都知事選のあれこれ、立候補者に始まり箕輪の蓮舫支持します投稿とか、ようは「悪ふざけでアテンション集めて気持ちよくなる」の類なのだけど、これはリベラル側もやってしまうことなんですよね。藤井セイラの「百合子雑誌」とか典型。で、「悪ふざけでアテンションを集める」ことに関してリベラル側にはそもそもの時点で勝ち目がないわけだから、その土俵に乗ってるうちは負け続けるわけで、つまりこういう指摘をされて納得できないのであれば、当然のように今後も負け続けるだけですよね。
あと、百合子雑誌がよろしくないのは、「政治のこととかあんまり触れたくないんだよね」と思っている層が最も忌避するやり方を、まさにその雑誌風画像そのものがやらかしているところ。必要な批判と不必要な揶揄の区別がつけられないからこそ「批判しすぎ/誰も傷つけたくない」みたいなことを思ってしまうのに、揶揄風の批判を見せつけたら嫌がられるに決まっている。
草の根を拡げていくのなら、まずは土を耕さなくてはならない。土を耕すというのは、荒れている土地に農具を入れて掘り返し、そこに肥料だとかの栄養素を混ぜていくことであり、それはノンポリ=初心者たちが「なにを知っていてなにを知らないのか」をまず先達が知り、どのように教えていけば正しく知識を得てもらえるかを考え、実践し、改良を重ねていくことなのではないのか。誰にも手入れをされないまま痩せ衰えてしまった土に雑に種を蒔き、乱暴に水をやり、育たないことを罵ることではない。当然、種の種類や個体差ごとに育ちやすい環境も違う。そういうめんどくささを引き受けずに「教育」「啓蒙」をしているつもりになっているうちは、永遠にかれらノンポリは味方にならない。
いわゆるノンポリ層の意識を変えるために必要なのは、リベラル側の丁寧な説明と忍耐力。「こんな簡単なこともわからないのか」みたいな態度を出した時点で負けだし、「ネトウヨは馬鹿」みたいな批判の仕方をしても負け。ノンポリがなぜノンポリであることを選んでいるのかを考えてほしい。かれらは「いいひとでありたい」と思っているし、「誰のことも傷つけたくない/悪者にしたくない」と思っている、ある意味では思いやりに溢れている善人なんだから。