プレゼンの発表が終わって、めちゃくち
ちゃ指導教官に褒められました😳
「批判的に資料を読み、一次資料(この場合は絵画そのもの)を入念に観察して、分析したからこその発見ですね!これこそが美術史ですよ!比較に使った絵画の選択も素晴らしい。様々な可能性を検証していましたね!」とべた褒めでした。
めっちゃ照れるやん😳😳😳
とは言え読んでる資料に間違いがある可能性を念頭に置きながら読め。というのは学部で学んだのが生きた…
西洋史、読んでる資料に誤訳の可能性や訳者の誤読の可能性が全然あるので、いやこの時代にこれはあり得ないのでは?とかそうはならんやろ…となったらまずは誤訳を疑うので、基本原文にあたらなならんので…
ドイツ語に関してはかなり色んな人からお褒めに預かるほど発音にも問題がないし、文法もところどころ間違いはあるものの、かなり高度なレベルで使えるようになってるなぁ。と思うんだけれど、ただ、この育ってきた言語には存在しない音なので、自分では聞き取れていないし、話す時にも区別できない。というのが徐々に出てきて。
因みに、lとrの違いと、eとäの違いが区別できません。全部同じに聞こえます。
ドイツ語母語話者には区別できるそうです。私には出来ません。無理ぽよ。
ふと、自分がかつて日本で住んでいた土地(海はないが湖ならある県)の旧宿場町の山裾の街で、鉄道は単線、町内を山を切り開いて通した幹線道路が貫いている。
で仮に今回の能登で起こったような地震が起こったとして。と考えたら、余裕で孤立地域になりそうで。
じゃあそれだけで、そこに住んでただけで、助けは来ません。救助も支援も出せません。だって、地震が一発来たらすぐにインフラが壊滅するようなとこに住んでる方が悪い。とかいわれたら、一生恨むだろうと思う。
それに、学校の校庭にヘリコプターは停まれへんのか?ドローンは?山越えたらすぐ隣県なんやから、そっから空輸で物資は運べへんのか。
なんで。なんで、なにもしてもらえへんの。できひんのほんまに。ってなってるとこで、無理ですー。って今のTwitterにあるような調子で言われ続けてたら、もうそれだけで絶望的な気持ちになるだろうと思う。
すでに被災しただけで絶望するだろうに。更に。
人災国家過ぎる日本。
これなんですが、美術史の界隈では稀によくある。
長年世間で認識されていた絵画のタイトルが新しい史料の発見だったり、修復によって、よく見えてなかった部分が分かったりすることによって「いやこれ全然言われてたタイトルとちゃうやんけ。」ってなったパターンのやつです。
ただ今回ちょっと面白くて。
300年近く歴史がある教会で現役で飾られてる主祭壇の絵画が全然言われてるタイトルとちゃうやんけ。案件でして。
描いた画家の研究してた大家の美術史家が19世紀とかに付けたタイトルに沿って研究されてきてたので、先入観+絵の保存状態が微妙ってので見逃されてて。
それを見つけたのでやぶもせんせも大興奮です。
憧れてた夢というか、美術史の学徒なるもの一回はそういう発見してみたい。がおこってしまって。
きゃあああああって感じです。いええええい!
早起きして実物見に行った甲斐あったし、なんならこの国に来て良かった。直接見て自分で写真撮ってとなって初めて発見したことだったので。
確かに知られてたタイトルにしては"らしくない"祭壇画やなぁ。と、寧ろそれがあるからゼミでテーマとして選ばれてたんやろな。さてどんな特徴や唯一無二的な点が見つかるかね。と思いながら取りかかったら、まさか全くの別タイトルやん。となるとは思ってなかったんですよ。
今学期のゼミの指導教官がすごい褒めてくれるし、すごく指摘が的確で明確な人で。
進捗報告へのレビューが、「よく気づいたね!これは私も見落としてました。この事に気付いて指摘をしたのは貴方が始めてです!心配していると書いていた論理の中心に据えているテーマとの齟齬が生じるのではないか?という懸念ですが、大丈夫です!章立ても正確で緻密なのでそれに沿ってやって全然OKです。そして、この画家の作品のこういうテーマにも注目してみて下さい。貴方のテーマの考察の一助になるでしょう。プレゼンをすごく楽しみにしています。」
って言うてくれはるので、めっちゃ嬉しくなってニコニコ都度もらったメールを読み返してはモチベーションを上げてる。
日常であからさまではなかったが感じていた欧州の欧米中心主義、白人優越主義、キリスト教中心主義、植民地主義、排他性が醜く表出したなぁ。とニュースをみて思ったのがウクライナがロシアに侵攻を受けて戦争が始まったときだった。
積極的な難民の受け入れ。積極的に示される連帯の意識。
同じ口でアフリカ諸国やアラビア半島の国々出身の人々、イスラム教を信仰する人々、とにかくなんか白人じゃない見た目の人々への受け入れには苦言を呈する。
信じられなくなった。この国でヨーロッパ人の見た目をしている人のことが。
その不信は、今回のパレスチナの件で確信に変わった。
口先で人権や人道主義を語る多くのヨーロッパ人が言うことを信じてはいけないことを確信した。
あいつらは明らかに肌の色と信教と出身地によって命の重さを量っている。
他者の存在の重要性を勝手に量っている。
あいつらにとって、あいつら以外の存在の重要性は無に近い。0になにをかけても答えが0になるように。
ありとあらゆる手で殺されながら、迫害されながら虐げられているその人たち自身が0から、0.01になるような努力を文字通り身を削りながらしなくてはいけない。
そういう気付きを持って2023年を過ごし年を越した。
くそだ。2024年はもっとよくなれ。
殺すな。殺させるな。
喧嘩っぱやい彼女ちゃんと、なるほど彼女ちゃんのママやわ…と納得してしまう更に喧嘩っぱやい彼女ちゃんママに囲まれ着いていけずポカンとしているのが私です。
喜怒哀楽の表出がのんびりなので、脳内で(この気持ちはなーんだろー)を一巡りさせてから、ふんふん。怒りか。分かった。となった頃には怒りが収まっている。若しくは(次回同じことがあったら言わねばな。)となって終わるので、とにかくその点が瞬間湯沸かし器な人たちに囲まれると、(おぉ。なんか怒ってはる。更に今度は別口で怒りの種をまた燃やしてはる…話題がずれていってる………おぉ。そして鎮火。)ってなるんだけれど。
流石に他者が目の前で、しかも自分の関係ないところで恋人や義理母がドッカンドッカン衝突しているのを私が戸惑ってみているというのを放置されてるんはストレスだいぶ貯まるな。ってなりました。ストレスが貯まっているのです。
約5年ぶりに日本に行きます。
家族に落とし前をつけるために。
母と連絡を断ってから、今までの家族と関わらないようにするためにはどうすればよいか。この家族と関係を終わらせるには。なるべく法的に関係を断つためには。
ということで。
義父との養子縁組を解消して、実父の籍に戻る手続きをしにいきます。
家父長制、戸籍制度に雁字搦めな義父実母夫婦なので私が彼らの戸籍から出たら、ほぼ関係を失ったと同じだと思うだろう。との予想です。
結局一周回って、出生時の姓に戻るのが地味に面白いのと、こうやって何度も過去名字を勝手に変えられた私がはじめて自分の意思で選んだ名字を名乗れるようになるのが嬉しいです。
とは言え、これ夫婦別姓の制度があったらこんな複雑にならんかっったんちゃうか。っていうのと、戸籍制度くそでは?っていうのと、同性婚が認められてれば彼女ちゃんと結婚してとっとと彼女ちゃんとの戸籍作っておしまいやったのに…という気持ち。
めんどくさいほんまに。
バチカンの発表、同性愛者を祝福してもよろしい。嬉しいは嬉しいんだけれど。
『教会は罪を祝福しません。同性愛者は罪です。つまり、同性愛者は祝福できません。』から大いに前進したとは言えるけれど、同性婚を祝福するわけではないし、教会で同性愛者が婚姻の秘跡に与れるわけではない。という点では結局のところ、以前と変わらず差別していることは間違いなくて。
ヘテロ、シス、男性、家父長至上主義な組織ではある。その点クソ野郎なので改めて欲しい。
イエスは胎内の時点で独身者として生まれついたものがいるって言うてるんだから、胎内の時点で同性愛者やトランスジェンダーや多様なジェンダーとして生まれついたものがいるってのも全然あり得るだろ。あと創造主が創造したのは男と女だっていうけど、女性と男性にも幅広ーーーく男と女があるし、トランス女性という女やトランス男性という男、どちらでもない、どちらでもあるという人間を神様だって想定して創造してる。って私は思ってるし、神様は懐深いし愛情深いから、いろんな人間ひっくるめて大事に創造してくれただろうな。って思ってますとも。
バチカンは違うらしいけど。
彼女ちゃんの目を掻い潜り、宅配ボックスと仕事の帰りがけに早上がりしてこっそり買う作戦と昼休み休憩を長めにとる作戦を駆使してとりあえずクリスマスと誕生日のプレゼントを揃えたんだけれど、誕生日プレゼントはこれから完成させなあかんし、ラッピングもしなあかんしで...
つまり...
「よいですか。絶対この扉の向こうを覗いてはなりません。」という鶴の恩返しチャレンジが始まる。
うちの母がなんというか、悪い人ではないんだけれど、とにかく親としての適性がない。というタイプの人で。
ただ、当時の(今も)感覚として、子どもは母親が育てるべき。女の仕事である。っていう押し付けと刷り込みのせいで、育てさせられてしまったんだろうなぁ。向いてないのに...
と思っている。向き不向きで言うと、もう絶対向いてない。
育てられた私が言うのだから、間違いない。
本当に、可愛そうだなぁと思う。産んだからといって、自動的に母性や親としての気持ちが芽生えるわけではなく、ましてや性格がころっと変わることもないだろう。子育てに向いていない性格の人が偶然子どもを産んだ。それから、なんとなくの流れと、そういうものだという刷り込みで、母だから、育てなければいけなくなってしまった。
可哀想に。本当に可哀想に。ついでに私もね。うっかり巻き込まれて、今更すごい引きずって苦労している。
ヨーロッパにラテン語があったおかげで大陸も言語も越えて知的な交流が可能になっていたみたいに。今は英語がその役割果たしてるけど。
一時期できていた漢語を使った横のつながりがアジア圏でどうして続かなかったんだろうとふと思った。
それこそ、今は漢字圏と言えるのは日本、中国、台湾、香港と華語を話す住民が多く住んでいる地域になっているけれど。
この間久しぶりに上海に帰って、アルファベット圏で生まれ育った彼女が漢字に溢れた街並みを見て目を丸くして、そして、自分が得られる情報が桁違いに少ないことがかなり負担だったようで。初級者として学ぶ100に満たない漢字と字体が変わるとあっという間にわからなくなる。というハンデがあるのもあり、私が100分かるところの1に満たないくらいしか分からない状況で。
これはものすごい私アドバンテージあるのでは?となった。漢字圏の中にあることが。
国民全部とは言わないけれど、政治の上のあたりとか、外交の部分とか、学問的な部分では昔のヨーロッパのラテン語でのやりとりみたいな感じで漢語でのやりとりを復活させたらいいんじゃないか。って思ったんだけど。
無理そう?無理そうだな...
今のインターンで19世紀のウィーンであった、日本政府が初めて公式に参加した万博のことを調査しているんだけれど。
文化戦争に積極的に参加して、資本主義に加担して、植民地主義にも積極的に組み込まれて、植民する側に入れてもらおう。”列強”になりたい。という意気込みと、意図とが凄まじく感じられて。
かつての”列強”今の西側諸国の被植民地国家や、そうであると認識した国への恐ろしいまでの冷淡さを見るにつけ。
ここに積極的に組み込まれに行ったの大問題だったよな...と。これがきっかけで、よくわからんがいつになっても抜けない名誉白人仕草と西洋至上主義が染み付いちゃったんだろ。ってなってる。
もう遅れに遅れているけれど、やらないよりかはもっとマシだし、すぐやるべきだと思うので。
この件、自省して、自己を振り返って考え直した方がいい。取り返しのつかないことになる一歩手前だと思うから。
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