新しいものを表示

本屋lighthouseとして、その立ち位置とともに認識されることが増えていくにつれて、公私の区別をつけて「もらえない」ことの苦しさというか疲労というかが積み重なっていく感じがあり、年々それは重みを増している。被害妄想なのかもしれないが、「なにもしない」「なにもしていないように見える」ということを常に責められている気がしてしまい、社会で(あるいは界隈で)なにか事が生じるたびに、言いようのない圧を感じてしまう。

この観点からも、Twitterでの更新をほぼやめてしまったことはよかったように思える。SNSで繰り広げられる人間関係と、その関係性と切り離すことができないままなされる各種の「(推測による)断定」に晒されていると、最終的には身動きがとれなくなるから。

実現可能かどうかは関係なくたのしいことを考えないとまずい。とりあえずいまやりたいのは青土社『現代思想』風のZINEで『現代思想 特集:千葉ロッテマリーンズの現在地』と称した本気とも冗談とも捉えられるマリーンズ批評をやること。さまざまな寄稿者がいるが、すべて私のペンネームによるひとり批評。巻頭特集は「なぜ有藤が解説のときは勝てないのか」と題されたエッセイ。

行方不明にならねばやってられん。

適切かつ十分なケアがなされていれば生じなかった差別がある。

初マリンスタジアムの友人に、まさにマリーンズと言うべき内容の試合と、由緒正しきマリーンズファンとしての動じないメンタリティを示すことができて、私は満足でございます。マリーンズとは、そしてマリーンズを応援することとは、もののあわれである。

おれのまわりのあらゆるすべてが停滞している。台風も含めて。

ただでさえ壊滅的だった8月が、最終週ずっと台風居座り事象によってダメ押しをくらっている。

そこだけは大丈夫なのだろうか、とか思うけども、根本的には星野の主張そのものに対して私はさほど興味はなく、その主張が正しいか正しくないかについてはどうでもいいと思っている。反省したい者はすればいいし、反発したい者はすればいい。その結果として、本来の目的であるはずの「差別や虐殺などがなくなる」という目標に近づくのであれば、どちらの立場や手法をとるかは些細なことなのではないか。

スレッドを表示

星野の記事のよろしくないところは、自分の主張が受け手によって都合よく利用されるのが嫌だ(から政治的な主張を明白におこなうのはやめて文学の世界に戻りたい)というようなことを言っておきながら、「リベラル」「カルト」「正義」のような曖昧な言葉を多用して批評を(無自覚に)おこなっているところだと思う。ゆえにその曖昧さによって「私のことか!」となった者らが反発したり反省したりしているし、そのことによりまた分断(これも曖昧な言葉)が生じている。圧倒的な定義不足。

そしてこの「曖昧さによってさまざまな解釈を可能にする」という手法はまさに文学の手法であって、星野が批評家ではなく文学者であることの証のようなものにもなっているのだけど、だからこそ「自分の主張を受け手の都合で勝手に利用されたくない」というような欲求を抱き文学の世界に戻っていくのは悪手なのではないか、と思っている。

スレッドを表示

つまり私のこの投稿もお戯れでしかない。我々本屋は、なにかことが起きるといつも「本を読もう」と言ってしまうが(戦争に抗おう、とか)、実際に本屋をやっていて体感するのは、本で救われるのは「それだけの余裕がある」者らであって、本当に救われるべき存在は本屋になど来れない、ということだった。

スレッドを表示

星野の決意表明的な批評には一理ある(一理もない言論のほうが稀ではあるのだが)。しかしその「一理」を肯定できるのは己が特権的立場あるいは状況にあるからだ、という認識がないままだと、差別や虐殺などのど真ん中に放り込まれている者らを置いてきぼりにするだけになる。そもそも、星野の批評をああだこうだと言える状況にあること自体が、己の命が脅かされていないことの証である。「星野の批評を理解するには彼の作品を読む必要がある」みたいなことを批評家や我々本屋は言いがちだが、そんなのは貴族のお戯れでしかない。

スレッドを表示

差別や虐殺などのど真ん中に放り込まれて身動きが取れなくなっている者らからしたら、本の力だとか文学の力だとか言論の力だとか知性だとか理性だとかといったものはどうでもよく、とにかく我々をここからすくい出せ、ということでしかない。その現実を見据えつつそれらの力を信じ行動するのか、その現実から目を背け(=特権を行使し)ながらそれらには力があると叫ぶのか、そこには大きな違いがある。端的に言って、後者は現実逃避でしかない。しかし出版業界の一員として、我々は常に後者の在り方を選択していると言わざるを得ない。

oasisには「シティは最高でユナイテッドはクソ」ということをあらためて発表してもらいたいな。

R sekiguchi さんがブースト

生成AIは、たまに嘘やでまかせを言います(専門用語でハルシネーション:幻覚といいます)。現在のAIの技術では、このような嘘の低減はできても、根絶はできません。
(大事なことなのでもう1回。ハルシネーションの根絶は ** できていません **)

医療現場にAIを導入する場合、このことはもっと周知されるべきです。

この事案では、ハルシネーションへの注意喚起を怠ったIT企業側の責任も大きいと思います。 [参照]

あさいちバッティングセンターに成功したけど、わたしひとりしかいない状況でホームランに当ててしまって気まずい。カスカスのスピーカーから「ほーーーーーーーーーむらぁぁあん!!!」という安っぽい音が鳴り響いてしまった。

スポーツにおいて「感覚」と「理論」は両立するし、両立させることができる者が一流となる......対立概念ではない......

スレッドを表示

最近、やっと自分の身体の動かし方についての理論的な「感覚」がわかってきていて、あらためて自分の身体が練習量に耐えられないつくりだったことの悔しさを感じている。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。