マイノリティのことを、理解できる/理解できない、認める/認めないという軸で話が進みがちだったりしますが、それは軸の設定がズレてしまっています。
例えば、性的マイノリティの例でいうなら、マジョリティであるシスやヘテロの人々は、非シス非ヘテロである人々の理解や認知を前提にして暮らしていません。
目の前にいる人は、理解しようがしまいがそこに生きています。認めようが認められまいが、命を紡いで生活しています。なのに、なぜ軸の設定がずれてしまうのか。そこには無自覚な偏見や無自覚な特権が働いていることが多々あります。
中でも、「認める」というのは無自覚な特権の代表格ともなるものです。なぜ、上から目線で他人のあり方をジャッジする側に立っているのでしょう。
マイノリティは、赤の他人に認めてもらうために生きているわけではありません。ただ、自身のセクシュアリティと共にこの社会を生き、人生を築いているだけです。
よって、言えることは「人のあり方やその人生は自分の想像を超えて多様なんだということを、ただ受け止めるだけ」
認めるかどうかではなく、誰かが排除される社会構造こそを問題にしなければなりません。
われわれ下々の者どもがどんなに息を止めたりしてCO2削減をがんばっても、西も東もアホ指導者が兵器をドンパチして環境負荷をまきちらすわ、世界最大の影響力を持つ国、アメリカじゃ、気候危機の人為的原因説を否定して環境より経済を優先しようと人間が大統領になるわ、下がる要素がなにもないもんな。いっそのこと、じゅって感じで一瞬で焼き殺してほしいけどじわじわ蒸し焼きにされるんだろうな。われわれも今のうちにたっぷり吸い込んだ空気を吐き出しておこうな。
>米国では再選を決めたトランプ前大統領がパリ協定からの再離脱を表明している。
世界の気温、2024年は初の「1.5度」超えが確実に EU気象情報機関
https://www.cnn.co.jp/fringe/35225878.html
「行きすぎたリベラル」という定型区を見出しにしちゃう時点で、さてはこいつ……ばかだな?と思ってしまう。
しかもハリスとトランプですよ。どっちが「行きすぎた」人物か一見目れば明確じゃないの。移民がペットを食べてるなんて目を疑うレベルの陰謀論を討論会でのたまっても、トランプを「行きすぎた右派」「行きすぎた保守」とは言わないくせに。
【未解決】北海道の「大雪山」の正しい読み方は,「タイセツザン」か「ダイセツザン」か(守谷中央図書館)
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000037335&page=ref_view
なんか朝日新聞がひどい記事を出していた。
「ジェンダーや特定の人種などの権利や利益を擁護する「アイデンティティー・ポリティクス」を進めてきた民主党。」とか「米国社会は同性婚を認めるなど多様性を重視してきたが、行き過ぎへの反発も生まれている。」とか書かれていて、大丈夫かという感じ。
ここに言われる「アイデンティティー・ポリティクス」は、日本における「ポリコレ」のように、右派の人たちによって奪い取られ、意味を歪められた概念。それをそのまま分析概念として使うのは不用意にすぎる。
また、せいぜい構造的な排除や差別を経験している集団の剥奪を埋め合わせるためだけのリベラルな政策に敗因を求めるなど、それこそ「マイノリティを重視しすぎ」だろう。
具体例として同性婚を上げているけれど、異性婚しかできない社会を変えて、同性婚を認めることが、どのような意味で「行き過ぎ」ているのか?異性愛者たちこそ、これまで「行き過ぎた」法的保護を受けてきたのではないか?
https://www.asahi.com/articles/ASSC71RS6SC7UHBI018M.html
危機感とか言っておいて、此の期に及んでもまだジャニーズとかなんか変な場所にたくさん金出して、内輪で金儲けすることしか考えてない気しかしない。
経産省がアニメ・音楽の育成議論 韓国に出遅れ、危機感 - 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA066KL0W4A101C2000000/
だってあの人たち、金儲けと出世以外の価値が、この世にあることを知らない人たちなんだよ?
だから、五輪でも万博でもプロジェクションマッピングでも、何か作らせると死ぬほどダサいものを平気で世間にお披露目するし、それが顔から火が出るほど恥ずかしい代物だと言うことにさえ気づかないんだよ。
いわゆる「きょうだい児問題」。
ドン引きだ…。
https://x.com/fleur_maika_/status/1854315041618788490
例えばですね。SNSで何かを批判する意図で「○○は天才ですね」と皮肉を言ったとする。たいていの人は皮肉と理解し、その批判的な文脈を読み取ってくれるが、中には書かれた文面通りに理解して「○○が天才なわけない」などとつっかかって来る人も少なくない。しかし、これはなにもその人の読解力がなくて皮肉を理解できなかったのとは少し違う気がする。
まず、皮肉を理解するプロセスとして「この人が○○をほめることはありえない」という前提を共有する必要があるだろう。その前提があるからこそ「そんなことを言うはずはない」→「これは皮肉だ」という理解に至る。ようするに皮肉が読み取れないというのは、この前提が共有されてが故に起きてしまうことなのだろう。
つまり、それは読解力の問題よりもその文章を発信している相手に対して無意識に「所詮はそう言うことを言う人物」という見下しがあるからではないだろうか。ああ、考えてたらとてもムカムカしてきた。勝手に考察して勝手にイライラするな。
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