日本人は「親、先生、上司、治療者、医者、etc.は偉い人だから自分より何でも知っていて教え導いてくれる人」みたいなのが骨の髄まで染み付いているのでその勘違いから解放するためだけにどれだけの労力と時間が必要か分からない。
同時にそうやって偉い人に盲従することと引き換えに、偉い人が何もかも丸抱えで察して口に出さなくてもみんな満たしてくれる…みたいな願望がある。口に出して要求すると煙たがられるから機嫌良く良い子をしていると相手が「可愛い良い奴よ」と何でも満たしてくれる…満たして貰えなくても文句を言ったら嫌われて捨てられちゃうからもっと可愛い子にならないと…みたいなやつ。
違いますからね。
親、先生、上司、治療者、医者、etc.は、自分の要求を突きつけても良い人、自分の話をちゃんと聞いて、出来る範囲でだけど対処したり守ったりする人ですよ。
それに対して、弱い立場の人間のやらなきゃいけない事は遠慮や忖度なしに求める事、伝える事、要求する事です。
控えめに待ってるのが良いのではなくきちんと自分の要求を突きつけるのが善。
上の立場の人間も何もかも叶えてあげないとダメだという万能的な思い込みがあるから逆に要求を恐れてしまう。下の者が「察して」自発的に切腹するように仕向ける。コミュニケーションの遮断。
紙の東京新聞読んでたらぶち当たったニュース。ベトナムの国家主席が辞任、とのこと。理由は新型コロナウイルスに関わる多くの不正疑惑だそう。
「国営ベトナム通信は「多くの関係者が違法行為に手を染めて深刻な結果を招いており、フック氏は指導者としての政治的な責任を取った」と指摘。事実上の引責辞任となった」。
違法行為したら辞任が叶って、国営の報道がこういうの言えるっていいな〜〜〜…………って心底羨んだ時点で、あ、日本はこれを羨ましく思う立場なんだ、って改めて思ってゾッとした。アベノマスクってどうなりましたっけ。
リンクは時事通信のもの。
被害者のいる事件、特に性犯罪だと典型的なんだけど、加害者または加害者を擁護する人に向けられる言葉として、「あなたの大切な人(家族、子、親、恋人、パートナー、…)が同じことをされたらどう思うんだよ?」ってのがあるよね。実はこれに昔から違和感がある。
まあ、そういう想像力のない人に対して少しでも想像力を喚起するっていう効果はあるだろうから、全く無意味とは思わないけども、
でも、誰かの大切な人だから守らないといけないんじゃないよね? その人をその人自身として守らないといけないんだよね? どんな人だって、大人だって子どもだって、主体性を持った大切な個人なのだから。
人を傷つけたのならそのこと自体が悪いんであって、誰かが悲しむから悪いんじゃない。
これって、高齢者差別に対して「みんないつか高齢者になるんだよ」とか、障害者差別に対して「誰だって障害者になる可能性はあるんだよ」っていうのと同じで、まあ言いたいことは分かるし説得力もあるんだけど、でもでも、
自分も同じだから権利を守るんじゃなく、自分と違うからこそ守るってのが大事で、それが人権の根っこだと思うんだけどなぁ。他者に対する想像力。
博多での事件の被害者、離婚歴がありお子さんもいると知り、それまでどこか他人事だったのが一気に心理的な距離が縮まる。
被害者の属性と自分の属性との相違点次第で、こんなに感じ方が変わるのか…
(倉持仁さんのツイート↓)
次に流行る株がどれかによりますが、ワクチン効かず、かかった方が獲得した免疫も効かない可能性もあるため、速やかに検査して速やかに投薬する体制構築が急務です。いい加減にして欲しいです。
https://twitter.com/kuramochijin/status/1614790846989340673?s=46&t=7FK2XCBOEL9mvXUz3W3bgA
BT
日本語は、二人称を使うのが一般的でないんだよね…
「あなた」「きみ」あたりは性別関係なく使えると思う。
けど、以前、男性に向かって「きみは」と言ったら露骨に嫌がられたことがある。たぶんその男性の中では、偉いおじさんが目下の人に「きみはね〜」とかいうときに使うイメージだったんだろうな。と思ってそれ以降使ってない。
BT>ジェンダーと関係ないけど、高校生の頃、家業の雑貨屋の店番手伝ってる時に、近所の飲食店の人に(うちは歓楽街の真ん中にあったので、主なお客さんは近所の飲食店などの商売人だった)「お姉ちゃん」とか「お姉さん」とか呼ばれるの、嫌だったなぁ。相手の方がずっと年上なのに、何で私が「お姉さん」なのか分からなかったし。
成人してから嫌だったのは、警察署とかに用があって行った時に「奥さん」とか「お母さん」とか言われるやつ。特に後者は「いやいや、私はあなたのお母さんではありませんから」と言う気持ちで一杯だった。
今、猫の動物病院で「(猫の)お母さん」と呼ばれるのは、最初は「え?私、産んでないです」と、ビックリした。今は抵抗ないんだけど(「はい、母です」と言う気持ち😆)。でもこれもジェンダー問題的には問題あるんでしょうね(見た目で判断されているんでしょうから)。
SNSでジェンダー発信 「声上げる女性」へやまぬ攻撃 ゆがむ日本 - 毎日新聞ニュース
https://mainichi.jp/articles/20230116/k00/00m/040/035000c
空気感染のことは相変わらずなかったふり、無症状でも感染することは無視。
マスク外すことで動くようになる「経済」なんて存在しないし、でもそもそも「経済」動かすのには感染対策するのが一番なんだから、政府が通したいのは「経済優先」とかいう下衆なスタイルでもないんだよ。
使い捨てにしていいことにした命を使い捨てにすること、それに日本住民を慣れさせること。
戦争の練習だね。
政府が「いいよ」って理由つけたら、一般人の命は軽く扱っていいことになりました。
自民党の人たちは空気感染対策も万全だし、検査も投薬治療も今まで通り、自覚症状ほぼないくらいの軽症でもすぐに受けられます。5類になっても金あるから大丈夫だし、特別ルートだから院内感染の不安も既に低減されている。
だから「何も問題ない」。
私もある時期までは、必死に希望を語ろうとしてたことがある。しかし、それだと本当に自分の心も体も動かなくなってしまう、そんな感じになっちゃってたことがある。結局思い至ったのは、希望を語ろうとするとどうしても嘘が混じる、自分でも信じてないことを無理やり言ってる感じがするってこと。それがどんどん苦しくなっていったんだよね。嘘は毒だと思う。特に自分自身に向けてつく嘘は。しか
何をやろうと結果は変わらん、経済的破局も戦争もきっと防げない、止められない、その様に感じられないことを認める。そうやってきっちり絶望する。その上でどうするの?と考えて、ようやくいろんなことを考えたり行動したりできるようになった。……だから、少なくとも私にとって、絶望するって「全てを諦めて放棄する」って話ではない。
左派が求めるのは一緒に考えること。共に重荷を背負うこと。知らない方が楽だし無責任でいられる。それを曲げて真実と向き合って、と呼びかける。そりゃウザがられるでしょ。歓迎されるわけがない。右派はそんなこと求めない。一緒にネグること、それだけ。徹頭徹尾、より楽な方へ楽な方へ人を誘惑する。本質的に違う。私だってそっちに行きたいと思うこともある。明らかに楽だもの。
ただ、私を繋ぎ止めてるのは、そんな自分を許せる気がしない。そんな醜い生き物には絶対なりたくない。逆に言えば、それしかない。やり方を、工夫を考える必要がないとは言わない。ただ、そもそもこれは公平なゲームではないことをはっきり認識しておくことは必要だ。普通に考えれば、勝負にならない。結局、それでもやるのかどうか、自分自身が如何生きるのかという問題。
東京を離れ、山の側へ。あと半年くらいはここの暮らしのことをドヤってると思います。
子2人、猫2匹。子1は不登校。
フルリモートのプログラマ、興味関心は教育・農業
twitterから来ましたが、名前・アイコン変えてます。