フォロー

滋賀医科大生の二審無罪判決の件で、
『滋賀医大生の事件は、現行法の不同意性交等罪ではなく、改正前の【強制性交等罪】で逮捕起訴され』、『【強制性交等罪】は、現行の不同意性交等罪と異なり、【同意の有無】ではなく、【被害者の犯行(抵抗の誤りか?)を著しく困難にする程度の暴行脅迫】があったかが問われるので、元々、このような結果がありうる構成要件だった』という意見と『怒りの矛先を向けるのであれば裁判所ではなく、立証できなかった検察に向けるべき』という意見を読んだ(述べたのはそれぞれ別の人)。

私はこの2つの意見、納得できない。
同意の有無ではなく暴行凶悪の有無が問題なのだとしたら、何故、被告人は裁判で『「合意があった」と無罪を主張』したのか。そして飯島健太郎裁判長は『女子大学生が同意していた疑いを払しょくできない』とわざわざ述べたのか。
改正前刑法であっても、「同意の有無」が重要だからこそ、主張したのではないの?

改正前刑法の強制性交等に関する条文は『暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし』と書いてある。
改正前刑法であっても、同意がない性交=暴行が成立するのでは?
だって暴行罪は、服や体をつかむ等の行為でも成立するのでしょう?(→続く)

→けれども、肝心の『同意』について、裁判所は加害者側に有利な判例を積み重ね続けた。
被害者が拒絶の意思を示しても、身体的に相当抵抗しないと、同意があったように解釈するような判例を出し続けた。
『同意』とは何かは法令には書かれていない。検察が主張したのでもない。裁判所自身が出した判例で、積み重ねてきたことでしょう。
そして、刑法改正によって『不同意』の中味を事細かに整理された今になっても、また繰り返した。裁判所が。

だから、批判の先が裁判所に向かうのは当然ではないの?

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。