに沙知に漱石。面白いの沢山あったが、黒川由美子作品のフクロウは反則。

キノコヤ5周年記念企画「青い鳥」、せっかく全19作品観たので、気になった3本を。
七里圭『ある渡り鳥を探して』
菊地敦子と佐藤駿の間に常にマイクを置くというイヤラシさ。協力でクレジットされている神村恵がどんな影響を与えたのか気になる。
草野なつか『Improvisation長女』
おかしな陶芸とおかしな音楽。長女っつうから家族ものかと思ったら。。。こんなドキュメンタリー(なのか?)そら続編観たいわ。
鈴木卓爾『チルチルとミチル』
外部向けとしては『嵐電』以来か。京都芸術大学でのミニマルな作品。『常夜に』の2人の飴ちゃんのやり取りと、カメラの融通無碍な動きが印象的。「映画とは」の愚直でストレートな問いかけは、この企画ならではなのかも。Bのトリにふさわしい。

ニナ・メンケス『クイーン・オブ・ダイヤモンド』 at ヒューマントラストシネマ渋谷

なんだよすげえいいじゃん。昨日のマグダレーナはなんだったのか。
17分のカジノシーンは我慢できず舟漕ぎました。ラストの退屈なウエディングのシーンは圧巻でワクワクしたねえ。

五所純子さんのトークもとても良かった。
ラストシーンの西部劇性と、そう読んでしまうことの危うさ。
トーク中に指摘されていた「歩行の遅さ」、すぐ思ったのはイーストウッドで、そこも西部劇への連想が働いた。

中野成樹+フランケンズ 演劇作品集『ちがう形』 at 新宿シアタートップス
Aプログラム(110分):
『EP2(犬の話)』 原作:シェイクスピア『ハムレット』2幕より
『かがやく都市』 作:大池容子(うさぎストライプ)

帰ってきた中フラを新宿で。至極真っ当に面白かった。『EP2』はラストのかっけー佐々木愛が、『かがやく都市』は三河美優の「迎えにきてえ」が最高。

演劇っぽい演劇で唯一中フラは観られるのよな、何でか分からんけど。

『EP2』はラストのかっけー佐々木愛が、『かがやく都市』は三河美優の「迎えにきてえ」が最高。

演劇っぽい演劇で唯一中フラは観られるのよな、何でか分からんけど。

ほに『穴を埋める』(13番館)読了。
『このゆるい歯茎は私のせいじゃない』の続き。

やはり1日も欠がない(多分)。
書き出しは去年の8月なのに、伝わってくるのは暑さ(たしか去年も猛暑だったはず)じゃなく作者の冷たい手の温度。
River Coffee & Gallery での展示が本書のクライマックスだろうか。トリプルファイヤーを紹介する元上司、いいねえ。俺は初期の「富士山」が好きです。

「日記で指される「私」が自分であったかもしれない可能性を担保されたい。あなたとわたしが解り合えないことを、はなから宣言されたくない」

この人は文才があると思う。

ながら、最後は涙を拭いて台所に立つ咲(水川あさみの旅館の女将の割烹着姿がガチですごい)。

印象に残っているカット。
良治と関係のある女性の後ろ姿、咲の姿を映さずに良治が離婚話をするシーン。椅子で眠っているイヒカ。別棟からの宴会のカット。まるで演出みたいに降りてくる霧。
主演の三宅朱莉は、監督から歩く「テンポ」を注意されたそうだけど、シゲの後をつけたり、路上で振り向いたり、母をおいて山中の隠れ家に向かうイヒカの歩き方は、確かにややゆっくりで、重たいというより心が宙に浮かんでいるような歩き方だった。それも霧のせいなのかも。

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村瀬大智『霧の淵』 at ユーロスペース
Daichi Murase ‘Beyond the Fog’

なかなか良かったぞ。偏在する霧と余白。
山の中だが、動物や鳥の鳴き声よりも聞こえてくるのは風と硝子戸。
ゆっくりと引いていくカメラの中に取り残されるイヒカのショット(2回)が素晴らしかった。
イヒカ(なんて奇妙な名前の主人公だ)はよく寝るなあと思いながら見ていたら、徐々に既視感が。
村瀬監督と大学同期のはずの、瀬浪歌央『雨の方舟』だ。あれも、「森の中でだんだん人がいなくなる中で、"余所者"の女性が残される」。

以下ネタバレ付感想。
最初は林業や旅館客や地元の人に子供たち、あんだけスクリーンに人がいたのに、どんどん減っていって最後はイヒカと咲だけに。咲は『雨の方舟』の塔子と同じく、外から来た女性で、娘のイヒカも誰とも交わろうとしない点では異邦人。イヒカも塔子も、体を横たえることで物語を駆動してる感あった。あと、地元の方が登場してセミドキュメンタリーなシーンが混在しているところも2作に共通。冒頭の言葉のきれいな女性が、朝日館の本物の女将だとは驚きだし、宴会のシーンもふくめ、素人の映し方がとても自然。

自分の意思で家に留まることを選ぶ『雨の方舟』の塔子と、「どないしょ」とつぶやき→

『ブランクーシ 本質を象る』 at アーティゾン美術館

めちゃめちゃオモロいおっさんやった。
写真も映像もやってたんやな。一歩間違っとったら映画作家でグレートになってたかも。

アーティゾン美術館で観てきたブランクーシ。
例の『接吻』がお目当てだったんだが、立体がどれもバットの先まで振り切ってて気持ちよかった。『接吻』も近くでみるとえげつなかったし。全然知らなかったのだが、ブランクーシって写真も撮るのね。自作を撮った作品がどれもキメキメで、誰にも習わずに撮り出したらしいのだけど、すごい人だったんだなと。
一番驚いたのがブランクーシの映像作品。30年代のモノクロサイレントだけど、めちゃめちゃセンスある。動画だけ集めて特集してほしいレベル。

ご本人はヒゲモジャの冴えないマルクスみたいな風貌だけど、こんだけ何でもやれちまうのは驚き。 [添付: 8 枚の画像]

三木那由他『グライス 理性の哲学』(勁草書房)、読了。
「会話的推意」という面白そうな概念に惹かれて2年前に読み始め挫折してから、ずっと心残りだった本。

後半はやはり難しかった。グライスは、人間の理性(カント的な硬いものではなく、「人のあり方の合理性」みたいなもの)を出発点に、人間がどう考えたりコミュニケーションしたりするのかを解読しようとした、ということなのか。
難解な哲学用語を使わずに、例えば会話で起きている「言葉以上の何か」を説明したり、人が理由に基づいて行動したり考えたりするのはなぜかを考える。回りくどいとも言えるし、レンガを積むように丁寧に考えている、とも言えるんだが、これに付いていく知的気力が自分にはない。

本書で何度も使われる「理性」が、とても身近なものに思えるのは、グライスや著者が考えようとしていることが日常と地続きだからだと思う。だから読んでみたくなるんだけど。

INOUE, Mizuki 井上瑞貴 「Crown shyness」 at STUDIO@jia jia house

木の小部屋に置かれた「繋がり」の絵、家主の本棚に対峙する、緑に閉じ込められた映像(三宅唱《無言日記』を思いだす)。個展タイトル「Crown shyness」がとてもいい。お腹いっぱいになれるよ。

小部屋の真ん中に座ったら、切り取られた壁を通して2/3しか観られない、作家のご家族の映像。作家の仕事場の真ん中に据えられたディスプレイ。
窓から覗くくまモン(作家は熊本ご出身)。
《Perfect Family》というタイトルの絵が、会場の玄関に貼られていた台湾旧正月の組合字を想起させる。

これまで観たこの人の展示で、一番のインパクトだったと思います。

jindongKT さんがブースト

ブログ記事を書きました。
これまでトランスジェンダーの説明のために使われてきた「心の性」と「身体の性」という概念の組み合わせを、もうやめにしようという記事です。
たとえばトランスジェンダーの男性について、「身体は女性で心は男性」…そんな説明を聞いたことはないでしょうか。しかしそのような語り方では、現実のトランス男性たちの多様性は絶対に見えてきません。これは、トランス女性もノンバイナリーも同じです。
必要なのは、現在の社会における性別の「多元性」を捉えること、そしてその「多元性」に基づく「多様性」を捉えることです。そして、そうした目的にとって、「心の性」と「身体の性」という言葉の組み合わせは、もう役に立たないのです。
yutorispace.hatenablog.com/ent

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