ひさびさに書店に行ってきた。
最近、田邉恵子さんの『ささやかな、一冊の、本:ヴァルター・ベンヤミン『一九〇〇年ごろのベルリンの幼年時代』研究』という本を読んでいてちょっと気になってきたので、『幼年時代』が収録されているコレクションの3巻を買ってきた。
ついでに「翻訳者の使命」とかが入っている2巻も買ってしまった。
エアルの『集合的記憶と想起文化』は初めて知った。去年の8月に出ていたらしいけど、まったく気づかなかった…。
むかし、たしかエアルが編者になっているCultural Memory Studiesという本があったはずで、これに入っているエアルの論文にはすごく助けられた。(その当時はErllってどうカナ表記するのが適切なのかわからなくて、「エル」と表記して引用してた記憶がある)
そういうのを思い出して懐かしくなったから衝動買いしてしまった。水声社にしては良心的な値段だし。
買わなかったけど、人文書院から出ていたホワイトヘッド論もおもしろそうではあった。が、値段が高すぎる…。人文書院って値付けが高い出版社だったかな。そういうイメージはなかったけど。。。
スポーツ紙記者と阪神岡田監督の一問一答で、岡田監督の「おーん」を文字起こしする必要、あるの? 「おーん」って要るのこれ??
2/8「日刊スポーツ」https://news.yahoo.co.jp/articles/dcb2eb3e6d24b406dabb67cc6e0af71697b18197
-ノイジーはフリー打撃ではセンター中心に
「ずっとそうやんか広角にな、おーん。ラスト何本かくらいは力入れるくらい、力入れているっていうかそんな感じやけどな、おーん」
特に印象に残ったテーゼVIII。
芸術の複製技術水準が著しく低かった古代ギリシアでは、一回的な芸術作品に永遠性という芸術的価値を付与した。複製技術が高度に発達した今日では、何から何まで複製技術によって作られる芸術として映画が生まれた。
映画とギリシア芸術を比較してみると、「映画とともに、芸術作品にとってあらゆる性質が決定的なものとなったのだが、この性質は、ギリシア人ならばおそらく芸術作品に最も認めがたい性質、あるいは芸術作品の最も非本質的な性質と見なしたであろうものである。その性質とはつまり、より良く作り直される可能性である。完成した映画というのは、一息に創造されたものではまったくない。・・・映画は、より良く作り直される可能性に最も富んだ芸術作品である。そして映画のもつこの改良可能性は、映画が永遠性の価値を徹底して放棄したことと関連している。それは反対の例を見ればわかる。ギリシア人の芸術は、永遠性の価値を作り出すことに頼らざるをえなかったので、彼らにとってあらゆる芸術の頂点に立つものは、改良可能性の最も少ない芸術、すなわち彫刻であった」
言い回しがかっこいい。
ベンヤミン研究の本を読みはじめたらベンヤミンの文章が読みたくなり、そしてちょうど半端な時間ができたので「複製技術時代の芸術作品」(ちくまコレクション版)を読んでみたら、とてもおもしろくて良かった。数年前にも読んだのだけど、何も覚えていなかったので、こんな印象に残るようなことを言っていたっけという感じ。
しかし今日中には読み終わらなかった。明日にはきっと今日読んだ内容すっかり忘れてる。
「短歌タイムカプセル」
現代歌人115人のアンソロジー。一人につき20首が選ばれて収録されている。軽い気持ちでめくれる読みやすい本。
ひとまずア行の歌人まで読んだ。
◆安藤美保
君の眼に見られいるとき私(わたくし)はこまかき水の粒子に還る
◆井辻朱美
楽しかったね 春のけはいの風がきて千年も前のたれかの結語
◆岡崎裕美子
体などくれてやるから君の持つ愛と名の付く全てをよこせ
はい、あたし生まれ変わったら君になりたいくらいに君が好きです。
◆岡野大嗣
そうだとは知らずに乗った地下鉄が外へ出てゆく瞬間がすき
もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい
◆奥村晃作
犬はいつもはつらつとしてよろこびにからだふるはす凄き生きもの
恥ずかしくて晋書の話ができない