Shrumeling→Shrumal Ogre→Shrumal Warriorと、同じ系統のキャラが似たような形態素を持ちながらクラス化されるときに、原語の持つ「マッシュルームっぽさ」(とは私はすぐには分かりませんでしたが)を保ちながらどう翻訳するか、というのも関心をそそります。日本語のゲームでも、ギラ→ベギラマ→ベギラゴン、ヒャド→ヒャダルコ→マヒャドみたいに、形態変化の間に対応関係がないものと、ファイア→ファイラ→ファイガ、ブリザド→ブリザラ→ブリザガみたいに対応関係があるものとがあって、英語訳はFire1→Fire2→Fire3みたいにしたんだとか。意味と体系性と両方キープしながら、それでいてダサくないネーミングを探るというのは高等な知的作業だと思わされます。
DeepLに翻訳すると全然ダメというのも、今風の話題でいいですね。あれは存在しているデータに基づいているので、本当に存在しないものはまだまだ人間が必要という話で、よく分かる話。記事によれば近い意味で訳語を作ってくるらしいですが、創作語の意味と体系性のうえにさらにかっこよさを勘案して、となるとLLMでも難しいんじゃなかろうか。
そしてSilk Songはいつ発売になるの!!!超待ち遠しい!!(2/2)
ゲーム翻訳最前線:第4回は伊東 龍さんと「ホロウナイト」。「固有名詞を無理に日本語化するとダサくなる」現象と,開発側との対話の重要性
https://www.4gamer.net/games/435/G043587/20240319008/
幕末から明治期にかけて、押し寄せる西洋の概念・言語を日本語に置き換える営みが盛んに行われ、新しい漢語がたくさん増えた。いわゆる「新漢語」と呼ばれるものです。翻訳とは一般的に逐語的な置き換えと思われている節がありますが、まだ日本語にない概念の場合、ことばを創作する必要があります。例えば、有名なところでは、西周がPhilosophyの訳語として「哲学」を作った、とかです。この訳語で定着するまでは「窮理学」など紆余曲折もありました。
で、架空のゲームキャラをどう訳す、という問題です。ここでは私も愛して止まないメトロイドヴァニア、Hollow Knightの日本語ローカライズにあたっての苦労が語られています。ホロウナイトが「空洞の騎士」じゃダサくなるだろう、じゃあどう訳すといったときにこの場合は音訳の方法が採用されるけれど、あのキャラやあのキャラは…という種明かし。非常に面白いです。また、中国語ローカライズは「空洞騎士」なのにダサくはないらしい…というのも、どういう感覚の違いが彼我間にあるのかという点も興味深い。(1/2)
サピア・ウォーフの仮説を読んでワクワクした人間としての、メモ。
今井むつみ氏『ことばと思考』なども補助線として。
話す言語によって時間の感覚が変わるという研究結果 - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20240324-language-time/
大学進学における「地方」と「性別」の「足枷」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/27/10/27_10_76/_pdf
東京の4大への進学率すごいなぁ
性別、地域で見ると色々考えさせられる。
徳島と沖縄が女性の進学率のほうが高いのも面白い。
まだまだ地方では女性ha
4大への進学しなくてもよいというような風潮?があるのかな?
親世代の4大進学率とかにもよるのかもしれないけど
先日の投稿の答え合わせのような記事が上がってきた。
令和の現在でも女子大は「女子は大学行っちゃダメ」と親から言われる子の解決策になってる側面がある - Togetter
https://togetter.com/li/2336907
女子大に勤める身としては、女性だから大学に行く必要はないと言われた経験については、「そうですが?」という返答以外ない。もっというと、地方短大に勤めていたときにはもっともっと耳にした。こういうジェンダー格差は見えない人にはまったく見えないものなので、素朴に「能力」とか言えてしまうのです。
女子大の意義は、私が強く感じているのは、直接的なジェンダーバイアスがほとんどない世界で(つまり男性に遠慮したり視線に気にすることなく)、のびのび学ぶ空間であるということ。あるゼミ長だった卒業生が、共学だったらリーダーなんて絶対しませんよ、男に任せますと述べていたことがずっと胸に刺さっています。その学生はかなりリベラルな学生ではあったけれど、ある種の自分を守るための「世間知」として発言したのだと思います。
まあそういうこと。幼少期から「勉強しなくていいよ」「リーダーなんてしなくていい」と言われ続けた人と、そうでない人を「能力の違い」なんて素朴に言えるとしたら、社会のことをもっと学んだ方がいいよとしか。
定期的に、女性限定公募が出ると「能力が大事だ」という素朴な社会観で批判する人が出てくるが、私は社会は構築されたものという立場から、「能力は社会にとって永続的な価値を持つとは限らない」、「能力が社会的文脈によって作られる以上、社会的文脈を作ることも大事」、ということを踏まえた上で、女性が安定的な研究職に就きにくい社会的文脈が我々の社会にあるならばそれを是正すること自体に疑問はない、と考えています。本来であれば、ジェンダー的平等が先に実現され、その上で能力が問われるべきでしょうけれど、結果の方で調整するのだという発想は執りうる手段のひとつだと思います。
https://twitter.com/nakagawanatsuko/status/1771151969396371589
不利な思いをしているのは女性だけではないという批判については、それはもちろんそうで、あらゆる社会的弱者になってしまったひとがきちんと救われる制度設計は必要でしょう。アファーマティブアクションが万能でないのは自明で、限界や副作用があるとしても、この社会運動自体が根幹から否定されることはないと考えます。私自身、この問題にどれほどコミットできているかというと胸を張れるわけではないけれど、少なくとも素朴な社会観による無効説にはきちんと「それは違う」と言いたい。
外付けのSSDドライブがうまく認識されず、そろそろやばい予感がするとなって、動くうちに複製を作っておくために新しいSSDドライブを購入した。しかしなかなかうまく読み出しができない。Macに備わっているディスクユーティリティからFirst Aidをやってもダメ。
結論から言うと、うまく行ったことは行った。エラーの要因はどうやら2つあった。1つはディスクと本体の論理エラーがなにか起こっているということ、もう1つは盲点で接続しているUSB-Cケーブルの破損だった。
何かの論理エラーは結局、ターミナルから直接動かすということをやって、どうにかなった。
https://note.com/shinao39/n/n165a373ad4bf
Windows時代はちょくちょくターミナルを使うことがあって、コマンドなども幾分かは頭に入っている。MS-DOS時代にも少し触っていた経験が効いているか。でもMacのほうはからきしで、常に不安がつきまとう。
ケーブルに関しては、新品に変えたらうまく行った。それにしてもUSB-Cに見えるケーブルの複雑さはありますね。大規模ファイルを動かすならThunderbolt4がベスト。転送速度が段違いです。
途中、もうファイルの救出は無理かと暗澹たる気持ちになっていたが、だいたいどうにかなるものだ。ありがたい。
頤和園は1989年以来初めてかも。入り口に立ったときの既視感にクラクラするものがありました。おそらく綺麗にリノベーションされているのでしょう、安心して「観光客」をやることができました。
写真には天安門前が一枚、夜に連れて行ってもらった五道口近くのバーで飲んだカクテルが一枚。夜の盛り場は新宿の夜のようでした。中国は豊かになったのだなあ。 [添付: 8 枚の画像]
北京清華大学で共同研究集会を行ってきました。行って、二日間仕事をして、午前の合間に懐かしの頤和園を巡って、弾丸ツアーで帰国しました。クッソ疲れたけど、充実感があります。
初めて北京を訪れた1989年、そして1996年、2007年、2024年とどんどん顔を変える街ですが、とうとうほとんど知らない街になってしまいました。ある種の理想的な管理型社会主義というのでしょうか、ごみひとつなく犯罪率も低く、街並みは整然としている。中心部は観光目的もあって古い街並みを残していますが、周辺部はビルが建ち並びマックやコンビニ、高層ビル、電動自動車、そして電子マネーに地下鉄、往事を知る者で驚かない人はいないでしょう。ここはどこだ。
写真は清華大学のなか。学生は全寮ですし、教職員も家族で住み着いていることもあり、文字通りの学園都市となって生活に必要な施設は全てあります。大学構内に11万人居住しているのだそう。大学の敷地が拡大するにあたって立ち退きも行われたようですが、今もまだ立ち退かない/立ち退けない人が塀で隔てられています。地価が上昇しすぎてもう買い取れなくなったのだとか?
急激な近代化のスキマから生活の匂いがいびつな形で垣間見えます。旅人としてはそこに薄暗い魅力を感じざるを得ません。 [添付: 7 枚の画像]
ああまた一人…鳥山明氏の冥福を祈ります。
https://dragon-ball-official.com/news/01_2499.html
その昔、個人情報満載の電話帳が各家庭に配布されていた時代、子ども会の遠足のルートに鳥山先生の自宅が組み込まれていて、ピンポン押してご挨拶というのがあった。ご本人東京で不在だった。
学生時代はドラゴンボールがフリーザ編で、くだらん漫画の筆頭格だと思っていたが、後々漫画史の一時代を作った偉人だったと思うように。今も本棚には買い直したドクタースランプが並びます。
それにしてもまだお早いご逝去で、残念です。
@kuzan 先生に教わった、「久遠の絆」というサイトに「本朝麗藻」がありました。「讚德部」117番に為時の漢詩が出ています。
和高禮部再夢唐故白大保之作 一首
兩地聞名追慕多 遺文何日不謳歌 繫情長望遐方月 入夢終踰萬里波
露膽雖隨天曉隔 風姿未與影圖訛 仲尼昔夢周公久 聖智莫言時代過
風姿云云:我朝仰慕居易風跡者,多圖尋風,故云。
https://miko.org/~uraki/kuon/furu/furu_index1.htm
いやー、すごいですねこのサイト。台湾のかたがやっている模様。
「女ことば」をやめれば男女格差は縮まる 言葉が生み出す性差の影響:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASS334V93S2XUCVL018.html?iref=comtop_7_07
宇佐美まゆみ『ことばは社会を変えられる』は1997年の本ですが、私もタイトルに込められたメッセージを強く受け止めてきました。PCの議論は概略的なレベルしかついて行けていませんし、昨今、PCへの社会的風当たりが強くもあるという状況も危惧しながら、しかしやはりことばは世界認識にかかわるのは確かで、「言語的事実」という考え方が有効であるということは根幹からは揺らがないだろうと思います。
上記リンクで紹介される平野氏の著書も読みました。脇が甘いと見なされかねない部分もありますが、一般向けには良書だと思います。上記リンクで紹介される、ウーテ・エーアハルトによる「かわいい女は天国へいくが、生意気な女はどこへでもいける」は男性の私からしても、エンパワーされるような温かさと力強さを感じます。まさにそれこそが「ことばが社会を変える力」だと思わされます。
記事タイトルを字義通り受け止めて、現実としてどこまで縮まるかと問われれば、そう簡単ではないと答えざるを得ません。それでも、ことばの学問に携わる者としては、やはりことばは社会を変える力を持つのだということは、大事なテーゼであると思います。
日本語学の研究者です。漢字音史、漢語アクセント史を文献ベースで狭くやってます。自己紹介的な論文に、「アニメ『ドラゴンボール』における「気」のアクセント─漢語アクセント形成史の断線から─」(日本語学2022年6月号)あり。データベース作ったり、自転車に乗ったり、珈琲を飲んだり、ジャム作ったりしています。https://researchmap.jp/read0135868