最後の「非EU国民外国人問題」は構造的差別にあっている人たちの問題で、1つ前の「EU国民外国人問題」の人たちが有している移動、居住、労働の自由が制度によって阻害されている。そう法律が定めたせいで、「非EU国民外国人問題」はこれまでの『外国人問題』と「EU国民外国人問題」に加えて構造的差別の被害者でもあり。3重の差別的感情に晒されている。という問題で。
それにより、どのカテゴリーも差別を受けているんだけれどその重度が違うせいで、それぞれのカテゴリーの間に特権を有する存在『外国人』「EU国民外国人」とそうでない存在「非EU国民外国人」を産み出してしまった。
で、その差別の重度が存在しているという認識を持たない状態で"外国人問題"を話そうとすると話が通じにくくなる。
つまり、ほんとに"外国人問題"を考えるというなら、言語能力差別と言語ヒエラルキー主義を辞めて解体し、非EU国民に対してEU国民と同じ権利を与えてから初めて対等に語れ得る問題なんではないだろうか。と思う。
これはドイツ語圏の人たちやEU全体がまず構造化された差別と主義を解体すべきで。そこを考えない人間が「非EU国民」に対して彼らの立ち位置からの"外国人問題"を語ろうというのはあまりにも驕った態度ではないかなと。
彼女ちゃんと話してて、よく挙がるテーマが所謂『外国人』問題で。
オーストリア人はドイツ出身の彼女を『外国人』と扱うが、一定数の「外国人」(ここには私が含まれる)は彼女のことを何故「外国人」と見なさないのだろう。という話で。これは明らかに受け入れ国の方とEU法が悪いとは思うんだけれど、この異なる「外国人」と『外国人』を同じ"外国人問題"としているのが話を見えにくくして、かつ分断を煽っていると思っていて。
前者の『外国人』は私の捉え方ではドイツ語圏出身者としていて「外国人」はEU圏内非ドイツ語圏出身者「EU国民外国人」と更に細かく分けると非EU圏非ドイツ語圏出身者「非EU国民外国人」が存在している。
前者の『外国人問題』は同質性を強制する社会の問題というかホモソーシャル的社会が原因で。関西人と関東人で互いに差別しあってる。みたいな問題で。
後者の方「EU国民外国人問題」の方は言語能力差別や言語ヒエラルキー主義の問題であって、また前者とは違う。
私は書字障がい持ちで、パソコンがあってはじめて以前ほど時間がかからず日本語を書けるようになって本当に助かっているんだけれど、この間父と話しているときに、生まれて初めて身近で同じような問題(読めるし理解してるのだが、頭の中にある文字をうまく出力できない。記号やハンコを押すような感じで書いている。辺や作りで言われるとさっぱりわからない。同音異義語にめちゃくちゃ弱い。パソコンで文章を書いて、それを見ながら出ないと書けない。)を持っている人と話して。
祖母も全く同じらしく、どうも遺伝っぽいなぁ。と言うのが、数十年越しに分かって。
ただ、祖母も父も学校では「漢字がよう書けへんのはアホや。」的なことを言われ続け、私もかなり字が下手だったり、時間がかかる上に間違いが多いのを、アホやと言われていたので。大学ではまぁ帰国子女らしいし、こんなもんか。とか言われていたのだけれど。(住んでた場所漢字圏で、しかも数年でこんな書けへんやつおるかよって感じやけれども)
親子3代に渡って学校の理解のなさに苦しめられてきたのだなぁ。と。思うなどしました。
今回の帰国できちんと法的に家族になったと言うのもあったし、純粋に興味もあるしというので家族の歴史を少し聞いてみた。残念ながら祖父は私が幼い頃に亡くなっていて、結局赤ん坊の頃に顔を合わせたのが最後になってしまっていたから、遺影の写真でしか知らない。けれど、その祖父が移住した先の釜山出身だった。というのは初めて聞いた話だった。
義母が在日二世というのは聞いていたから、自分でもなるべく在日の方達の歴史を学ぼうと思ったし、これからもなるべく学んでいこうと思っているし、父が朝鮮語を学んでいるのを見ていつか私も...と思っていたんだけれど、祖父が釜山の当時の日本人街出身で、そして引き上げの時に曽祖母だけで子供を連れて帰らなければいけずかなり苦労したこと。という話を聞いて。
想像していた以上に私は朝鮮半島との縁が強い家の子で、それを知らずに生きていたのか。や、そもそもそういう家系ってめっちゃおったやろ、みんな言わへんだけで。という思いがあったり。
気付きと、今そういう話を聞けてよかった。という点でも今回の一時帰国と父ときっちり二人で色んな話を(まだまだ足りないけれど)できたのはよかった。
その3と4に関しては、身近な比較対照として東アジアの大都市上海と比較するのだけれど。
中心部の交通網がありとあらゆる所に張り巡らされていて、乗降者数の多い巨大駅では出口を間違うと地上に出てから遠回りをすごくすることになるので目的地までの最短出口を探すのが重要。という点では共通しているんだけれど、上海の方はすごい人混みだけれど、道も大きい上に、案内標識が多く迷う人も少ないのでカオスではない。ただ人が多い。
だけなのに対して、東京の方は、出口の表記や乗り換えの表記、主要な観光地への案内表記が少ない上に角を曲がったら表記が消えさる。という設計で、いちいち立ち止まって地図をスマホで確認する。そして道が狭い。その為、都度通路で立ち止まり確認をしなければいけない。という状況が発生しやすく、歩き方もウロウロするのでカオスな人混みが誕生してしまう。そして、やたらと狭い通路を通って曲がって、階段降りて登ってをするので導線が悪いし、視界も悪いし、案内表記も分かりにくいし、疲れている人や長時間の移動がキツい人、大きい荷物の人、色んな人に優しくない。
人任せすぎるし、優しくない。分からん、不案内なお前が悪いと言わんばかりの街では…?
と思いました。
今回の日本への一時帰国、約5年ぶりで家族にも祖母にも会えて彼女ちゃんも紹介できて、必要なものもゲットできて会いたい人に会えて。が出来た旅だったのだけれど幾つか気付いたことが。
その1
私ドイツ語すげぇ出来るやんけ?!家族と彼女の同時通訳をほぼオンタイムとはすごいのでは?!褒めろ!ここまでドイツ語を磨き母語も保持した私の努力と挫折と日々の学びを!!
からの
その2
お年寄りの方がありとあらゆる所で働きすぎでは?
その3
東京人が多すぎ、混みすぎ、カオスすぎ。迷い混んで二度と出られないかと思った。
その4
その3と関わる点もあると思うのだけれど、街が人間に優しくない。導線が悪い。特に人が多く集中しやすいところに限って。
という点。
https://twitter.com/NAVYPINK9/status/1751591722768036292?t=r9R0zVEzQqzru6RJZ7Qv6A&s=19
これ、すごく興味深い現象で。
この間彼女とAfD(=ドイツのための選択肢:極右で移民排斥、反LGBTQ+、コロナ懐疑派)の元党員のドキュメンタリーを見てて。ゲイの元党員が出演してて。(現在も党員に配偶者が移民のレズビアンの人がいる。)
党の囲い込みかたがかなりカルト教団っぽいというのと、多分自己認識や自己の受容が上手くいっていない人の受け皿としてかなり機能してるっぽいんだよな。ということを二人で話し合ってて。
何故かここであれば仲間と共に自分らしくいられる。という経験を強烈に植え付けられるっぽい。
学部が西洋美術史なんですが、彼女と話してる時に、「やぶの学部って右左で言うと、右じゃない?リベラルではないよね。明らかに。」と言われ。
個人的には右ではないとは思うが、逆立ちしてもリベラルではない。というのはそう。専攻分野で変わるけれど、(おそらく現代アート専攻は左かつリベラルが多いんでなかろうか。)西洋美術史という分野で想像されやすい、18世紀までのヨーロッパ大陸でのアートを専攻してる連中はかなり保守的だと思う。同じ歴史分野でも、歴史学ならほぼほぼ左なんだけれど、美術史になると途端に保守によるのが興味深いよね。
多分、自分の好きで良いと思っている専攻分野の芸術が”優れている”という盲目的な視点が故にそうなりやすいんだろうと思っている。
”美しい”は見るものの文化的背景や、育ってきた環境、視点、視界の有無によって左右されるし、美しい=他より優れたという意味ではない。
これ彼女ちゃんと話してて。
ÜとUとÖの区別はできるのにLとR ÄとEの区別がつかんのなんでやろねぇ。と言われ。
多分なんだけれど、ÜとUとÖは日本語に恐らく存在しない音なので、学習段階でそういう新しい音である。と覚えたのに対し、LとR ÄとEに関しては日本語に非常に似た音。"ら行"と"え"の音があり、私の脳内ではその近似した音として、LとR ÄとEが処理されており、4種類ある筈が2種類の音として処理されてるのでわからん。というのがあるかも。と思った。
Mies van der RoheとかのRoheは私には日本語のLとR の間の曖昧な"ら行"を使った、ローへと処理され、LとRのどっちかわからん。となり、ÄndeとEnde はどちらもエンデとして処理されてるためさっぱりなのではないか疑惑。
Mies van der ローheだし、Er arbeitet beim えnde.って聞こえてるんやろなって。
ゼミのテーマになってる祭壇画をまた撮りに行ったんですが、またもや絵画の中の登場人物が増えてて。
行く度に解像度が上がると同時に、(誰?!あなた誰なの?!前見た時はあなた居なかったじゃない?メンバー増やしたの?いつ?もーそういうのはちゃんと言ってよね!)という気持ちになっている。
一回見ただけでは全然見落としがある。っていう発見をしました。
実物見に行くほんと大事。
2年にわたって色んな美術史の分野でプレゼンと論文に明け暮れたんだけれど、本当に良いトレーニングと勉強と今後の学習の足固めに繋がった…
一期目は好きやし、学部の卒論で書いたからと思ってフランドル絵画にしたけれど、好きと研究したいは全然ちゃうな…ってなったのが良い学びになったし、バロックならやっぱりイタリアも…と思って取ったイタリアバロックは内容も絵画自体も全く趣味じゃないということがわかったし…
一番楽しいかも。って思ったドイツ語圏のバロック祭壇の構造や建築は、楽しかったけども、専門知識の足りなさと理系的な感覚が欠けてるっていうのでかなり苦労したので。祭壇建築については、もっと深めていきたいけれど、メインの研究テーマとしたいか?というとちゃうなぁ…ってなったので…
そして今回のゼミでやったオーストリアの教会の祭壇画が一番自分の興味と能力に合致したなぁという気付きがあって。
バロック祭壇に興味があったのは、そこに何故その画家によって描かれ、そのテーマなのか。を考えるのがめっちゃ楽しかったからで。建築ちゃうかった。っていう。
それから、絵画の観察についてはかなり自信があるので、やっぱりそれが活かせる研究分野やな。って気付けたのが本当に、嬉しい。
↑20/🏳️🌈Lesbe/Kunstgeschichte/Druck/The Old Guard/二次創作を書く人/カトリック