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こういうことを考えている出版社ももちろんあるが、ほとんどの出版社は既存のシステム(委託制度と再販制度など)を少しも疑問に思わずそのまま乗っかり、そのなかで生存戦略を実施する。ゆえにその既存のシステム内における弱者が、システムの持つ歪みによる皺寄せを最もくらうことになる。

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神保町ブックフェスの「半額セール」を見るたびに「それをそのまま本屋に仕入れさせろ、そして30%オフで売らせろ」と思いますね。本が安く買えるほうを選ぶ権利が読者にはあり、責められる謂れはひとつもない。問題は、本を安く売るという権利・選択肢が(公式には)本屋にないこと。

数日後に神保町ブックフェスがあることをひしひしと感じる売上。

『違国日記』では医学部入試に関する女性差別反対運動を高校生がしている描写が少しだけどありますね。まさに当事者として医大を受けようとしていた子が本編でブチギレていて、その子の友人(男性表象)がSNSで反差別ハッシュタグ付きの投稿を勇気を出してしようとしている場面が巻末おまけに載ってます。本編では運動そのものをがっつり描くことはないけども、医学部志望の子が当事者として運動に参加した/せざるを得なかったであろうことは推測が可能で、だからこその巻末おまけになるのだと思います。なお、そのふたりは本の貸し借りもしていて、本編内で貸し借りの様子が描かれるときに見えるのはチョン・セラン『フィフティ・ピープル』でしたね。

興味がないで報告していたが、何度やっても蘇るのでもはやスパムとして報告するも、それでも何度も蘇る。向井秀徳の性的衝動よりも蘇る。

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お店のTwitterアカウント開いたらトレンドのとこに自民党広報からのプロモーションハッシュタグが出ていて、しかしあらゆる対応をしても消えず、そういうことなんだな、と思うなどしてしまう。

こんなことは考えてはならないのだが、こうも売上が酷いのが続くと「神保町ブックフェス雨で中止になってくれ」とか思っちゃうよね。

表面的には「小さな本屋にも仕入れのハードルが!」というメリットを感じさせるものではあるが、ようは「トーハンという大手が小さな本屋と取引をしないとやばいくらい追い込まれている(=チェーン店との取引が死に目)」ということであり、(大きな)出版業界の終わりの始まりを感じますね。

文フリに大手出版社が出てきてしまう、各地で出版社しか出れないブックフェスがどんどん増えていく、というのと同じで、大型の肉食動物が虫や草を食べ始めた、つまり待っているのは生態系の破壊だということを、どれだけの者が理解しているのか。ブックフェスの濫立は本屋の売上を奪い、大手取次の囲い込みは中小取次の売上を奪う。

yomiuri.co.jp/culture/book/202

なお、その下には定期刊行の『ザ・フナイ』と『中国「反日の闇」』『日本社会の破壊を企む! 中国人スパイ「秘密工作」最前線』というタイトルが続いている。

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「森永卓郎・泉房穂」「内田樹・池田清彦」のそれぞれ共著がビジネス社から刊行されることを知り、結局金と名誉か......と思ったが、金=印税はともかく名誉はどうなんだ、と思い直した。略歴にビジネス社の文字があるのは汚点だからね。

結局この3連休は地獄でしかなかったな。

いまだに本屋として取材を受けたりするたびにこのちょきんのことは「よいもの」として紹介させられる/質問を受けることになるが、もはやどう受け答えしてよいかわからない状態になってしまっていて、常に嘘をついている感覚がある。なんなら本屋そのものすらなんでやってるのかわからない。しかしこれはネガティブなものではない。けども取材者はこんな回答では納得してくれないのでそれっぽい答えを捻り出すしかない。

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もともとこのちょきんシステムは「売上1冊につき10円」をまわすことにしていて、それだとよくて月平均5000円くらいにしかならず、お客さんがお釣りを入れてくれるのを合わせても月1万円もいかない、しかしもはやちょきん利用者数と利用額はそれを超えていて、ちょきんから使われたお金をそのまますぐにちょきん箱に戻すなんてこともほぼ毎月している状態で、システム自体崩壊していると言ってよい。こんなのを慈善活動と言うべきではない、とも言える。

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たぶんこれは誰にも理解してもらえないことかもしれないが、もはや子ども読書ちょきんなるものをやっていていいことなどひとつもなく(もちろん売上にならないどころか損になるし)、にもかかわらずやめたいとも思わないのでやっている、という状況で、なにゆえ続けているのか説明ができない。始めた当初はいろいろと理由があったが、いまはもうそのあたりのことはどうでもよくなっていて、しいて言うなら「なんかおもしろいから」でしかない。でもこの「もうようわからんなってもうて」がネガティブな感情を生じさせないから不思議。

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そもそも私は子どもちょきんも寄付/支援も慈善活動だとは捉えていなくて、アナキズムの文脈で言うところの「自発=やりたいからやっている」に近いものとして捉えているんだけど、おそらくそこの認識のズレがある者と相対したときに、こういう「キツさ」を感じてしまうのかもしれない。

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慈善活動をしている=身銭を払っているのは自分だけ、という感覚になってしまうのだろうか。慈善活動をする「団体」「法人」「お店」的なところはなにも負担をしていない、あるいはその存在すらないことにされてしまう、ということなのか。橋渡しの役割を担う存在は、むしろさまざまな「負担」を引き受けているんだけども......。

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あと今日キツかったのは、寄付/支援グッズ系のお金の行き先を訊かれたから丁寧に回答したら「じゃあ信じますよ(納得はしてないけど、という雰囲気を出しながら)」みたいな返しをされたことで、悪用されないかと不安になる気持ちはとてもよくわかるが、私だって身銭を削って各種労力もかけて支援(とその橋渡し)をしているわけで、そんなに不安なら自分で直接お金渡すなりなんなりしてほしい、という気持ちになってしまい、ほんとうによろしくなかった。これもまた「慈善活動には金/コストがかかる(が無視される)」の一例。せめて「納得してない雰囲気を出す」のだけやめてくれればよいのだけど。

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そもそも慈善活動はほぼほぼ実を結ぶことなどないし、結局のところ自己満足でしかない、くらいに思っているほうが適切だと私は思っているのだが(現実としてそうだし)、そうじゃないのか、世間的には。

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自分の善意が役に立って気持ちよくなれることの裏側には誰かの負担がある、ということを受け入れたくないのだろうか。

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