今日はもはや慈善活動と言うほかない本屋をやってしまった。

子どもが本を買うために使える貯金箱がレジにあるので月に1人1冊使ってよいということにしているのだが、それはあくまでも「子どもだけ」で来たときということにしている。しかしまれに「親が店の外にいる」状態で使われることがあり、とはいえふだんからちょきんを使っている子ども本人からしたらいつもと同じことをしているだけ(たまたま親がいるだけ)であり、断るわけにもいかず、なのだが、そういうことじゃないのよ〜、とはなる。親は大人なんだからもう少し気をつかってほしい。私の視界に入らないところにいてほしい。

今日は「○○買ったから本は買わないよ」的な親の発言を先に耳にしてしまってからだったので、こうかはばつぐんだった。

子どもにはまったく悪意はなく、そして罪もない。そして「タダで本をもらえる本屋がありそこに自分の子どもが行っている」ということを親が知っていてもよい、むしろ知ったうえで子どもを泳がせてくれれば=自由にさせてくれれば、それがいちばんよい。ほんとうに本を買う余裕がないのかもしれないし、こういう仕組みを運用しているのはこちらなので文句を言うつもりはない。ただ、「協力」してほしいとは思う。あるいは「共犯」になってほしい。

まあ、相当難しいことを要求しているのだけども。

子どもが「ちょーお得なとこあんじゃん!」となるのはかまわない、むしろそれでよい。そのぶん大人はその仕組みを維持するために支払われている各種代償のようなものの存在を意識してほしい、ということなのだけど、「慈善活動には金がかかる」という本来ごく当たり前なことを誰もが忘れがちなので、さもありなんということか。

慈善活動=ボランティアは美談じゃないんだよな〜、でもそうなりがちだし、積極的に参加してる(≠運営してる)人ほど運営側から「現実」を見せられると怒ったりするんだよな〜、慈善活動なんだから文句言うな/言い方考えろって言い始めるんだよな〜、この前もブックサンタでそういうの見たな〜、慈善活動はお前を気持ちよくさせるためのものじゃねえぞ〜、んぎゃあ〜

ブックサンタ運営が「参加本屋が増えて本屋でサンタしてくれる人が増えたのはうれしいけどそのぶん運営費の負担がやばい」ということを表明したら炎上してたんだけど、それは表明すべき現実だし、その表明方法が軽率だったとしてもその事実は受け止めなくてはならんのだが、「言い方が悪い」という運営批判が大きくなり、運営費逼迫=慈善活動にも金がかかるという事実が遠景に遠ざけられた、という感覚がどうしてもあり、ほんとうに本屋(本好き)界隈は搾取で成り立っているな〜、と思いました!!

自分の善意が役に立って気持ちよくなれることの裏側には誰かの負担がある、ということを受け入れたくないのだろうか。

そもそも慈善活動はほぼほぼ実を結ぶことなどないし、結局のところ自己満足でしかない、くらいに思っているほうが適切だと私は思っているのだが(現実としてそうだし)、そうじゃないのか、世間的には。

あと今日キツかったのは、寄付/支援グッズ系のお金の行き先を訊かれたから丁寧に回答したら「じゃあ信じますよ(納得はしてないけど、という雰囲気を出しながら)」みたいな返しをされたことで、悪用されないかと不安になる気持ちはとてもよくわかるが、私だって身銭を削って各種労力もかけて支援(とその橋渡し)をしているわけで、そんなに不安なら自分で直接お金渡すなりなんなりしてほしい、という気持ちになってしまい、ほんとうによろしくなかった。これもまた「慈善活動には金/コストがかかる(が無視される)」の一例。せめて「納得してない雰囲気を出す」のだけやめてくれればよいのだけど。

慈善活動をしている=身銭を払っているのは自分だけ、という感覚になってしまうのだろうか。慈善活動をする「団体」「法人」「お店」的なところはなにも負担をしていない、あるいはその存在すらないことにされてしまう、ということなのか。橋渡しの役割を担う存在は、むしろさまざまな「負担」を引き受けているんだけども......。

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そもそも私は子どもちょきんも寄付/支援も慈善活動だとは捉えていなくて、アナキズムの文脈で言うところの「自発=やりたいからやっている」に近いものとして捉えているんだけど、おそらくそこの認識のズレがある者と相対したときに、こういう「キツさ」を感じてしまうのかもしれない。

たぶんこれは誰にも理解してもらえないことかもしれないが、もはや子ども読書ちょきんなるものをやっていていいことなどひとつもなく(もちろん売上にならないどころか損になるし)、にもかかわらずやめたいとも思わないのでやっている、という状況で、なにゆえ続けているのか説明ができない。始めた当初はいろいろと理由があったが、いまはもうそのあたりのことはどうでもよくなっていて、しいて言うなら「なんかおもしろいから」でしかない。でもこの「もうようわからんなってもうて」がネガティブな感情を生じさせないから不思議。

もともとこのちょきんシステムは「売上1冊につき10円」をまわすことにしていて、それだとよくて月平均5000円くらいにしかならず、お客さんがお釣りを入れてくれるのを合わせても月1万円もいかない、しかしもはやちょきん利用者数と利用額はそれを超えていて、ちょきんから使われたお金をそのまますぐにちょきん箱に戻すなんてこともほぼ毎月している状態で、システム自体崩壊していると言ってよい。こんなのを慈善活動と言うべきではない、とも言える。

いまだに本屋として取材を受けたりするたびにこのちょきんのことは「よいもの」として紹介させられる/質問を受けることになるが、もはやどう受け答えしてよいかわからない状態になってしまっていて、常に嘘をついている感覚がある。なんなら本屋そのものすらなんでやってるのかわからない。しかしこれはネガティブなものではない。けども取材者はこんな回答では納得してくれないのでそれっぽい答えを捻り出すしかない。

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