東日本大震災のとき、石巻とかに自警団が現れてたよな、と思ってググったらすぐに当の本人たちのブログが出てきた。
なんというか、遊び感覚だね。自分らが殺人一歩手前までいってることをまったくなんとも思ってないんだな。
そして警察も極めていい加減なことを言ってる。止めろよまず。馬鹿なのか。
https://ameblo.jp/sasara-gym/entry-10853695379.html
「反植民地闘争は当然激しくなる。だが植民地主義は、その比較にならぬほど苛烈で醜く、長期におよび残虐である。だが人は前者の苛烈さばかりに目を奪われ、この長期の暴力について無関心になりやすい。私自身も歴史研究者としての反省を迫られている。」
https://www.chosyu-journal.jp/heiwa/29293
若林宣さんの『女子鉄道員と日本近代』(青弓社)が今朝の朝日新聞の書評に載ってた! 評者は藤野裕子さん。とてもいい本なので、多くの人の目に触れると嬉しい。
「女子鉄道員と日本近代」書評 見過ごされてきた歴史描き直す
https://book.asahi.com/article/15176769
こっちにも貼っておきます。ロシアにおける銃後の国威発揚商品消費事情も激しく知りたい
有料記事がプレゼントされました!2月24日 11:54まで全文お読みいただけます
ウクライナ、愛国消費に熱 国旗色チョコ・子ども支援の香水…「便乗」批判も:朝日新聞デジタル https://digital.asahi.com/articles/DA3S15870406.html?ptoken=01HQ9Y5CRN2NK4Y19G3QDZF13N
2017年に書いた「教育勅語にはいいことも書いてある」論について(WEB論座、有料化されちゃった……)
「「教育勅語そのものは悪くない」とは、ここ最近の教育勅語擁護論の決まり文句と化している感がある。歴史的・政治的な文脈から「教育勅語」を切り離し、そこに書かれた字面だけで判断して欲しいという願望の現れなのだろう。けれどもその願いは彼女の中で矛盾している。
というのも、彼女が賞賛する「親に孝行し、兄弟姉妹は仲良く……」といった徳目だけならば、居酒屋のトイレやお寺の掲示板に貼ってあるしろものと大した違いはない。その徳目をそのへんの普通の人が書いたものならば、彼女はきっとありがたがりもしないだろう」。
https://www.youtube.com/watch?si=MEr-pj9PTL5gkISp&v=bceqChmwu-A&feature=youtu.be
アウシュヴィッツ強制収容所と壁一枚隔てた屋敷に住む、所長一家の暮らしを描く映画『関心領域』(日本公開5/24)。
英国アカデミー賞の受賞スピーチで、製作を勤めたジェームズ・ウィルソンは「ガザやイエメンの民間人虐殺にも関心を向けるべき」と発言。イスラエル批判が反ユダヤ主義と結びつけられる中、ホロコーストを扱った作品からこういう声が出てくるのは大切。
「哲学入門の森」でトークすることになりました。「縄文」的なものが、ここ10年ほどの「日本スゴイ」コンテンツの中でどのように扱われているかをレポートします:一般向け 「「日本スゴイ」のなかの縄文像」 2月25日20時~ https://junchann0202.shop/items/65befbf9b4563843db7f6e86
👀うお…本物の世界平和教授アカデミーの内情だ
ブログ👇👇
科学史家・中山茂が2010年から2013年まで執筆したブログです。この中の記事の多くが再構成され「一科学史家の自伝」(作品社)として出版されました。
世界平和教授アカデミー、福田ヘルツ
http://paradigmer-blog.shigeru-histsci.main.jp/?eid=238#gsc.tab=0
👀この福田「ヘルツ」信之氏(筑波大学元学長・世界平和教授アカデミー)の記した本を根拠に自民党の教科書攻撃が行われたとのこと
https://twitter.com/dongurido_ri/status/1758800438030409941?s=46&t=586We7fVxUSxbcL9y-UdRA
数年前に稲田朋美の本を読んだら、やたらと「多様性」とか「寛容」を唱えて、そのへんをウリにしたいんだなということがよくわかったが、結局は「では、私は何を守るのか。日本の国柄をなす、圧倒的に美しい伝統だ」「その根底に流れているものは2000年以上続いてきた皇統」「お父さんをたどれば神武天皇まで続くという、世界で唯一の圧倒的な系譜の重み」……というところに収まっているという、〈天皇の下での多様性〉だった。
これを『臣民の道』(昭和16年)では「萬民各々その所を得る」と表現している。こういう理屈を歴史的に見てきているので、「多様性」「寛容」というワードがありさえすれば「おっリベラル?」ってならないようにしよう。
「多様化」したんじゃないんだ、もともと混沌として多様であったことに気づいただけなんだ
湯澤規子『「おふくろの味」幻想:誰が郷愁の味をつくったのか』(光文社新書、2023年)
「結論からいえば、古代、中世、近世、近代、そして現代に至るまでずっと変わらず「お母さんがごはんをつくってきた」というのは実は誤った認識である。明治・大正期の世相の変化を描いた柳田國男は次のように言っている。
温かい飯と味噌汁と浅漬と茶との生活は、実は現在の最小家族制が、やっとこしらえ上げた新様式であった。
両親とその子どもだけが構成員の、いわゆる「核家族」の誕生とそこで繰り広げられる料理や食卓の風景は、近代になってようやく登場した新しいスタイルだと柳川は言う」(37頁)
我胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙は濃ゆし敦賀原発
敦賀原子力発電所1号機で「煙が見える」周辺の放射線量の値に異常なし 排気ファンのモーター部から煙という情報も けが人なし | MBSニュース https://www.mbs.jp/news/kansainews/20240208/GE00055346.shtml
編集業。하야카와 타다노리 。『神国日本のトンデモ決戦生活』(合同出版→ちくま文庫)『原発ユートピア日本』(合同出版)『「愛国」の技法』(青弓社)『憎悪の広告』(共著、合同出版)『「日本スゴイ」のディストピア』(青弓社→朝日新聞出版)あり。 真理が我らを自由にする&労働が我らを自由にする。