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山口県岩国市に文献調査できているのですが、前日入りして錦帯橋などを巡る。

お盆休みに娘とChants of Sennaar(Switch版)をプレイしました。ここ数年でぶっちぎりの面白さでした。バベルの塔らしき場所で、四つの異なる言語を話す種族の間に立って、それぞれの言語を解読しながら冒険していくゲームです。ヒッタイトっぽい文字やアラビア語っぽい文字、舞台は中東を模しているようでした。

ジェスチャーや指示対象から意味を読み取って、語を特定していくのが基本ですが、時折ロゼッタストーンのようなものが出てくるのも胸熱。記号の共通性を元に品詞を推測することも出来ます。さらに各言語、語順や修飾語が前置か後置も違うので言語学者は相当楽しく読解できると思います。

言語が相互に通じないから生じる文化的摩擦を、主人公がつないでいく様はスリリングでしたが、それ以上にイスラエルを巡る人類の困難を思わずにはいられませんでした。

最上階に住む民は他者との交流を奪われ、AIに統治されて仮想空間でゲームをしています。AIを倒してコミュニケーションを取り戻し、わかり合えない人たちを繋いでいく。相手を悪魔だと偏見のまなざしで見ていたのに、言葉が通じれば愛する隣人だと分かる。言語学者必須プレイのゲームじゃないですかね、これ。

ネタバレを含む考察サイトを。
blog.livedoor.jp/motovegalta/a

東秩父村にある皇鈴山展望台で。非常に素晴らしい場所でした。夫婦の写真は娘が撮影。

コロナ後のお祭りだということで町はずいぶん気合いが入っている模様だが、商店街もずいぶん閑散としていて、アーケード街にはマンションもちらほら。昔ながらのお店の跡地をデベロッパーが買い上げたようです。人いきれの痕跡を至る所に感じる町でした。 [添付: 6 枚の画像]

墨田区から江東区を所用があってぶらり。ついでながら「のらくろ館」に立ち寄って、田河水泡のことなどを学ぶ。写真には加藤芳郎も写っていて、お笑いマンガ道場を思い出すなど。深川あたりなので、あさり丼を食す。水路などいかにも深川という感じがする。 [添付: 6 枚の画像]

日中は身を焦がさんばかりの暑さだが、夕方を過ぎると風にも涼しさが混ざってくる。日が落ちた直後の赤い空。

狭山湖堤防から眼下に見える夕暮れの家並みと、家路を急ぐ自動車の光の列。何もかもどうということのない光景だが、ずっと見ていられる。

日中暑くて晩ご飯を作る気持ちが夫婦共々失せたので、近所の町中華に。食べることに夢中で写真撮るの忘れてたことに途中で気づく。

部屋の中でクーラーに当たっているせいか、熱々のものが食べたい。チンジャオロースの熱々ラーメンに半チャーハンをつけた。

今年のラインナップが揃いました。梅干し、灼熱の炎天下ゆえか、すでに塩ふきまくりです。

同じものばかり食べてゐる 放哉(偽)

梅紫蘇がこの猛暑のためにあっという間に乾燥しました。早速グラインダーにかけたら、この通りすっかり細かい粉に…たぶんこれお湯に溶いて飲めるんじゃないだろうか。少し原型を留めているところもあるけど。

生卵かけご飯とか、キュウリとかと相性が良さそう。

「五(ご)」や「九(く)」は「九が」などの東京アクセントは、古く「日が(出る)」「胃が(いたい)」と同じアクセントであったと言われます。これは古いアクセント辞典を見れば明らかなことです。いま学生達と三省堂『新明解日本語アクセント辞典』の「アクセント習得法則」を読んでいますが、「九が」などという文脈はどんなだっただろうねと疑問に思ったりしていました。

それで、習得法則をお書きの秋永一枝氏『東京弁は生きていた』を弟子でありながら初めて開いてみました。これは明治期生まれの東京人へのインタビュー集で、いわゆる江戸の言葉が活写されている本です。そこに、地震占いのような民間伝承が載っていて、「九は病、五七は雨に四つ日照り、六つ八つならば風と知るべし」とあります。いわゆる不定時法で、九つなら深夜12時というやつですね。このフレーズのなかに、古い江戸のアクセントが残っているというわけです。(1/3)

梅雨が明けたので早速天日干しを。数日日に当てたら瓶詰め作業。今年の梅は少し小ぶりかな。不作だったようですね。紫蘇は多くなってしまったので、ゆかり天国です。

今更ながら読みました、岩朗均『七夕の国』。画像は4巻からです。90年代の中盤から市場を揶揄するようなメッセージを入れていたとは。思えば『寄生獣』もそうだったかもしれない。映画のほうは見ていないが、民俗学を使ったよい物語でした。

七夕に纏わる東北の祭りという筋立てで思い出すのは、やはりねぶた祭です。江戸期の絵には「七夕」とはっきり書いてあるので、あれは七夕祭りだったのですね。ねぶたの方は市場原理のなかで新しい観光コンテンツとして生き延びた、と言えるかも知れません。

『七夕の国』のほうは…ネタバレになるからこれ以上は言えませんが。

宮崎駿が近代的な文明批判をするのと違って、岩朗均が市場原理を批判するのは、30年後を見据えてのことだったのでしょうか。何だか気持ちが良いです。作中、「役に立つ」ってどういうことかが繰り返し問われます。主人公は「役に立つ」というのが幻想だと喝破して、自分なりの人生を選びます。2020年代の現在に映画化されることに意味がありそうに思うのでした。

それはそうと、たぶんアサリの砂抜きが十分でなくて、齧った砂で歯が割れた。以前、上の歯でも同じことがあって、その時は根元まで行った。犯人はアジの骨。

今回は神経まで到達しておらず、レジンで固めて凌いだ形。歳なんですかねえ。

写真は究極の個人情報であります。下顎の5番が欠けてるところ、上顎の白いのは前回の。こうして人はサイボーグになっていく。

通称「日本風土記」(侯継高『全浙兵制考』(1592)の附録)、内閣文庫本は内閣文庫デジタルアーカイブで見ることができるのだった。
digital.archives.go.jp/DAS/met

これは明代の中国語で日本語を書き写した文献で、「春」が「發而(fa’er)」、「夏」が「乃子(naizi)」みたいに表記されている。現代中国語で発音してもまずまず成立しますね。

いやー、ほんとかつては影印でしか見られなかったものが、いまや簡単にネットで見られるんだものな。

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