滋賀医科大生の二審無罪判決の件で、
『滋賀医大生の事件は、現行法の不同意性交等罪ではなく、改正前の【強制性交等罪】で逮捕起訴され』、『【強制性交等罪】は、現行の不同意性交等罪と異なり、【同意の有無】ではなく、【被害者の犯行(抵抗の誤りか?)を著しく困難にする程度の暴行脅迫】があったかが問われるので、元々、このような結果がありうる構成要件だった』という意見と『怒りの矛先を向けるのであれば裁判所ではなく、立証できなかった検察に向けるべき』という意見を読んだ(述べたのはそれぞれ別の人)。
私はこの2つの意見、納得できない。
同意の有無ではなく暴行凶悪の有無が問題なのだとしたら、何故、被告人は裁判で『「合意があった」と無罪を主張』したのか。そして飯島健太郎裁判長は『女子大学生が同意していた疑いを払しょくできない』とわざわざ述べたのか。
改正前刑法であっても、「同意の有無」が重要だからこそ、主張したのではないの?
改正前刑法の強制性交等に関する条文は『暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし』と書いてある。
改正前刑法であっても、同意がない性交=暴行が成立するのでは?
だって暴行罪は、服や体をつかむ等の行為でも成立するのでしょう?(→続く)
民主政国家において、裁判の公開が制度的保障として認められているのは何故なのか?それは決して手続きの正当性の確認、監視だけではないだろう。
そもそもとして。裁判所が下す判決や判断が第一に尊重されるのが法治国家の前提だが、当事者だけでなく市民から見てもその判断に疑義や疑念が生じた場合、説明責任、応答責任は絶えず求められる。そのプロセスは軽視されてはならない。それが社会が成熟していくと言うことなのだから。そうした批判が公の場で出来ることが保障されているのも民主政を構成する大事な要素であるはずで、市民からの批判を法的に無効だとしたり、批判者を無知だと切り捨てて、司法、立法セクターが現実社会と呼応することを忌避したり権威を背景にして否定しだした先にあるのが、専制国家、独裁国家であると、歴史がそれを証明しているのにね。
批判に対して法曹界に求められているのは啓蒙でも説諭でもない。我々が抱いた不安を払拭させる為の丁寧な説明だよ。そして現状ががおかしいのならば、それを改善するための手段を示すことだ。Twitter見ていると今の日本の司法は信頼を置くに足りる存在なのか極めて怪しく思える。この世に横たわる権力勾配が彼らの目に見えていないのが非常に気になる。
これを受けて、本物のパー氏はBluesky運営チームに対して偽物を削除するように求めています。ところが、海外メディアのTediumによると、Bluesky運営チームでは偽物ではなく本物のパー氏を一時的にブロックしてしまったそうです。あっ()
X(旧Twitter)の利用規約改定「中身のない」アカウントが次々閉鎖…その背景とねらいを考える | Web担当者Forum
https://webtan.impress.co.jp/e/2024/12/19/48304
なかなか面白い記事でした。「笑える」って意味で
"たとえば、「疲れた」「お腹が空いた」といった個人のつぶやき投稿をしているアカウントもシャドウバンされていたようです"……疲れた、くらい自由に書かせろよあほか / X(旧Twitter)の利用規約改定「中身のない」アカウントが次々閉鎖…その背景とねらいを考える | Web担当者Forum https://webtan.impress.co.jp/e/2024/12/19/48304
大人気アニメKをよろしくお願いします。
こちらでの運用の方向性を模索中なので軽率にフォロ・リムすることがあるかと思いますがお気になさらず。