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今学期はフルオンデマンドの授業を1つ持ちます。自分の所属先でフルオンデマンドは初めてですが、コロナから非常勤先の科目を1つずっとフルオンデマンドでやってきたので、ノウハウはそれなりにあります。

変わったのはそれを実施するLMS(Learning Management System)のほうで、今期はMoodleを使います。Moodleは2019年の国内調査ではもっともシェアを持っているようですが、フリーなので各大学がサーバー上で上手に運用する必要があります。前の職場はUniversal Passportという商品で、中規模大学では教務システムとセットで動くことから導入を拡大させていました。そういう大学では自前でメンテできないので業者の力に頼りながら使うというスタイルです。
axies.jp/_files/report/publica

ということでMoodleは学期始まりには不具合が生じるのが基本のようです。トラブルシュートにあたるスタッフも必ずしも専門家ではないので、ユーザーと対話しながら解決に向かう形。早速わたしもトラブルが発生し、結局それは小テストで設定した満点以上を付けると、すべての更新ができなくなるという単純な要因だったのですが、あーでもないこーでもないとしながら自己解決するに至りました。まあこんな感じ。

藤本タツキ『ルックバック』が映画化されるってんで予告編が出ています。原作は東北芸術工科大学が出てくるところも含めて、山形在住だった12年によって培われたわたくしの偏った山形愛も含めて、いやそれがなくったって好きな作品なのです。

そんでもって、予告編!研究者とか抜きにして脊髄からの直情的な反応で恐縮ですが、この東北弁はムカつくな!いま関西人が関東人に真似されるとムカつくという感情を心底理解しております。
劇場アニメ「ルックバック」本予告【6月28日(金)全国公開】 - YouTube
youtube.com/watch?v=gH6zVJVHEa

なんだろう、こんくらい無アクセントにしときゃあ東北弁だろ、という、いやそんないい加減な気持ちで張るはずはないけれど、声優さんは頑張って東北方言に寄せてくださっているのは想像できるんですよ。そういうものへのリスペクトはあります。しかし、こういう感情って芽生えるものですねえ。自分で驚きです。そこまで自分が山形の当事者性を背負っている気持ちになっているとは…これは本当の山形ネイティブからすると重たいかもしれないわたくしの気持ちでありました。

日本語学会ワークショップの予稿を取りまとめ、どうにかギリギリで送信することができた。年度末から年度初めの皆さん地獄の忙しさの中、お付き合いくださって感謝感激雨あられ…

なんかひとつ大きな気がかりがあると他の作業がなかなか手に付かない。複数の仕事を全部未完成のまま少しずつ進めるということは、「まだできてないな」という不安を複数抱えながら、それでもやり切るという未来を頭にどう描けるかですね。

「物事を決めない」まま可能性は可能性として焦らず手元に置いておくということは、知的体力が必要なとても大切なことだと普段から思ってはいるけれど、仕事で例えるとなかなかしんどいことです。決めるより決めない方が労力が必要。決められるんなら早く決めたいし、終えられるならすぐに終えたいのが仕事ですよ…

言うは易し行うは難し

そして武蔵の林には、一本だけたたずむ小高い桜が。

近所の団地に咲く桜。街中の景色に溶け込む桜もいいものでした。

新しく勤めた大学の図書館スタッフが異常にできる方達でびっくりしている。いや、これまで勤めた大学だって尊敬できるライブラリアンはたくさんいたし、比べるようなことではないとも思う。しかしなんというか経験値が違う。研究者を相手にどんな情報が必要かをきちんと理解して、コミュニケーションをしかけてくる。いやー、びっくりだなー。

このインパクト、大学院生達は分からないんじゃないかと思います。働くようになったら自分が所属していたところの図書館が如何に素晴らしかったか分かることでしょう。つーかそれ言うんなら自分もそうかもだが…

「すずめの戸締まり」にて、爺さんが「無に(なる)」のアクセントを0型で発音していた。古いアクセント辞典を複数確認すると、「無にする」で今と同じ1型のほか、0型も記載する。声優さんは誰じゃろうなと思って調べてみると、松本幸四郎(現松本白鸚)ではありませんか!

やはりこういう古めかしいアクセントは梨園に伝わっているということでしょうか。1拍の漢語アクセントには古く0型のものももう少しあったようです。「(そうだった)気がする」のような。「魔の(踏切)」も今では1型が主流になってしまった。

こんな関心で昔のテレビ版「妖怪人間ベム」に古いアクセント型が観察されないだろうかと思って、頑張って見続けたことがありますが、いくつか出てきたことは出てきた。大学の演習でやったら面白いかなと思ったこともあるけれど、学生に有料コンテンツ加入させるのもな、とアイディア止まり。

連日飲んで帰宅、気づけばこんなです
カメラ持参すればよかったYOZAKURA

急遽入ったデータ整備のオーダー、めっちゃ集中して2日でどうにか形に仕上げました。データをいじっている時の集中力って、なんかもう体に良くない感じしかない。時間があっという間に過ぎてしまう。ほんと、気づくと日が暮れているという感じ。

29日に最後の校務が終わって、4月1日から新しい職場に。別れの涙に浸る間もなく、2日間しか猶予がないってどういうことだよなんて笑っていたら、その2日間は休むためにはまったく使えなかった…

この慢性的に自転車操業な業界慣習、どうにかならんもんか笑

昔の日本ではハート形を何と呼んでいたのだろう 気になるねえ 何故気になっ..
anond.hatelabo.jp/202403250957

原稿がなかなか進まないんです、現実逃避とは分かっているんです…

山形ではトランプのスートのことを、それぞれ桃=ハート、黒桃=スペード、三つ葉(ぱ)=クローバー、角(かく)=ダイヤと古く呼んでいた。山形市だけかも知らんけど。こういう近代以後の「方言」はなかなか辞典類にも記載されない。これを教えてくださった上品な年配の女性は、角を頭高アクセントでかつ語中有声化で「カグ!」といってて、その温かくも笑いの混じった声が耳に今も残る。「わたしだ、カグて、ゆたもねえ(私たちカクって言ったもんねえ)」、こんな感じだった。武田さん元気かな。

それはそうと、建築用語でハート型を「猪目(いのめ)」と言ったらしいことがwikipedia先生によって説明されています!

猪目 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/猪目

Shrumeling→Shrumal Ogre→Shrumal Warriorと、同じ系統のキャラが似たような形態素を持ちながらクラス化されるときに、原語の持つ「マッシュルームっぽさ」(とは私はすぐには分かりませんでしたが)を保ちながらどう翻訳するか、というのも関心をそそります。日本語のゲームでも、ギラ→ベギラマ→ベギラゴン、ヒャド→ヒャダルコ→マヒャドみたいに、形態変化の間に対応関係がないものと、ファイア→ファイラ→ファイガ、ブリザド→ブリザラ→ブリザガみたいに対応関係があるものとがあって、英語訳はFire1→Fire2→Fire3みたいにしたんだとか。意味と体系性と両方キープしながら、それでいてダサくないネーミングを探るというのは高等な知的作業だと思わされます。

DeepLに翻訳すると全然ダメというのも、今風の話題でいいですね。あれは存在しているデータに基づいているので、本当に存在しないものはまだまだ人間が必要という話で、よく分かる話。記事によれば近い意味で訳語を作ってくるらしいですが、創作語の意味と体系性のうえにさらにかっこよさを勘案して、となるとLLMでも難しいんじゃなかろうか。

そしてSilk Songはいつ発売になるの!!!超待ち遠しい!!(2/2)

ゲーム翻訳最前線:第4回は伊東 龍さんと「ホロウナイト」。「固有名詞を無理に日本語化するとダサくなる」現象と,開発側との対話の重要性
4gamer.net/games/435/G043587/2

幕末から明治期にかけて、押し寄せる西洋の概念・言語を日本語に置き換える営みが盛んに行われ、新しい漢語がたくさん増えた。いわゆる「新漢語」と呼ばれるものです。翻訳とは一般的に逐語的な置き換えと思われている節がありますが、まだ日本語にない概念の場合、ことばを創作する必要があります。例えば、有名なところでは、西周がPhilosophyの訳語として「哲学」を作った、とかです。この訳語で定着するまでは「窮理学」など紆余曲折もありました。

で、架空のゲームキャラをどう訳す、という問題です。ここでは私も愛して止まないメトロイドヴァニア、Hollow Knightの日本語ローカライズにあたっての苦労が語られています。ホロウナイトが「空洞の騎士」じゃダサくなるだろう、じゃあどう訳すといったときにこの場合は音訳の方法が採用されるけれど、あのキャラやあのキャラは…という種明かし。非常に面白いです。また、中国語ローカライズは「空洞騎士」なのにダサくはないらしい…というのも、どういう感覚の違いが彼我間にあるのかという点も興味深い。(1/2)

サピア・ウォーフの仮説を読んでワクワクした人間としての、メモ。

今井むつみ氏『ことばと思考』なども補助線として。

話す言語によって時間の感覚が変わるという研究結果 - GIGAZINE
gigazine.net/news/20240324-lan

今宵は故人を偲んで思い出の場所に連れて行っていただいたのでした。

一昔前にはよく言われた「いろは」の創設は空海によるというもの。大同四年、まだ仮名も生まれてないのに、「御真筆」とはずいぶん振りかぶりましたな…ご利益というにも、もっと言い方が。

日本語学的にはこの時期あったはずの上代特殊仮名遣いの区別がないではないかということで、俗説云々とは野暮天でありますが、いくらなんでも真筆とは大胆!

KATO Daikaku さんがブースト

大学進学における「地方」と「性別」の「足枷」

jstage.jst.go.jp/article/tits/

東京の4大への進学率すごいなぁ
性別、地域で見ると色々考えさせられる。
徳島と沖縄が女性の進学率のほうが高いのも面白い。
まだまだ地方では女性ha
4大への進学しなくてもよいというような風潮?があるのかな?

親世代の4大進学率とかにもよるのかもしれないけど

先日の投稿の答え合わせのような記事が上がってきた。

令和の現在でも女子大は「女子は大学行っちゃダメ」と親から言われる子の解決策になってる側面がある - Togetter
togetter.com/li/2336907

女子大に勤める身としては、女性だから大学に行く必要はないと言われた経験については、「そうですが?」という返答以外ない。もっというと、地方短大に勤めていたときにはもっともっと耳にした。こういうジェンダー格差は見えない人にはまったく見えないものなので、素朴に「能力」とか言えてしまうのです。

女子大の意義は、私が強く感じているのは、直接的なジェンダーバイアスがほとんどない世界で(つまり男性に遠慮したり視線に気にすることなく)、のびのび学ぶ空間であるということ。あるゼミ長だった卒業生が、共学だったらリーダーなんて絶対しませんよ、男に任せますと述べていたことがずっと胸に刺さっています。その学生はかなりリベラルな学生ではあったけれど、ある種の自分を守るための「世間知」として発言したのだと思います。

まあそういうこと。幼少期から「勉強しなくていいよ」「リーダーなんてしなくていい」と言われ続けた人と、そうでない人を「能力の違い」なんて素朴に言えるとしたら、社会のことをもっと学んだ方がいいよとしか。

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