セックスとジェンダーの違いについて
セックスSexは生物学な性別で、FemaleかMaleか。WomanかManかで表されることもある。
ジェンダーGenderは社会的な性別(性役割)で、WomanかManか。
男性ならスポーツが好き、髪は短く、リーダーシップがある、黒や青が好き、など。女性なら受容的でケア労働が得意で赤やピンクが好きといったステレオタイプであるし、「こうあるべき」という圧力。最近は自認の性別(性表現?)を表すためにジェンダーという言葉が使われることもあってその種類は非常に多い。
当然男女のジェンダーになじめない人は出てくるし、なじむ必要もないのでジェンダーをなくそう、ジェンダーを解体しようと言われる。
ところでSex(生物学的性別)がSexual Intercourse(性行為)をイメージさせるのを避けるためにGenderという言葉が使われる場合があってまぎらわしい。
さらにFemale/Male、Woman/Manの区別をして話すべき場合でも日本語では全て「女性/男性」にされてしまうので混乱が起こる。きちんとするなら生物学的女性、生物学的男性とするか雌/雄とする必要がある。
この前のハッシュタグデモの経緯のまとめを作って下さった方がいらして、ありがたいです。
しかし、J.K.ローリングさんをトランス差別をする人だとか、ジェンダークリティカルをトランス差別だとか一方的な決めつけを行う人がいることも確認できました。
自分はそうした一方的な決めつけに反対します。
性自認だけで性別を変更できるようにした結果女性の人たちの安全が損なわれたり、スポーツ参加の機会を奪われたりしている事態をローリングさんもジェンダークリティカルを掲げる人たちも問題視しています。
実際に起きている問題なのに差別という強い言葉で口封じを行うことこそ女性に対する差別ですし、イギリスではジェンダークリティカルは法的に保護される言論だという司法の判断も降りています。
「自認」という概念について検討するときに参考になるのがレイチェル・ドレザルという人が起こした事件です。
この人はアメリカで黒人として黒人の人たちの権利保護に関わる仕事もしていたのですが、実は「黒人自認の白人」だったことが判明し大きな問題になりました。
白人から抑圧されてきた黒人の人たちの歴史や経験を踏みにじる行為だという批判や、そうした歴史の中で作り上げてきた黒人の人たちの文化の簒奪だという批判もあったかと思います。
かつてジョン・レノンは女性の人たちが「世界の奴隷のそのまた奴隷」の立場に置かれていると指摘し男性たちにアクションを求めました。
では女性の人たちを「世界の奴隷のそのまた奴隷」の立場に置いてきたのは一体誰なのでしょうか?
その女性の人たちの歴史や経験を踏みにじる行為があるとすれば、それは一体どのような行為だと思いますか?
【ジェンダークリティカルという言葉の悪魔化と一方的なレッテル貼りに反対します】
ジェンダー、つまり男ならこうあるべきとか女ならこうあるべきといった差別的な性別役割分担意識、社会的性役割というものを批判的に見て、そうしたものを無くして自由に生きられる社会にしていこうというのがジェンダークリティカルな考え方の基本です。
特に下図のように女性の人たちが階級差別を受けている中では重要な考え方になります。
こうした考え方について丁寧に話を聞こうともせず一方的に悪魔化したり差別であるというレッテル貼りが横行しています。
そうした風潮には反対しますし、だからこうしたアカウントでさまざまなテーマで易しく説明していこうとしているのです。
男性が自分自身のミソジニーを認識して反省し、それを変えていくのは簡単なことではありません。認識できるまでが大変なので。
しかし男性たちが女性たちを支配・搾取している社会構造がある限り、それに取り組まない男性は女性の人たちを自覚なく差別し続けることになります。
そして口では左派やリベラルを自認したり人権は大切だとか全ての差別に反対だとか言っている男たちのほとんどが女性差別に積極的で、その自覚すらありません。
世界的にもこのことに気がついた女性の人たちが政治的に行き場がないと真剣に悩んでいる事態になっているんです。
そんなことでは人権を守っていくことなんて決してできないと思うので男尊左翼問題を重視しています。
昨日のこの図ですが、これまで市井の女性の人たちが訴えてきたこと、フェミニズムの中で言われてきたこと、男性学者の人たちが分析してきたこと、自分や他の男性たちを分析してきたことなどを合わせるとこう考えられるということです。
しかし現在、偉い大学の先生や活動家の人たちはこれとは違うことを言っています。そしてそれは様々な矛盾を孕んでいます。
だから笙野頼子さんは「男尊左翼」という言葉で批判をしたのですし、他にも多くの人たちがその矛盾を指摘しています。
1番大事なのは.周縁化された男性というのはホモソーシャルの中での相対的弱者ではあるが、女性の人たちの側から見るとマジョリティ、搾取する側であるというところです。
ここを無視して女性の人たちがマジョリティだとか特権があるというような言説は間違いであり、女性の人たちへのガスライティング、ハラスメントです。
他人をトランスヘイター扱いしておいて
「トランス女性は女性です。女性専用スペースを利用できるのは当たり前だし女性スポーツに参加させるのも当たり前です。女性政治家として選挙に出られるのも当たり前です。でなければトランス差別です。」
ときちんと言えない人は、その人自身がトランスヘイター呼ばわりされても仕方ないですよ?
でなければただの二枚舌ですよね。
笙野頼子さん、J.K.ローリングさんに賛同しています。