一方で「自分が嫌な思いをしたから」戦争反対、というのは、身をもって辛酸をなめたからこその、戦後生まれはとても持ち得ない強力な根拠でもあったのだよな…… SNSでリアルタイムに流れてくる戦地の様子も、やはり体験に及ぶことはなく…良識を備えた人はそれでも想像力を働かせて反戦を唱え続けているけど、戦争や紛争についての話題はシャットアウトしているか、ニュース程度しか気にかけない多くの人にとっては、同じ想像でもむしろ「戦時中だけど変わらぬ日常が続いている」とか「普段見下している隣国や非西側の国が侵攻してきたのだから反撃もやむを得ない」とかのほうが容易で、それだったら…とすでに受け入れの素地が整っているんじゃないかと思うと暗澹たる気持ちになる……
職場でお年寄りが戦時中や戦後の話をしているのに耳を傾けてみると「戦争は嫌」「絶対にしたらあかん」と異口同音に言っているけど、その根っこは自分や家族が大変な/怖い/ひもじい思いをしたから二度と同じ目に遭いたくないというところにあって、国家権力に人殺しを許してはならないし、その蛮行の片棒を担がされるのも断固拒否する、といったような、加害者意識と反省に立脚したものじゃないように感じられるのが危ういなぁといつも思う 戦争を自分たちが引き起こしたものじゃなく向こうからやってきた大きな災難のように捉えているの、国民が主権者じゃなかった時代の限界とも言えるし、時代に翻弄された犠牲者という一面も確かにあるだろうけど、とはいえあまりにも自分たちを免罪しすぎでは…?大変な目に遭ったからもう嫌、という文脈でだけ厭戦を伝えていたら、じゃあ今度はもっとうまいこと戦争すりゃいいんじゃん?のほうに転ぶ可能性を摘みきれないやん…?という気持ちが拭えない
例のPR会社が手がけたという仕事。やばい。
こういうノリで作ってしまう感覚もなかなのズレっぷりだけど、OKしてしまう広島側もどうかしてる。
https://x.com/japonistan/status/1861981265882472693?t=u1ZgXR-3HC3-oRQnEAxwwg&s=19
気付いてなかったけど、日本の捕鯨、絶賛進行中なんだね。
ナガスクジラの捕鯨が再開される事になったの、知らなかったよ。
日本の捕鯨母船が老朽化していると聞いてたので、それが引退したら母船式の大規模捕鯨は終わりだろうと思ってたのに、新造の母船もできたとか。
私も以前は日本の文化なんだからほっておいてくれ、と思ってたけど、陸上のキリンやライオンと同じで、海の生態系に大型哺乳類が存在することの重要性がわかってきて、「無いと困る」食物源ではないものを殺す必要は無いだろうと考えが変わった。
たまに湾に迷い込んだ鯨を到来者として感謝して頂いてた過去と事情は違うでしょ。
ナガスクジラ - Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%B8%E3%83%A9
うつくしいくにをとてつもなく恨んでいる