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朝イチでチューリップが届いた。可愛い。去年と同じ農園から。まだ全部蕾、ゆっくりのんびり咲いてください。

花組公演『うたかたの恋』『ENCHANTMENT』を観劇しました。 

今回の『うたかたの恋』は柴田侑宏先生オリジナルを小柳奈穂子先生があらたに演出し直したもの。とてもよかった。
長年、歯が浮くような気分でみていた件り、たとえば、マイヤーリンクの鬼ごっこではしゃぎまわる場面や、ルドルフから送られた指環の日付にマリーが羞じらう場面がなくなり、ルドルフの孤独と政治に絡む印象が強くなっていた。
小柳先生はシラーの『群盗』の演出も好きだった。軽妙な作品よりも、シリアスな作品のほうが光る気がする。
マリーのお衣装は少しゴテゴテし過ぎではないか。令嬢らしいすっきりしたドレスのほうが、まどかちゃんには似合いそう。

ショーは宝塚らしい美しいレヴューで、どの曲も耳馴染みのある曲ばかり。
れいちゃんの、ケーンを手にした黒燕尾姿の端正なこと。思わずため息が出た。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」のみなみちゃん、よかったなあ。

眼福、耳福の大変よい舞台でした。

散々時間をかけて、あまり実用的でないものを作るのも或る意味贅沢。無駄って言わないでー。

フィリップ・ジャルスキー《オルフェーオの物語》 

東京オペラシティ コンサートホールにて。
何年振りだろう、久々のジャルスキーだった。

オルフェウスとエウリディーケの物語をモンテヴェルディ、ロッシ、サルトーリオの3つの歌劇から小さなオペラに再構築した作品。

冒頭、愛し合う全能感がすごい。「幸せすぎる、苦しみよ、悩みよ、来るなら来い、それさえも我々には甘美」と歌う無垢なふたりの若々しさと漲る幸福感。愛し愛される喜びに包まれた有頂天さがむしろ心地よい。そこから、急転直下の冥界、悲嘆、懇願、絶望、すべての歌声が揺蕩うように響いた。ソプラノのエメート・バラートとの声質の相性はぴったり。オルフェウスという人ならぬ存在もカウンターテナーの声ならではの自然さで表現されて、新鮮だった。
ジャルスキーの声はあくまで豊かで繊細なニュアンスがあり、金属的なひっかかりがない。だから聴いていて満ち足りた気持ちをなるのだ。

アンコールのモンテヴェルディ『ポッペーアの戴冠』からの「ただあなたを見つめ」がまた愛情豊かな二重唱で涙が出そうになった。

終わったと思った白いヒヤシンスに横から新しい花が出てきた。薔薇も茎から新しい葉がニョキニョキ、生命力だなあ。

北向きのお勝手口扉の横っちょに植えた紫陽花も小さな新芽が出ていた。うれしい。

もやもやした気持ちがヒヤシンスの香りに宥められる。

東京都現代美術館『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展をみてきました。 

夢のような展示でした。
1950年代日本での展開の経緯、鐘紡や大丸、田中千代とのやり取りの資料から、さまざまなテーマの作品群。クリスチャン・ディオール本人はもちろん、サンローランから始まりジョン・ガリアーノ、ラフ・シモンズ、マリア・グラツィア・キウリなどの後継クリエイティブディレクターたちの作品もブースごとにまとめられていました。

カラーチャートで展示されたドレスやバッグ、アクセサリー、ミニチュアドレスも思わずため息がでる可愛らしさ、そして白だけの世界、夢の花園のドレスたち、と趣向を凝らした美しいセットが続き、大きな斜面にずらりと並んだドレスと映像のコラボレーションは圧巻でした。

顔をぎりぎりまで近づけて繊細なプリーツや刺繍、手作業でひとつずつ縫い止められたビーズを凝視したのでした。

会期は5月28日まで、当日券もありますが、午前のうちに売り切れのようでしたし、長蛇の列でした。予約したほうがよいと思います。

もう1度みたい!

ガトーショコラを作りました。家族でもぐもぐ。外はさっくり、中はしっとり。甘さは控えめ。

半世紀以上前のテキストでレースの手袋を編み始めた。実は2度めのチャレンジ。テキスト通りの60番糸だと小さすぎて手が入らなかったので40番でトライ中、今度は大きい気がするけれど洗えば縮むからいいや。

昔の奥様、お嬢様は御手が小さかったのかしらね。

レースの手袋なんて編んでどうすると言われるわけですが、そりゃ、着けるのですよ。真夏に白いレースの手袋、素敵ぢゃん。

窓を開け放したら花の香りがしたようで、庭に降りたところ紅梅はまだほんの数輪、沈丁花は蕾だった。
気のせいだったみたい。春はゆっくりやってくる。

散歩がてら三宅坂隼町から、麹町を通って四谷まで歩いた。寒かったけど、ちょっと楽しかった。上智はすごいビルを建てたんだなあとか、weworkが2つもあるわあとか、おのぼりさん丸出し。

イグナチオのステンドグラスは変わらずに綺麗で、やわらかな明かりにほっとした。

国立劇場で文楽 近松名作集『国性爺合戦』を観劇しました。

有名な虎狩りの場面はユーモラスで客席から笑い声がおき、ほんわか和やかな雰囲気。私がグッときたのは甘輝館の段での、錦祥女と一官妻の件りだなあ。義理の母娘が互いに思いあう愛情深さが、緊迫したなかに溢れていた。

だけど、どうして女性ばかりがその身を犠牲にして国や夫に尽くすのか微妙に釈然とせず。
鄭芝龍老一官は何やってるんじゃー!そもそも、君の娘と後妻だぞ!みたいな気持ちになりました。

二月大歌舞伎第三部『霊験亀山鉾』をみました。

いやもう、仁左衛門丈がぞくぞくする程の色悪振りで、一世一代の藤田水右衛門をみられる時代を生きていてよかった!
最後の切口上にがんがん拍手をしたら、同じように隣でがんがん拍手していた女性に、終演後に「よかったですねー」と話し掛けられ、知らない同士が頷き合ったのでした。

お餅を焼いて磯辺巻きにしました。ほうじ茶を淹れてひとりののんびり朝ご飯です。

東京芸術劇場で『田舎騎士道』『道化師』を観劇した。 

どの公演も集客が厳しい昨今、オペラ上演で3階までぎっしり満員御礼とは、フリーランスになった上田久美子氏が如何に期待されているか改めて感じた今日だった。

ヴェリズモオペラを大阪(多分、岸和田)に当て嵌め、歌手と演者をわけパラレルに展開する大胆な演出だった。
しかし、田舎騎士道は確かに男女間の愛の縺れがテーマではあるが、上田演出では、すっかり"岸和田のヤンキーの痴話喧嘩"になっていて複雑な気分だ。何より違和感を感じたのは聖子(サントゥッツァ)の、まるで痙攣のようなダンスだ。振付の前田清実が何を表現したいのか私にはわからず戸惑った。

道化師のほうが、文楽の手法をとったことにもすんなり入り込めたし、そもそも、コロンビーヌとアルレッキーノが出てきた時点で、操り人形だな、となるし、筋立てもシンプルだ。寧々(ネッダ)の蘭乃はなのドーリーな雰囲気が合っていた。

公演数日前になって上演の順番が替わったけれど、当初発表の通り道化師をはじめにもってきたほうが、作品に入り込みやすかったように感じる。

オペラとしても演劇としても、私にはうまく消化できずじまいだった。

晴天が気持ちよくて、コーヒーゼリーを作り、キッチンの出窓を拭き掃除して、掃除機をかけ玄関前を掃き掃除する。そうこうしているうちにスイートピーが届いて水揚げ処理をする。

いい土曜日だ。

ひっそり白いヒヤシンスが咲いた。すっきりした甘さのない香り。キッチンがいい香りでうれしい。

朝イチでミモザが届いた。イタリアのミモザとある。空輸されているということなら、なんか凄いなあ。

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