マストドンで最近ワタクシをフォローした人へ。
ワタクシ「歩き旅」という風変わりな趣味を持っておりまして、この距離を全て徒歩で歩いております。
と言っても、日本一周自転車少年みたく一気に駆け抜けてるのではなく、歩き疲れたら最寄り駅を探して帰路へつき、後日その駅からまた続きを歩く…というかんじ。
歩きに歩いてもう4年め。気づいたら、こんなに歩いてました。島根の続きを歩きてぇ~。
すげえ
【お手持ちの烏口】映画『ブレードランナー』に出てくる謎の日本語ネオン看板などの元ネタ、ついに見つかる【基礎の充実の上に】
https://togetter.com/li/2023787
おおおおおおお。これは支持だな。いい企画だと思う。PENTAX!!!
PENTAX、フィルムカメラの開発検討を開始! まずはコンパクトカメラから | マイナビニュース https://news.mynavi.jp/article/20221220-2541890/
考えないで着手する方がうまくいくことがある話。
いつものように、1行目で全てを言い尽くしてしまっているのですが、話を続けます。散歩しながらの音声入力なので、変な部分があるかもしれません。
やるべき作業があるときに、考えずに着手しちゃったほうがうまくいく事は多々あります。
自分の無意識に言い訳をさせないのがコツだと思っています。無意識は、何かと言うと、やるべき作業をさせない方向に心を誘導します。
くたびれているからとか、もう今日は充分やったからとか、もう少し準備してからやったほうがいいよとか、その作業の前にこっちをやったほうがいいよと言う場合もあります。
でも、やることがもうわかっていて、着手して時間をかければ進むような場合には、あれこれ考えずに着手してしまうほうがいいですね。
以前の結城メルマガに書いた話ですけれど、私はキッチンタイマーを活用しています。百均で購入できるつまり100円のキッチンタイマーで、そのメリットたるや計り知れないので、ものすごくコスパの良い商品です。
キッチンタイマーを30分ぐらいにセットしておいて、いつも手の届くところに置いておきます。そして「そういえばあれをしなくちゃ」と思った瞬間に、目の前のそのボタンを押すのです。
そうするとわけもわからず、有無を言わさず、カウントダウンが始まります。なので、今思った「そのこと」に着手せざるをえないと言う気分になります。言い訳や、そういうものに耳を貸す暇はもうなくなりました。もうカウントダウンが始まっているのですから始めましょう。と言う気持ちになるのです。
これは大変有効ですので、ぜひあなたもお試しください。
結城メルマガには、こういう楽しい話がいろいろ出てきます😊
https://www.hyuki.com/mm/
どうでも良い話を書くのは大切。
SNSや、掲示板や、ブログや、その他何でもいいんですが、文章を書いて公開する場所で、どうでも良い話を書くのは大切だと思っています。
この話は以前も書いただろうかとか、こんな文章を書いては他の人にくだらないと思われるんじゃないかとか、あるいはまた、もう少ししっかり調べてから考えをまとめて書こうとか。そのように考えること自体は全然悪いことでは無いのですが、そればかりではまずいと思っています。
買ったばかりのノートブックは綺麗で、まっさらで、どうせここに書くのならば、きちんとしたことを書いていきたいと思うのは人情です。しかしながら、それはしばしば、思い切って書くための足かせとなります。
最初から傑作をかける人やまとまったことを書ける人ならば良いのですが、そうではない人は、書きながらいろんなことを考えるわけです。書いてみることで、新たにわかることもありますし、実際に書いてみて、自分の考えが不足していることも発見したりするわけです。
そして、ここが大事なのですが、書き進めるためには書き始めないといけないわけです。一歩目がなければ二歩目もない。そういう話です。
特に、一旦自分が書いたものを編集することができるのであれば、何はともあれ書いてみるのはとても大事です。
特に、自分がどうでもいいと思っていることを題材にして書いてみるのは良いことです。なぜなら最初から気負うことがなくなるからです。
もっと良いのは、どうでも良いかどうかはさておいて、考えていることをそのまま書いてみることです。これが良いのは、自分の頭で考えるだけではなくて、書き、表された文字を、自分自身が見ることができるところにあります。
自分の頭の中にある考えは、不思議なことに直接見ることができません。まあ見ることができると言えなくは無いのですけれど、他の人が見るようには見ることができません。当たり前ですね。形となって外に出なければ他の人は見ることができないからです。
そして、自分が考えていることを、いわば後先考えず書いてみるというのは、自分の頭の中にあることを形として外に出す良い練習となります。
これは習慣です。
いつも、何かにつけ(内容が素晴らしいことであっても、くだらないことであっても)文章を書いているならば、それは必ず、「いざと言う時」にも役に立ちます。
何が「いざと言う時」なのかは、人によって随分違うでしょうけれど。
もちろん、普段からまずいことをいろいろ書いて炎上している人は、自重した方が良いかもしれませんけれどね…
そんなことを朝の散歩をしながら考えていました。
この文章はまた、#マストドン への投稿を #結城浩の作業ログ に転記するシステムのテスト文章も兼ねています。
https://log.hyuki.net
【今起きていること】
・Twitter(というよりイーロン・マスク)が、Twitterからマストドンの大手サーバーにアクセスできないようにした。
・fedibird.com、mastodon-japan.netなど、特定のURLを入力してツイートしようとすると、投稿できないと表示される。またTwitterのマストドン公式アカウントなど、マストドンに関連しているアカウントも凍結された。
・既存の投稿に含まれるURLでは「有害なリンク」として扱われる。ただしアクセス自体は可能。
・この処置が、「Mastodon」などのワードを検知して行っているものなのか、「joinmastodon」登録のサーバーを何らかのブラックリストに入れて一斉に行ったものなのかははっきりと分かっていないが、有力なのは後者。拙著のマストドン関連のnote記事などは問題ない模様。 [参照]
silent10話感想です
silent10話
自分の中で熟成させたいからこっちで言葉にすることにする。
最後のやりとり、想くんがいう「君の声が聞きたい」のを見て、昔のドラマ「愛していると言ってくれ」を思い出しました。
聴者の主人公が聾者の恋人に「あなたの声が聞きたい、愛してると言って」とねだるんですよね。今回silentのこの回を見てからだと、なんて傲慢な、というか、あれはやっぱり聴者のための作品だったんだと思わざるを得なくなりました。
想くんが中途失聴者であるという設定もとても効いてました。中途失聴だから声を覚えているだろうという見る側の思い込みもあるけれど、そして想くんも今ちょっと心が不安定だから忘れてるだけで落ち着けば紬の声を思い出せると思うんだけど、目の前で紬が話しているのに声が聞こえない、という彼にとっての不全感がどれほど大きいものかというのを思い知らされたというか…はぁーーしんどい……
冒頭で、想くんが遺伝について検索していたのだけど、それって想くんが紬とのこの先恋人としての関係を持てるかどうか、伴侶としてのことまで考えてたってことですよね…それだけ本気でまた好きになっちゃって苦しくなるの、見てるこっちもつらくて。
次回最終回、2人はどんな道を選ぶのか…、
エルピス8話。
今回も見るのがキツくて、途中のCMが息継ぎタイムになりました。
地道な聞き込みと粘り強い交渉で真実と思われる結果に近づく岸本。だが彼の血と汗の結晶であるスクープはいともあっさり「何か」に握りつぶされてしまう。
日和った浅川は実に格好悪くて最低なクソ女であった…が、私には浅川をそうやって断罪する権利などあるわけがない。社会正義より目先の安心安全を選ぶことがその現場にいる人にとって影響が少ない場合だってあるということを嫌というほど思い知らされているではないか。その時死ぬのは個人の良心であり、明日のおまんまのために良心を殺すことなど大なり小なりありふれていることではないか。
そんなひとつひとつの小さな「良心の死」が積み重なってそれはそのうち社会全体を覆う「嫌なもの」に変容していくのかもしれない。
しかし、このドラマの導入部で「もう飲み込めない」と泣いて叫んだ浅川はどこへ行ったのか。再び「飲み込む」社会に囚われてしまったかのように見える彼女だが、また「飲み込めない」事態に陥るのか?ニュース8にいる間は我慢するのか?何かのタイミングで落とされたらまた叫ぶのか?真実はずっとそこにあって変わらないのに、また都合よく自分のためにそれを使うことにするのか?
この先も、私は固唾を飲んで見守ることにする。
silent9話、見てからどうぞ。
続きです)
今回のsilentは「障害の受容」を、当事者と家族にスポットを当てて描いていた。これまでの回では恋人や友人たちが受容していく様子が描かれていたが、8話ぶんの時間をかけて視聴者の土台を作った上でようやくそこに踏み込んできた。本当に丁寧に、細心の注意を払ってたどり着いた9話だった。
佐倉想は生まれつきではなく、だが遺伝性の病で中途失聴したという設定。いままで"ふつう"にあったものが失くなるということ。音楽とサッカーが好きなごく"ふつう"の高校生として、友達や好きな子に囲まれ生活してきたのに、病でそれら全部を諦めなくてはならないと思い込んでしまうのも無理はない…
余計な心配をかけたくない、と敢えて連絡を断つことにしてから8年。燻んでいた彼の生活を偶然こじ開けることになった妹ちゃんは結果GJだった。
初めて登場した時点では、ちょっと含みがあり疲れを溜めていたかのような彼の母親も、彼が変わることで笑顔が戻ってきた。きっとこれまで自分を責め、子供達からの風当たりも受け、疲れ切っていたのだろうね。
友達や恋人といった周囲の人々の暖かい理解が彼の思い込みを解くことで、彼の家族もまたさらなる受容へとステージを新たにしたのだろう…。
silent9話、見てからどうぞ。
silent9話 このドラマも私にとっては全くの他人事ではないのだ… 父方の親戚に聾唖の人がいる。なので幼い頃から「そういう人もいる」ということを自然と受け入れていたように思う。私が結婚する時に母がその親戚の存在を気にしていたっけ。「あなたは大丈夫だから」と言われたっけなあ、なんてことを今日の放送見て思い出していた。(ちなみにその親戚は聾唖者同士で結婚し、彼らの子は健聴者であった。彼女は役所で手話通訳士をしています)もしかして母が父と結婚する時にそのことが障害の一つとしてあったのかもしれない… そんなこともあって、聾唖の方が多く参列する葬式にも出たことがある。静かなのに表情豊かでとてもおしゃべりな皆さんであった。健聴者はあれほど表情豊かに喋ることはないなあ。かれらはコロナでマスクしてることが増え、表情からの情報量が減り、困っているだろう… そういう環境なので手話の一つでも覚えよう…なんで殊勝なことは全く思わなかったのだけど。 ドラマの中で奈々さんとその友達が言っていたけど、同類同士で付き合った方がいいのかどうかはわからないけれど、私の親戚は聾学校での出会いで伴侶を見つけたようだ。
ヴィレッジブックス、出版事業終了のお知らせ。
コニー・ウィリス『航路』(ソニーマガジンズ時代)やピーター・スワンソン『時計仕掛けの恋人』、J・D・ロブ(ノーラ・ロバーツ)「イヴ&ローク」シリーズを出してくれた版元なのでとても残念。その3作はそれぞれハヤカワとハーバーコリンズに移って再刊されてるが、実はヴィレッジブックスでいちばん好きなのはエリック・ガルシア『さらば愛しき鉤爪』『鉤爪の収穫』『鉤爪プレイバック』のシリーズなので、どこかで出してくれないかなあ。あとお菓子探偵ハンナのシリーズはどうなるんだろう?
https://villagebooks.net/vb_/
うーむ。Twitterの喧騒が嫌いな人が来る段階から、Twitterと同じ拡散力をほしがる人が来る段階に移行しているな。
Twitterも、いくつかの爆発的発展段階を経て今の混沌に辿り着いたのを思い出す。
Mastodonに実装されている「木陰に隠れる」ための種々の機能がどれくらい働くのか、観察して使いこなせるようになりたい。
MixiもFacebookもその他いろんな消えたSNSも、やめたり再開したりしてきたのは、とどのつまりは「常に人はいるけど穏やか」という場所がほしかっただけなんですがね。